Project Mein Herzのあとがき
去年からツラツラと書いてきましたが、今日でProject Mein Herzの事を書くのは最後となります。
最後の方はかなりドタバタでしたが、無事にリリースできたのでよかったです。
製作期間は、途中放置が長かったのですが大体3ヶ月間位でしょうか。
特に”ほぼ完成”状態からの放置プレイは、今までに経験した事のない程のモチベーションの低下を招く結果となりまして、内輪では公開が危ぶまれたりしておりました。
もともと公開する事にあまり重きを置いてないので、製作していて満足してしまうと途中で止めたり、完成しても未公開にしてしまう事が多々あります。
でも、今回そうならなかったのはこのBlogのおかげだと思っています。
Blogに書いちゃった手前、途中で止めるのは「マズイですよねー」と言う心境からです。
さて、今回は長いです。
長文を読むのが面倒な人は、画面の右斜め上にある×印を押して、とっととどこかへ行っちゃって下さい┗(^o^ )┓
じゃあ始めるよ。
コンセプトは”怒りと破壊”
敗戦国の悲しい性でしょうか、日本やドイツを題材にしたものはお涙頂戴系が多いのですが、私は辛気臭いのが余り好きではないので、”お涙”は前面に出さないように作る事を念頭に置いて作業を開始しました。
かと言って”RABAUL”のような”まるで砂糖水”のようなビデオにはしたくなかったので、ドイツ空軍の活躍を描きつつも控えめな描写を心がけました。
一応ドイツ空軍の視点で作っていますが、タイトルにあるJV44はおろか、肝心のMe262もあまり前面に出さないように心がけて作っています。
これは、”敗戦国の決戦兵器”が持つ宿命的な意味合いを表現しようと考えたからです。
敗戦国・・・これは日本にも当てはまりますが、決戦兵器への想いが強いと言う特徴があるように思えます。
戦時中であれば、決戦兵器に一縷の望みを賭けると言う事もあるでしょうし、戦後の人々の中には「あの兵器が完成していれば」や「あの兵器が量産できていれば」と言った”たられば的な願望”に想いを馳せるのも致し方ないのかもしれません。
しかしながら、戦争と言う巨大なシステムの中での一兵器の位置づけと言うものが、必ずしも大きい訳では無い事は図らずも歴史が証明している悲しい現実でもあります。
特に先の大戦のような未曾有の消耗戦と中途半端な情報戦の中では、質よりも量が勝敗を左右したように思えます。
当初私もMe262を目撃した連合国軍の兵士達は、その圧倒的な性能差に恐怖したのだろうと思っていました。
事実そう言う証言もあるので、そのように思った兵士もいたのでしょう。
ですが、全体的に見た印象としては、Me262よりもむしろBf109やFw190、更には88ミリ高射砲の方を恐れていたようでした。
ちょっと例えが変ですが”遠くの恋人よりも近くの友人”と言うのに似てると思います。
たまにやってくる凄いジェット戦闘機よりも、毎回やってくるレシプロ機、そして何の前触れも無く自機を粉砕する高性能な高射砲。
差し迫った死の恐怖とは、現実的に理解できる範囲の恐怖であるという事は今の世界でも良くある事です。
それに、カタログスペックだけで考える行為は正に机上の空論と呼べるもので、実際の戦闘では稼働率の問題や運用のし易さなど、作戦上兵器に求められる要素が如何に多岐に渡るものなのかなど、今回ビデオを作ってみて改めて考えさせられました。
貴重な生存者の証言を読むにつけ、現代人はとかくカタログスペックで兵器を語ろうとしますが、実際にそれと対峙した当時の人たちからすれば、それらの行為が如何に的外れで滑稽な事であるか、改めて教わったような気がしました。
このような理由から、徐々にMe262の露出を増やしつつ、この兵器の持つ潜在的な破壊力を連合国側の機体が破壊されるシーンで表現しようと考えました。
もっとも、圧倒的な速度差を生かした一撃離脱戦法を得意とするMe262の実際の戦闘も、連合国側からすれば一瞬で撃破される事が多かったと思われますので、そういう意味からも今回の見せ方は良かったと思っています。
更には、機体の破壊シーンや、爆撃されるシーンを繰り返す事で、見る人に不快感のようなものが伝われば良いと考えました。
これに関しては、たぶんこのビデオを作り始める前に、北野武監督の”アウトレイジ”を見たからだと思います。
アウトレイジ・・・ご覧になった方も多いと思いますが、正直言いまして最初観た時は「へ?」って感じだったんです。
あまり意味も無く暴力シーンが延々と続いて、セリフも皆が「バカヤロー」とか「コノヤロー」と言うばかりと言う印象しか残らなかったんです。
北野映画の魅力のひとつに”暴力”がある訳ですが、それにしてもそればかりが続くと「もうおなかいっぱい」と言う感じで、正直観ていて不快に思いました。
でも、この映画がつまらないかと言えば嘘になります。
映像も美しいですし、とてもテンポが良く、ダレることなく最後まで一気に見せてしまう辺りは、変に説教臭い日本映画の中にあって「さすがは北野監督」と頷ける程です。
要するに因果応報と言うことなんだと思いますが・・・もし、気になる方は是非見てみてください。
鈴木慶一氏の音楽が良かったです。
無理やりこの映画に意味を見出すとすれば・・・
「バカヤローダンカン、ヤクザのやる事に深い意味なんかねぇよ」と、北野監督が言ったかどうか知りませんが、”そもそも暴力に深い意味なんか持たせる必要は無い”と、北野監督が割り切って映画を一本作ってみたかったのでは無いのだろうかと思いました。
それ位暴力シーンしか印象に残らない映画でした。
翻って戦争と言う行為そのものも、開戦時には存在したであろう大儀はいつしか忘れ去られ、長期戦は人々の心の中から勝利という目的すら奪い、敵を殺す為だけの作業になってしまっていたのではないか?
いや、開戦時には確かに大儀も意味もあったのかもしれないが、こと殺し合いに関して言えば最初から大儀や意味などは無かったのではないだろうか。
はたまた後世の人々は、とかくそれらの行為にすら何か意味を持たせようとしますが、果たして意味はあったのか・・・
ならば、意味の無い殺し合いを描く意味の無いビデオがあっても良いのではないだろうか・・・と、こんな感じで中二病的な妄想をしているとある日突然降りてくるんです。
ビデオの神様が。
因みにですが、最初の戦闘シーンは気がついたら完成してました。
作ってる最中の事は殆ど覚えていません。
これがいわゆる”降りてきた状態”って奴ですね。
内輪では”チャネリング状態”と呼ばれています。
ちょっと話がそれましたね┐(゚~゚)┌
最初のシーンは夜の空爆から始まります。
恐怖の一夜から朝になり、人々には僅かながらの希望が芽生えます。
決戦兵器に対する人々の願望のような思いを表現しています。
昼間はアメリカ軍が、夜はイギリス軍のランカスターが爆撃を行いました。
人殺しをシェア・・・如何に合理的に人を殺せるのかを考えた人が、この時代の英雄なのかもしれない。
生産中のMe262のシーンは、Wikipediaにあった実際の写真をモチーフにしています。
昼夜を問わず繰り返される爆撃を避けるように、地下に作られた工場で秘密裏に製産される決戦兵器。
漫画のような話ですが、実際もそうだったんだと知って凄く驚いたので採用しました。
プラモデルでジオラマを製作しているサイトなどを参考に、FMBを使ってベルリン近郊の飛行場に作りました。
今回のビデオを製作する上で、もっとも苦労したミッションファイルでした。
戦闘シーンは4回ありますが、その全ては同一コンセプトで統一しました。
これは先にも書きましたが、繰り返す事で意味を持たせようと考えたからです。
代わり映えしない戦闘シーンを、如何に飽きさせないように作るかも課題のひとつでした。
ある意味、アメリカ軍機が派手に壊れれば壊れる程Me262の強さを表現する事ができるので、派手に壊れるよう意識しました。
楽曲で言うところの最初のAメロの部分はWikipediaにあった三面図をブループリント風に加工して使っています。
図面をイメージさせ、黒バックの無塗装の機体を交互に見せることによって生産工程を表現しています。
無機質な金属感を表現したかったので、イメージ通りにできたので嬉しいです。
試作三号機の飛行を再現しています。
アドルフ・ガーランド少将(当時)が試乗し、「天使が後押ししているようだ」と絶賛したのは4号機ですが、ジェットエンジンで最初に飛行した試作3号機を使用しています。
一応リペイントは5号機まで全て用意したのですが、3号機以外は無駄になりました。
– 手前が”White3″ ガーランドの乗機と言われているが定かではない –
ようやくJV44が姿を表します。
実際こうやって整列したのかは定かではありません。
と言うのも、極めて燃費が悪かったMe262は「トラクターによって牽引され滑走路まで運ばれていた。」と海外のサイトに書かれていたので・・・
カッコイイから「ま、いっか」と言う事で。
– AEを使ったheat blurの表現にも多少慣れた気がする –
離陸のシーンも、2機同時に離陸していますが、これも定かではありません。
なにせ決戦兵器ですから資料も少なく、ましてや当時の映像も少ないので確認は出来ませんでした。
これもカッコイイから「ま、いっか」と言う事で。
Siegessäule”戦勝記念塔”は、父がドイツに単身赴任していたので子供の頃に実際に見に行ったことがあります。
「まさか無いですよね~」と思いながら試しにIL-2のベルリンのマップを見ていたら、なんと!ありました。
コレを見つけたときは本当にIL-2って凄いゲームだなと思いました。
ちゃんとツボを心得ていると言うか、”外さない”凄さを感じました。
だからこそ息の長いゲームなのかもしれません。
– ついに彼女は、この星の支配者となるはずだったDas Dritte Reichを見放した –
この”戦勝記念塔”は平和の象徴として描いています。
陽光を浴び、金色に輝く女神ヴィクトリアは、美しいドイツの街並み象徴しています。
それが一転、背後にある街並みからは黒煙が上がります。
これは敗戦が近い事を暗示しています。
それでも懸命に首都を守る為にJV44は戦うわけですが、奮戦むなしく一機また一機と落とされていきます。
墜落する一機が、まさに地面に激突しようかと言う瞬間、女神は爆煙に包まれてしまいます。
– 戦後、女神はフランスへ持ち去られていたが、今はベルリンに。
ヒトラー”総統”の演説に関しては、入れるべきか止めるべきかで”相当”悩みました。
※本日のおやじギャグ( ´・_・`)
父親の仕事の関係で、子供の頃にドイツには数回行った事がありまして、そのせいもあってドイツは好きな国の一つです。
しかし、ヒトラーに対するドイツ人の感覚は、正直理解できない程厳しいと感じていました。
子供が感じるわけですから、どれ程の言われようなのかわかりますよね?
で、中学生の時だったとおもいますが「我が闘争」を読んだんです。
反ユダヤ主義とアーリア人至上主義の部分以外はかなりまともな事が書いてありまして、巷での言われようとはかなりかけ離れていてびっくりしたんです。
もっとも、悪評ばかり耳にしたうえで読んだので、余計にそう感じたのかもしれませんが・・・
今回入れた演説の内容は以下に。
私は、我が民族の復興が自然にできるとは約束しない。
国民自らが全力を尽くすべきだ。
自由と幸福は、突然、天から降ってはこない。
すべては諸君の意志と働きにかかっている。
この演説は、アドルフ・ヒトラー総統の首相就任時のものです。
第一次世界大戦に敗戦した事を言っていますが、まるで第二次世界大戦での敗戦を予兆しているかのような内容なので採用しました。
それに、今の私たち日本人へのメッセージにも取れる内容ではないでしょうか。
”棚から牡丹餅”的なことは、人生においてはありえない。
民衆に対して変に誤解を与えるような耳障りの良い表現を使う昨今の日本の政治家とは対照的ではないでしょうか。
演説の内容はは至極当然なことを言っていますし、こと経済政策に関して言えば、この時、ヒトラーはドイツ国民にとって救世主だったのは紛れも無い事実なのです。
”権力は人を腐敗させる”と言います。
崇高な理念と強烈な野心とは、中々相容れるものではないのかもしれません。
しかしながら、その権力をヒトラーに与えたのは、誰あろうドイツ国民なのです。
ヒトラーに関しても機会が有れば書いてみたいです。
– 炎の中から姿を現すMe262 – 戦後の復興を象徴するシーン –
それでも戦い続けるJV44。
まさに”不屈のゲルマン魂”と言いたいところですが、実際には”ゲルマン魂”という表現はドイツにはありません。
”ジョンブル魂”は、あるみたいですね。
ラストは曲が”ブツっ”と切れちゃうのでどうしようか悩みましたが、このような形で収めました。
音楽はRAMMSTEINのMein Herz brenntを使いました。
これは歌詞が気に入ったので。
Mein Herz brenntとは”オレの心は燃えている”という意味です。
因みにバンド名のRAMMSTEINとは、1988年にFrecce Tricoloriが大事故を起こしたエアショーが開催された街の名前(スペルが一字違います)に由来しています。
ただ、ひとつ残念な事は、YouTubeでドイツの人々が視聴できないと言う事です。
先日Soykaさんから連絡が来ました。
ま、でもしょうがないか(゚ε゚)キニシナイ!!
余談ですが、元々このプロットは震電を使ってビデオにしようと考えていました。
広島、長崎の原爆を阻止する事に成功した日本は、1946年まで戦うと言う設定を考えていました。
最後は東京に原爆を投下されるのを震電が防ぐと言った内容です。
あまりにもファンタジーなので止めたんですけどね(´・ω・`)
と言う事で、長々と書いてきましたがこれでおしまいです。
今回も面倒だったけど作ってて楽しかったなと言う事で・・・アディオース(・ω・)ノ