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LONG WAY BACK

金曜の夜からフジロック行ってました。
んで、さっき帰ってきました。
実はYouTubeとニコニコ動画のパスワードがわからなかったので、管理をお願いしている知り合いの人にメール書いたりしたんですが連絡取れずで、その事も含めて金曜の夜の出かける前にblogに書いたんですが肝心の”公開”ボタン押すのを忘れてたみたい。
さっき気が付いた(゜-゜)\バキ


– 敵機発見。すかさず増槽を落とし、編隊の前へ出る坂井三郎 –

まぁ・・・言い訳すると、仕事から帰ってきてシャワー浴びつつパスワード思い出しーの、フジロック行く為の支度も有りーの、夕飯食べーの、フジロック行くメンバーと電話でしゃべりーの、blog書きーの、それでもパスワードわからないので知り合いにメール送りーのってな感じだったのですよ・・・

(´・ω・`)サーセン

慌てると良くないですね。
皆さんも日ごろから前もって準備するように心がけましょう。

と言う事で、知り合いからのメールでパスワードも無事ゲットできましたので今からアップロード致します。

フジロックの方はですね、今年はあいにくの雨と言う事でドロドロになりましたが良かったですよ。
屋外でのライブは晴れたら晴れたでこれもまた辛いので・・・日射病とかで結構倒れる人もいますので。
まぁ雨よりかは良いですけどね。

後、PAのそばだと音圧でやられちゃう人もいますよね。
特にメタル系とかラウド系のライブとかでPAのそばだと胸が押しつぶされるかと思うほどの音圧だったりします。

おっと!YouTubeの方がアップできたようです。

ニコニコ動画の方は結構時間が掛かるんですよね・・・
なので明日の夜くらいだと見られるかもしれません。
と言う事で、お暇な方はYouTubeかニコニコ動画でどうぞ。

「LONG WAY BACK」完成です。

眠いよ~(´ρ`)

2連休は引きこもる

おはようございます。
今朝の関東地方は涼しいです。
風があって気持ちいい。
つーことで、洗濯機を回しつつ近所のスーパーへと買い物に行ってきました。
この連休の間、自宅に引きこもる為の食料の調達と、本日はミートソースを作りますのでその材料などを買いに行って来ました。

ミートソースの材料は・・・

にんじん、たまねぎ、セロリ、にんにく、牛ひき肉、ホールトマト、野菜ジュース、鷹の爪を風味付けに少々。
他には当たり前ですがオリーブオイル、赤ワイン、ローリエの葉。
甘味が足りない時はケチャップを少々入れて調整します。
こんな簡単な材料でも結構おいしく出来ます。

作業自体は30分くらいで、後は2時間ほど煮込むだけなので楽チンです。
みじん切りがちょっと面倒ですが、フードプロセッサーとか使うと楽チンです。
でも、洗うのが面倒なので使ってません(゚Д゚)ハァ?

と言うことで、現在の時刻は11時くらいですかね?
続きは後ほど。
つーことで、お料理&ビデオの製作をはじめるよ(*^ー゚)ノ


– 完成~♪ 無駄に写真の加工に凝ってみた –

今、丁度3時半くらいですね。
美味しく頂きました。
かなりいい感じに出来ました。
鍋が冷めるのを待って、残りは冷凍にします。
こうしておくと長いこと保存ができます。

因みに、イタリアにはいわゆるミートソースと言うのはありません。
和えたような感じで出てくるボロネーゼと言うのがありますが、味的にはそれが近いですね。
ナポリタンと言うのもありません。
洋食屋さんで出てくるメニューは、その殆どが日本オリジナル(何かにインスパイアされた)メニューだと思われます。
アメリカで言うところの”カリフォルニアロール”と日本の海苔巻きの関係に似ているかもしれません。

ちょっと写真の加工を頑張り過ぎましたね。
レンズフレアーが眩しい。

と言うことでミートソースは完成しました。
引き続きビデオの製作作業に入りたいと思います。

では後ほど(・ω・)ノ


– 傷ついたV-110 – 山口中尉機に寄り添うように飛ぶ坂井三郎 –

と言うことで、今日3回目の書き込みですね。
もうすぐ10時なので、今日の作業は終了です。
レンダリング中なのでコレ書いています。
一晩寝かして、明日もう一度見て、それから微修正して完成だと思います。

今回は長かったなぁ。

もう、何がなんだか・・・自分的にはあまり気に入っていませんが、何をどうすれば良くなるのかさっぱりわかりません。
まぁ要するに実力不足なんでしょう。

このblogに書いてなかったらお蔵入りですね。
それくらい微妙な感じ。

今夜一晩寝て、夢の中で何かを悟れたりしたら嬉しいのに。

ふぅ~(´。`)

ようやく休み。
週末は仕事でした。
時代の転換期に立ち会うと言う事は、この先の自分の人生を考えてもあまり無い事だと思う。
なので良い経験になった。

今日は会議やら打ち合わせなど諸々あって出社。
んで、明日と明後日はお休み。


– 坂井機と笹井機 – そろそろ色味も決めないと –

先週は忙しかったせいか殆ど進展なし。
そうは言っても、夜中帰ってきてからチマチマとAEをいじってた。
でも亀の歩み。

さっき。

ホントついさっき。
ちょっと戦闘シーンが欲しかったので、久々にIL-2を起動した。
FMBでMAPに敵味方を配置して撮影開始。

が、気が付いたらいつもの”追いかけっこ”になっていた。

残念ながらUP2.01ではAI_MODは効かない。
以前、そんな事をこのBlogで書いたらwild duckさんも同じ事をコメントで教えてくれたので間違いないと思われる。

元々私は操縦が下手なので、それでなくても戦闘シーンには毎回泣かされてばかりなのですが、IL-2恒例の”追いかけっこ”には本当に泣かされてばかりだ。
因みにビデオ”RABAUL”で使用したのはHSFX+台南工廠MOD+SASMOD&改造と言う感じだった。
なのでこの”追いかけっこ”は発生せずに済んだのだ。

むむむ∩( ・ω・)∩

今からHSFXの古いのを入れるのは今更感があって抵抗があるし、かと言って新しいHSFXを入れるのは自作MODの互換性の問題があるので、そんな事を検証している時間も暇も無いし。

どないしまひょ。

とりあえず仕込み開始

例のサポートからのメール待ちの状態に少々飽き始めた私。
する事がないので仕込みを再開していみた。


– 西沢機と太田機 –

本当にコレで正解か?と問われれば「知りません」と答えるしかない。
それくらい当時の資料は少ない。
仮に機体番号が正解だとしても、機体の色、書体、帯の数、帯の色等々、カラー写真でも無い限りさっぱり分かりません┐(゚~゚)┌
それに、陸上基地の搭乗員には愛機と呼ばれる概念は無く、その都度違う飛行機に乗っていた訳で、どの作戦の時にどの飛行機に乗っていたのかを記した資料もネット内で見つける事は出来ませんでした。
もちろん、その中でも”良く乗った”機体はあったようなので、それを愛機と呼ぶ事はあったらしい。
細かい事を言えば、それも戦中からなのかそれとも戦後になってから便宜上そう呼ぶようになったのかは分かりません。

案の定と言うか、今回も海外のサイトが頼みの綱だったのは悲しい限り。
日本のサイトはいつものパターンで途中からあらぬ方向へと行ってしまう。
「祖国の為に命を捧げた英霊達に感謝!!」とか何とか書いてあった後に、いきなり幼女の裸のイラストとか出てきて「〇〇タン」とか何とか書いてある。

きっと草葉の陰で泣いてるよ・・・英霊達も。


– 西沢広義 享年24 –

いつの頃に撮られた写真かは定かではありませんが、とても24歳には見えません。
命を懸けると言う事が、この若者にどれ程の重圧を与えていたのかが分かる写真です。
”老ける”と言う事ではなくて、貫禄のような物だと思われます。


– 飛行服に軍刀 –

こちらの写真もいつ頃撮られたのか定かではありませんが、上の写真と比べるとまるで別人のようです。
時期的な事もあると思いますが、赴いた戦地によっても置かれた状況は違うので何とも言えません。
比較的余裕があった頃に撮られたものだと思われます。


太田敏夫 享年23 –

坂井三郎さんによりますと(Wikipediaより引用)

「(太田は)色白の好青年で、いつもにこにこしていて、どちらかというと、おとなしい男でしたが、実戦には強かった。(中略)あばれん坊のそろっていた戦闘機隊では、ちょっと珍しい貴公子的な存在でしたね。」
だそうです。
写真からもそんな雰囲気が伝わってきます。
実戦にも強かったと書かれてありますが、その片鱗を大空のサムライの中にも読み取る事が出来ます。
台南空が5機のB-17を全機撃墜した時も、太田さんがB-17を撃墜する様子が書かれています。

今回調べていて初めて知ったのですが、元々は戦艦金剛勤務だったんですね。
坂井さんも元々は戦艦霧島、戦艦榛名勤務だった。
硬直した人事と思われがちな旧日本軍ですが、下士官達にはこうして選択していく道も細いとはいえあった訳ですね。
尤も、今より遥かに職業選択の幅が狭かった時代なので、本人の努力があっての事なのは言うまでもありません。
その努力の一端は、大空のサムライを読む事で垣間見る事が出来ます。
坂井さんがパイロットになる為にどれだけの努力をしたか、さりげなく書かれていますが大変な努力があった事は想像に難くないと思います。


– 在りし日の台南海軍航空隊 –

職業選択の自由が叫ばれて久しい昨今ですが・・・

私を含めて、現代の若者が自分の仕事に就くのにこれだけ努力した事があるでしょうか?
私を含めて、現代の若者が自分の仕事にこれだけ真剣に向き合った事があるでしょうか?

口を開けば上司の悪口や会社の悪口。
さしたる努力もせず、上手く行かないのは社会が悪いと言い、自分のおかれた状況が悪いのだと言う。
他人の失敗を笑い、自分は何もしないで他人の揚げ足を取る。
口だけ達者な人々が溢れ、知識自慢の頭でっかちがネット内を跋扈する。

英霊達は何を思うのでしょうか。

Grievous Bodily Harm

暇になると夜遊びの虫が騒ぎ出すのは世の常で、昨夜は都内の某クラブで待ち合わせ。
店の前からして私が普段行くようなクラブとは違うなぁと思ったのも束の間、入り口へと通じる階段の途中では〇〇やら××な連中の姿もチラホラ。
で、中に入るとやっぱり子供ばかりで┐(゚~゚)┌な勢い。

ほぼ真っ暗な店内に鳴り響く音楽はハードコア系のパンクをサンプリングした打ち込み系で、合わせて流れていたビデオはsnuff videoを彷彿とさせる。
所々にライブ映像っぽいシーンがチラホラあって誰かな?と思って見てたらDead Kennedysだった。
サンプリングされた音源はG.B.H.なのに映像はDead Kennedys(´д`)

百歩譲って音楽の事はいいとしてもsnuff系の映像を流すのは本当にやめてほしい。
グロは弱いんだよ・・・(゚Д゚;)
面子が揃ったところで店を後にしたのは言うまでも無い。
たぶんもう二度と行かない。

んで、今朝は掃除やら洗濯やらしつつPC内部のお掃除に着手。
ケース両脇の蓋を開けブロアで吹きつつ掃除機で吸ってた。
半年に一回の大掃除ですが、ケースにフィルターが付いているとは言え埃が溜ってた。
あとはフィルター洗って、夏の間がんばってくれた5コあるファンのうち2コを止めた。
残りの3コも回転数を下げて冬仕様として作業は終了。

静かになったので満足なのであった(´ー`)

さて、ビデオの話。
遊び呆けていながらも暇を見つけてはミッションファイルをチマチマと作っていた。
仕込みなんだから仕方がないとは言えかなり地味な作業で、焼き鳥屋さんで例えるなら串刺しと言ったところだろうか・・・
こないだ行った都内某所の某有名焼き鳥屋さんの味が忘れられない今日この頃。

地味な作業にも飽きたので、気分を換えて土地開発に手を出した。


– 映画”未知との遭遇”で有名になったDevils Towerではありません –

かなり適当な作りですが、映画のセットなんかも裏から見るとベニア丸出しですからね。
ようするに”それ風”に見えれば良いわけですから。
本当はmapでそれっぽいのがあれば良いのですが、探して見たけどありませんでした。
漢口のmapは有りましたけど残念ながら宜昌峡までは含まれていなかったんですよね。


– 文字通り壁しか作ってない図。ビバ手抜き\(^o^)/-

手抜きなせいか微妙な出来栄え。
ま、いっか。

気を取り直して早速テスト飛行だよ。


– 天候の急変により、やむなく宜昌峡を飛ぶ坂井三郎 –

雨を降らすと意外といい感じ。
MSFSの時もそうだったけど、飛行機飛ばして真面目に遊ぶよりも、こんなかんじでくだらない事やってる方が楽しかった。
因みに私はMSFSのアラスカに家を二軒と、都内にビルを所有しております。
勝手に建てたのはナイショ(゚ε゚)
そのせいなのか、いつまでも経っても操縦が上手くならない。


– 12空時代の坂井機。 因みに宜昌峡を飛んだ時の乗機がこの機体だったかは定かではない –

そんなこんなで一人悦に浸りながら買ってきたアイスを食べる。
本日のアイスはブラックサンダーモナカ。
普通こういうことをBlogに書く場合は写真を撮るのが常ですが、私の場合は本能がそれを許さない。
食べると言う本能が、写真を撮ると言う考えを打ち消してしまうからだ。
なので写真は無し。
いつも食べ終わった後に「写真を撮れば良かったなぁ」と反省するものの、めんどくさいので「ま、いっか」と思う日々。
因みにアイスのお味の方はと言うと、ブラックサンダーアイスの”あの甘さ”を良い意味でも悪い意味でも引き継いでいるので、甘党のデブ以外は余程甘い物を体が欲している時以外に食べるのはお勧めできない。
モナカがちょっとフニャっとしてるのも好みの分かれるところかも。

でもおいしい。


– 標高4000メートルは本家Devils Towerも真っ青。これ以上高くするのは無理みたい –

今日はこれからお友達と買い物に行ってくるよ。
銀座三越がリニューアルしたので(゚ε゚)

ナウなヤングの休日は銀ブラで決まりだね(*^ー゚)ノ

OUT OF JAIL

ノーベル化学賞に二人の日本人が輝いたそうで、科学離れが進む我国においては何とも嬉しい限りですよね。
これを追い風にして優秀な人材が育って頂ければ良いなと思いました。
受賞した根岸さんが「若者よ、海外に出よ」と言ったらしいですが、私なら「若者よ、部屋から出よ」と言いますね。
居心地の良い部屋から出て外で働けって感じです。

冗談ですけどね(゚ε゚)

でも、若いうちに海外の生活を経験するのは良いと思いますよ。
私も人生観変わりましたから。

さて、前回の続きです。

1993年に発見された新事実まで書きました。
青帯ではなく赤帯だった事、修理の後に塗りなおしたのではないか・・・と妄想した事も書いた。
結局坂井さんはあの日何色の帯で何番の飛行機に乗ってたのだろうか?

答え=わからない。

坂井さん本人が青帯でV-103に乗ってたと言うのだからそれで良いかなぁとも思うのですが、ヘンリー・サカイダ氏や渡辺洋二氏の意見が違うのが引っかかるわけです。
だってこのお二方が勝手な事を書いてるとは思えないんですよね。
取材して書いてる訳ですから。

ただですね、大空のサムライに掲載された絵があるのですが、あれは”坂井三郎空戦記録”、後の大空のサムライの出版を記念して昭和28年に鈴木御水画伯が描いた絵画なんですが、それは”V103”なんです。
ハイフン無しですが、坂井さんに取材して書いた物としては最も古い物ではないかと思います。
時間の経過と共に人の記憶は曖昧になると言われていますが、終戦から8年、あの出来事から11年と言う年月を考えると、この絵画に描かれた”V103”は、他の情報に比べると信憑性が高いのでは無いかと思っています。
ただし、他の情報も鑑みるに、ハイフンが無いのはおかしいと思うので、私はハイフン有りでV-103を採用しようかと思います。
と言う事で、引っ張った割には大した推理も無く、勝手な妄想と身近な資料のみで塗ったのがこれ。


– グレー系の色で汚しを強めに入れて兵器っぽさを強調したつもり –

堂々巡りな事をあんまり考えるのは良くないと思いまして。
今は「これが正解」と言う心境です。
タイムマシンが開発されるまでのお楽しみと言う事で(゜-゜)\バキ

本音を言うとあまり時間が無いんですよね。
納得したものは作りたいけど、暇な時期にしかビデオとか作れないので・・・
と言う事で笹井中隊長機も勢いと妄想だけで塗ったのがこれ。


– 手前が笹井機でその後ろが坂井機 –

笹井機は青帯二本に黒文字でV-121。
これは検索したら一つしか出てこなかったので選択の余地無し、事実確認の方法無しと言う事で躊躇する事無く決定。
これが正解だと思って見ていると正解に思えてくるから不思議だ。


– V-103とV-121 昭和17年8月の空で –

こうやって見てみると、V-103の胴体に描かれた線が濃い気がしますね。
あとで修正しなきゃ( ´・_・`)

さて、とりあえずこれでリペイントはお終いです。
楽しんでやってるように見えるかもしれませんが、リペイントは本当に苦手です。
ただ、今回のように色々な事を調べたりするのは知的興奮が味わえるので楽しいですね。
少し残念な事と言えば、今回調べたものをした中で有意義な情報を得られたのは海外のサイトが多かった事です。
もちろん日本のサイトにも有意義なサイトはありましたが、傾向として途中からあらぬ方向へ行くのが日本のサイトの特徴でしょうか。
零戦の話題と幼女の裸の絵などが混在しているのは、日本のオタクならではだと思いました。
日本が産んだ零戦を真面目に語っているサイトが海外に多いと言うのは、ある意味嬉しくもありますが残念でもありました。

それと、プラモデルを作られている方々のサイトなどはとても参考になりました。
本当に深いところまで研究されている方々が多く、まるで本物かと見紛う程の作品群には感動すら覚えたほどです。

と言う事で、次の段階に進みます。
次はMission.fileの作成です。
前作のRABAULでは30個くらいのMissonを作成しました。
今回はもう少し整理して少なめに抑えようかと思っています。


– 次回作用のskinの用意は既に完了 –

このビデオの製作が終わったら知り合いのドイツ人からのリクエストに着手しようかと思っています。
2年以上前からのリクエストなので(゚Д゚)ハァ?
これ以外のskinは全て他のリペインターの方々の作品を使わせて頂く予定なので、苦手な仕込み作業がない分早くできそうです。

でも時間が足りないなぁ。
やりたい事いっぱい∩( ・ω・)∩

Dinosaur’s Skin

中国の民主活動家、劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞したそうですね。
これは国際社会から中国への痛烈なメッセージだと言えますが、このニュースを聞いて私は劉少奇氏の事を思い出しました。
文化大革命の中で非業の死を遂げた氏と、現在投獄中の劉暁波氏が重なって見えたからでしょうか。
恐ろしい話ですが、今の中国共産党の中枢を担っているのは、当時、紅衛兵として党幹部や自分の親までをも”革命”の名の下に粛清した世代だと言われています。
文化大革命では数百万人から1000万人以上が犠牲になりました。
翻って我国の中枢を担う世代の中には、いわゆる全共闘世代と呼ばれる人達がいます。
ほぼ同時期に両国で起きた”革命”に染まった世代が、今の両国の政権運営を担っているのは皮肉な事でもあり、同時にあの時代から続く一本の血塗られた鎖のようなものを感じずに入られません。
事実、某長官は度々この文化大革命を引き合いに出し、時には賞賛しているかのような発言をする事でも有名です。
仮にイデオロギー以前の問題としても、多感な少年期や青年期を革命や粛清などと言う血なまぐさい活動に日々明け暮れた人々がまともな大人に育つとは思えないので、果たして両国の”この世代”にまともな国家運営が可能なのか疑問に思うのです。


– 劉暁波氏と劉少奇氏 –

かつて中国共産党のナンバー2であった劉少奇氏は暖房もないコンクリートむき出しの倉庫部屋に幽閉され、1969年の11月12日に亡くなりました。
たしかに時代は変わりましたが、こうやって考えてみると”人”が変わっていないのが今の中国だと言う事がわかります。
そして、悲しいかな今の日本も、歪んだイデオロギーに取り付かれた40年前の亡霊が国家の中枢にいるのです。
劉暁波氏が無事に釈放され、中国の民主化が進む事を願いつつも、劉少奇氏の悲劇を起こした中国と言う国の姿を忘れてはいけないと思いました。

と、ニートなくせに国士気取りで一丁前な事を言うネトウヨ的な書き出しで始まりましたが、ここはビデオ製作の記録を綴るBlogです(´ー`)サーセン

さて、前回の続きです。

そもそも8月7日のあの日、坂井三郎さんはV-103に乗っていたのか?
結論から言いますと「確実に乗っていたとは言えない」と言うのが正解だと思います。
やはり証拠が乏しいです。
例えるなら”推定無罪”と言ったところでしょうか・・・
言い切るには有力な証拠が必要ですが、残念ながら有力な証拠はまだ出てきてはいません。
ただし、現時点においてもっとも有力な説であるのは間違いないでしょう。

まず、諸説あるこの日の搭乗機を整理すると・・・

・ヘンリー・サカイダ氏はV-128説。
・渡辺洋二氏はV-138説。
・大空のサムライに掲載された鈴木画伯の絵画ではV103となっています。
・坂井さん自身はV-103に乗っていたと言っています。

それならV-103で決まりじゃないかと思うわけですが、1993年に海の向こうから新事実がもたらされます。


– V-103が発見された場所と思われる湿地帯 –

Pacific Wrecksによると、1993年にガダルカナル島ヘンダーソン基地の東5マイルの地点にある湿地帯にできたクレーターの中で、一機の零戦が水につかった状態で発見されたそうです。
その機体の垂直尾翼にはV-103と書かれてあったそうです。


– 発見されたV-103を再現したイラスト –

※原文まま
”A 15cm red diagonal strip of a Shotai leader was painted on the fuselage. Also a white strip 10cm on the tail above the number. Painted in a overall gray color with a black cowl”

なんと!このV-103は青帯ではなく、赤帯を背負っていたそうです。
肝心の赤帯が映った写真を発見する事は出来ませんでしたが、1994年に放送されたNHKのドキュメンタリー番組の中では映っていたのでしょうか。


– 機体の破損状況とは裏腹に、意外と色鮮やかな日の丸の姿に涙 –

製造番号3647の三菱製だったそうで、インドネシアで乗っていた例のV-103の製造番号が判れば同じ機体だったかどうかも判りますが・・・

それにしても( ´・_・`)

通説では”青帯”と言われていたV-103が、いきなり「赤帯です」と言われても個人的には物凄く違和感を感じるわけですよ。
そう、それは「実はティラノサウルスの全身は毛に覆われていました」と聞いた時のあの違和感にも似たなんとも釈然としない思いなのだ。

ここでまた納得する為の勝手な妄想をすると・・・

大空のサムライを読むと8月7日のあの日、坂井さんは笹井中隊の第二小隊長として出撃したとあります。
さらに、加藤寛一朗(著)零戦の秘術を読むと、午後一時ごろに太陽を背にしてグラマンが襲って来たとあります。
この戦闘で坂井さんは列機とはぐれてしまいます。
坂井さんはその事を中隊長に報告するべく”青い二本線を胴体にまいた”笹井中隊長機に近づいて行ったと、大空のサムライには書かれています。

”青い二本線”

残念ながら、この線の色の正確な意味や本数による違いを私は知りません。
しかしながら、同じ中隊であれば同じ色と考えるのが自然な事だと思いますし、二本が中隊長で一本が小隊長と考えるのも自然な事だと言えるのではないでしょうか。

※余談ですが、大日本絵画発行の”エアロ・ディテール 7 三菱 零式艦上戦闘機”を見ると、本田敏秋三等飛行兵曹の搭乗機のイラストがありまして、この機体にも青帯が一本描かれています。
なので、中隊長が二本で小隊長が一本とは言い切れないかもしれません。
本田敏秋さんは坂井さんの2番機として有名な方です。
因みにこのイラストに描かれた本田機の機体番号は”白文字に赤フチ”でV-126と書かれていて、インドネシアで乗っていた物のようです。

ここでまた妄想すると、インドネシア時代の機体には全て青帯が描かれていて、ソロモンではリーダーのみ青帯を付けたのではないでしょうか。
ここはひとつロービジ化という事で手打ちに・・・(゚Д゚)ハァ?

話を戻します。
いくつかの戦闘を経たあと、残念ながら坂井さんは8機のドーントレスに撃たれてしまい、約5時間かけてラバウルに戻ります。
が、瀕死の重傷とはいえ4時間47分も飛べたわけですから、機体そのものには致命的な破損は無かったと考えられます。
つまり、廃棄する事無く修理後に復帰したと考えるのが妥当だと思います。
もし、別の中隊にこの機が割り当てられたとしたら、青帯を赤帯に変えたとしてもおかしく無いのではないでしょうか。

この機は、8月7日から10月25日までの間に撃墜された可能性があるそうです。
搭乗員の遺骨も発見されたそうですが、今現在も身元は判っていないようです。
可能性のある7人の名前が載っていましたので原文のままで記載します。

Kenichi Kumagai (KIA, August 26, 1942)
Takeichi Kokubu (KIA September 2, 1942)
Toraichi Takatsuka (KIA September 13, 1942)
Noboru Sato (KIA September 13, 1942)
Yoshifusa Iwasaka (KIA October 15, 1942)
Yozou Sugawara (KIA October 18, 1942)
Isao Ito (KIA November 12, 19423)

いずれにせよ、この7人の日本人が、遠い異国の地で亡くなった事だけは紛れも無い事実なのです。


– 無残な姿の零戦。発見してくれた方々に感謝 –

ちょっと長くなってしまったのでこの続きはまた次回にしようと思っていますが、最後に一つだけ書きます。

丁度この事を調べていた時にフィリピンでの旧日本軍軍人の遺骨収集事業の事が話題になっていました。
報道の全てが正しいかどうか判りませんが、番組を見た限りでは某NPO法人のずさんなやり方に憤りを覚えた方もいたと思います。
非営利団体とは言え、厚労省が計上したこの事業の予算は4000万円を超えるそうです。
もし、金の為に偽の遺骨と知りながら収集しているのであれば、戦争中に祖国の為に戦って亡くなった日本人や、遺骨の帰りを心待ちにしている遺族の方々に対してあまりにも失礼ではないでしょうか。
また、金になるからとの理由から、現地人により盗掘されたフィリピン人の遺骨も少なくないと聞きます。
これはフィリピンの方々へも多大な迷惑を掛けている事にもなります。
まるで時代の流れに押し流されたかのように、日本人の心の中から死者への畏敬の念が無くなりつつあるのでしょうか。

親の年金目当てに死亡届を出さず遺体を放置した件といい、今回のこの問題といい、今こそ日本人の倫理観を考え直す良い機会なのかもしれません。
民間に丸投げの国と、金の為に死者の亡骸に群がる民間という図式が仮にあるのだとしたら、この国は随分とくだらない国に成り果ててしまったと言わざるを得ないと思います。


– V-103と一緒に発見された拳銃 –

仕込み再開

昨日、一昨日と実家に帰ってた。
3連休もあっという間。
家にいてもする事が無いので、父親の車を勝手に乗り回して近くの海まで行ったりしてました。
久々の運転なうえに(パーキングブレーキの解除の方法でもたついたのはナイショ)左ハンドルなのでかなり緊張しましたが、良い気分転換になりましたとさ┐(゚~゚)┌

さて、苦手な仕込みの続きですよ。

坂井三郎さんと言えばV-103の零戦ですよね。
今回はこれを塗りました。


– MITSUBUSHIの表記に軽い眩暈。パチモン共和国製なのだろうか?-

V-103と言えば8月7日に坂井さんが乗っていたとされる機体ですが、その前、つまりインドネシア等で乗っていた零戦の機体番号は何だったのか分からないんですよね。
私が調べた限りでは”AIRFIX”と言うプラモデル?の箱絵に描かれた”青帯、白文字に赤い縁取りのV-103”と、タミヤ模型さんのプラモデルの箱に描かれたイラストのものがインドネシア(バリ島)で坂井さんが乗ってた機体らしいのです。
あとは海外のサイトで見つけた数枚のイラストのみ。
※タミヤ模型さんの説明によればこの”青帯、白文字に赤い縁取りのV-103”が、台南航空隊所属 坂井三郎 一飛曹 搭乗機 (昭和17年2月/バリ島デンパサル基地)なのだそうです。


– タミヤ 1/48 傑作機シリーズ No.016と、海外のサイトで見つけたV-103のイラスト –

上のAIRFIXさんのは、MITSUBUSHIなんて書いてあるので信頼度は低いわけですが、天下のタミヤ模型さんの方は信用できるんでないのん?と言うわけで小躍りしたのも束の間、実はその後も他の調べ物をしていて気になる記載がチラホラと・・・(´д`)

と言うのは「意外とタミヤ模型はいい加減だ!」と言う書き込みを散見いたしまして・・・
いや、これは何もタミヤ模型さんに限った事ではないようで、専門書の類などの中にも不正確なものもあるようで・・・
ただですね・・・やっぱり敗戦の影響からだと思いますが、いかんせん当時の書類や写真などの記録が少ないのである意味仕方が無いのかもしれません。
で、悶々としてるのもなんなので、私が勝手にタミヤ説を採用して塗ったのがこちら。


– グレーっぽくならないように、ちょっと明るめにしたデンパサル基地時代のV-103 –

ソロモン時代にもV-103が出てくるので、ちょっと区別する意味で”白っぽい”感じにあえてしています。
機体番号の色が違うわけですが、パッと見の印象も変えたかったので。
星の数なんかも諸説あるし、そもそも星なんか無かったという意見もあったりで、もう本当にカオス状態なんですよ(;´Д`)

で、さらに私を混乱させるのが数少ない当時の写真&現代に描かれたイラストなんです。
つまり、私が知りえる情報の全てが逆に私を混乱させると言う困った展開。
それがコレだ~1、2、3!


– 中国大陸で鹵獲されたと言われる台南空の零戦のイラスト –

この頃の台南空の機体ナンバーが”白文字に赤フチ”と言う事がわかるイラストです。
が、この鹵獲された零戦の写真を見てみると・・・


– 鹵獲されたV-172 –

いかなる色彩感覚を持ってしても、この写真の機体番号は”白文字に赤フチ”には見えない。
では上のイラストを書いた人は、一体何を見て”白文字に赤フチ”で機体番号を書いたのだろうか?

しらんがな(´・ω・`)

それに”白文字に赤フチ”の機体番号の写真を私はネットで発見する事が出来なかったんですよね。
考証とかされてる方は所蔵されている書籍や資料の中に”白文字に赤フチ”の写真を見ることが出来るのかもしれませんが、残念ながらネットにはイラストはあっても当時の写真はないんです。
まぁ、と言いましてもニワカな私が数時間探しただけですので、あとでもう一回探してみたら出てきたりして( ゚∀゚)

おまけにソロモン時代のV-103は黒文字なんですよね。
一体誰がいつどこで塗り替えたのか?

で、ここから推理というか、納得する為に勝手な妄想をしてみると・・・
大空のサムライを読むと、バリ島を出て坂井さん達はオンボロ貨物船小牧丸に乗って一路ラバウルに向かいます。
今まで使っていた零戦は内地帰還組みに譲り渡したそうです。
※内地帰還組みがこれに乗って日本へ向かったのかまでは書かれていませんので、もしかしたらバリ島の基地に置いったのかもしれません。
後日、坂井さん達は、特設空母春日丸に乗ってやって来た”新しい零戦”を手に入れたとあります。
これが新造の零戦なのか、それともバリ島時代の零戦を修理またはオーバーホールした後のものかは定かではありません。
いずれにせよ、このタイミングで再塗装及びマーキングを変えた可能性があると思われます。


– 素の色。ビデオ製作時に”色味”を変える事を考慮してこの色に決めた。-

航空自衛隊などもIRAN時に再塗装される場合もあるようですし、転属に伴いマーキングを変える場合もあるそうですから・・・
バリ島時代よりも激戦が予想されるソロモンに向けて、いわゆるロービジ化したのではないだろうか・・・なんて妄想をしてみたり。

ふぅ~(´。`)

こんな事なら誰かが塗ったskinを使えば楽でよいのでしょうが、私もいつまでビデオ作りを続けるかわかりませんので、ある程度は自分が納得したものを使いたい心境だったり。


– ブ~ン♪ 平和な空が一番・・・と思いきや遠くには砲撃による水柱が –

ところで地上勤務、いわゆる基地搭乗員に愛機というものは存在しなかったそうです。
これは坂井さんご本人も生前そのように仰っておられました。
ただし”よく乗った”という機体はあったそうで、坂井さんもV-103以外にV-104、V-107、V-128、V-138、V-172などに乗った事があるらしいですが、その中でも特にV-103とV-128にはよく乗られたらしいです。

”信頼のおける機体”と言う意味からすれば、これらを”愛機”と表現するのは自然な事のように思えます。

次回はソロモン時代の坂井さんの愛機の謎に迫りたいと思います。

修正したよ

昨日のゴルフでちょっと筋肉痛。
ドライバーを振り回したのがいけなかったのかも。
珍しくドライバーの調子が良かったので、ストレス発散とばかりに思いっきり振り回した。
おかげでボールを5個も無くした(´д`)
ニューボールに換えたとたんロストするのは神の仕業か悪魔の仕業なのか。
ホント・・・嫌がらせならやめて欲しい。

と言う事でスコアは散々だったとさ┐(゚~゚)┌

さて、九六式艦上戦闘機ですが、やっぱり修正する事にしました。
実はあの後、(続)大空のサムライを読んでいて気が付いたのですが、坂井さんは九六式艦上戦闘機の色の事を”銀色”と表現してたのだ。
日本語には”銀シャリ”なんて言葉もあるので、銀=シルバーとは言えない訳ですが、そのすぐ後に坂井さんは零戦の色を薄ネズミ色と表現していた。
明確に2機の色を分けて表現しているので、これは間違いなく”銀色”なのだとおもう。
当時の写真などで薄々は気が付いていたものの、こうはっきりと撃墜王から言われてしまうと手抜きは出来ない。
と言うわけで他の修正点なども見直したのがコレ。


– 色味はいじっていない素の状態 –

あわせて胴体の日の丸を大きくした。
これで心置きなく次のステップへと進めるわけですが、編隊飛行させるのなら他も塗らないと駄目になった。
デフォのskinはシルバーじゃないからさ・・・( ´・_・`)

めんどくさい事は後回しで、さっそく自分で塗った九六戦でI-16と対戦してみた。


– このいかにもヤラレキャラっぽいチビデブシェイプなI-16 –

坂井さんが初陣で撃墜した事でも有名な機体だ。
早速戦ってみたものの、ありえないくらいの高速でロールするは、最高速度も結構速いはでかなり苦戦。
Wikipediaには”やられ役”って書いてあったのにヽ(`Д´)ノ
装甲が厚いせいなのか有効弾を与えたつもりが全然効いてなかったり。
それでも最後はなんとか撃墜できましたけどね。


– 追い詰めた!こちらも右翼端に被弾・・・文字通りの死闘だった。引き続き色味模索中 –

でも楽しかった。
小回りの効く機体どうしなので文字通りのドッグファイトとなる。
今度はちゃんとTrackIRとラダーペダルを準備してからやってみよう。
リペイントもそうだけど、下手は下手なりに楽しめるのだ。
この勢いで三式陸上初歩練習機も修正するかなぁ。
それに、中華民国のskinも用意しないとなぁ。

やることいっぱい∩( ・ω・)∩

苦手な仕込み作業

三式陸上初歩練習機の件は先送り。
修正するのも面倒だし、それを考えるのも面倒。
気が向いたら修正しよう。

で、今日は九六戦をいじる。
実はこれは簡単だろうと思ってた。
なぜなら、デフォルトのskinに機体番号を描き込めば良いだろうとおもっていたから。

ところがどっこいw(゚o゚)w

デフォルトのskinがどこにも見当たらないんですよ。
IL-2のフォルダ内をくまなく探してみても無いんです。
まぁ・・・無いものは仕方が無いんで塗り始めましたが、本人のイメージに技量が追いつかないと言ういつもの展開。
デフォのskinに近い色でベースを作って坂井さんが3空時代に乗っていた機体の機体番号を描いて完成ヽ(^O^)ノと思ったのも束の間、水平飛行する3空所属の九六戦の写真を見ると機体番号がナナメになってる。


– 3-120が坂井三郎機。この時代の機体番号は全てこうなんでしょうかね?-

着陸状態で水平になるようになってる。
仕方が無いので修正。
因みに約12~13度くらいノーズアップしてる感じだった。
最初は5度くらいかな?とか思いながらチマチマやってたので結構面倒だった。


– 次回作の色味を模索中 –

機体番号はもう少し下かなぁ?とか、もう少し文字は大きい方が良いかなぁとか・・・色々不満はある。
が、直すのがめんどくさい・・・
他人にあげる訳でもないのでこれでいっか∩( ・ω・)∩

あと、本物の写真だと脚が黒く塗装されているように見える。
でも、こっちの写真を見ると脚は白のままなのがわかる。


– 大空のサムライにも掲載されていた坂井小隊の美しい編隊 –

機体番号が同じなので同じ機体だと思います。
脚だけ塗ったのか、それとも影になってる部分が黒く見えるのか・・・
まぁ、確認する方法はありませんのでね・・・タイムマシンでも発明されるまで待ちましょうか┐(゚~゚)┌

大戦機など、特に敗戦国である日本機の考証は資料となる写真や書類などが少ない為難しいんですよね。
私も”リペイントもどき”を行なうにあたり一応調べたりしていますが、いろんな意見があったりして”これだ!”と言うものには中々巡り合う事が出来ないんですよね。

零戦の色なんかも色々な意見が出てますよね。
考証的な正しさを追及するあまりなのか他人の意見に一切耳を傾けず、まるで喧嘩腰のように自分の考えを述べてる人を掲示板などで散見しますが、それも”いくつかある考えの一つ”とは思えないようですね。

一見同じようなタイプに見られがちなマニアな方とオタクの違いって、実はここら辺にあるような気がします。


– 朝靄の九六式艦上戦闘機 さらに色味模索中 –

とりあえず私バージョンの九六式艦上戦闘機完成です。
3-108、3-113号機を作るかは未定です。
めんどくさがり屋なので(´・ω・`)

やっぱり三式陸上初歩練習機も直さないとなぁ・・・

と言う事で、ちょっと友達とゴルフの打ちっぱなしに行って来ます。
明日はゴルフに行くのだ。
その前にちょっとだけ練習(*´ー`*)