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春の海 ひねもすのたり のたりかな

ちょっと遅いGWを頂いて日本海側を旅して来ました。
学生時代にお世話になった方が鳥取へ引っ越したので、まずはそこへ遊びに行って、そこから東へ移動して島根原発を見て、そのあと福井県に行ってもんじゅやら何やら見て、そのあと京都から新幹線で帰ってきました。

やっぱり地方は良いですね。
なんと言っても人が少ないのが良い。
街とかも歩きやすいし、忙しなくないのが凄く嬉しい。


– ふと、与謝蕪村の句が頭に浮かんだので激写 –

日本海と言うと、個人的には”冬の荒ぶる海”といったイメージがありますが、このように春の海は静かでした。
宿泊したホテルの前が開けていて、日がな一日海を眺めるのには丁度良い感じで、人もまばら・・・と言うかほぼ無人だったので良かったです。
尤も、ホテルの人にとってこの状態は死活問題なので、もっと賑わってる方が良いのでしょうけれども。
この辺りは、ある意味地方が抱えるジレンマなのかもしれません。
都会に住む人から見た地方の魅力とは、やはり風光明媚な景色とその土地の食べ物だったりする訳で、まるで渋谷や新宿のように人で溢れかえったような景色を見たいとは思わないし、ファミレスのメニューのような物を食べたいとは思わない訳です。
でも、地方の人からしたら賑わって欲しいわけで・・・

以前、過疎の村と呼ばれるような村へ行った事があります。
”過疎”なんて聞くとアレですが、行ってみると”田舎”らしい所で、個人的にはあの景色は残って欲しいと思いました。
でも、住んでる人からすれば不便な事も多くて、いろいろと問題もある訳ですよね。
病院とか、買い物とか・・・

元々私は観光地とかはあまり興味無いんですよ。
観光地へ行って写真撮って・・・って、何か証拠写真撮って満足してるような。
”その場所へ行きました”って言う証が欲しいだけと言うか、”〇〇へ行った幸せな自分”を封じ込めたものが欲しいだけって感じがしてあまり好きではないんです。
最近だとパワースポットとかも人気ですが、あんなに人で溢れかえった場所ではパワーよりも疲れを貰いそうだし、登山なんかでも山頂に立つのに順番待ちの場所もあるようで、某ラ王のCMで有名になった槍ヶ岳の山頂写真を見た時は衝撃を通り超えて笑ってしまいました。


– 彼らは何を求めてこんな過酷なプールへ行くのだろうか –

まぁ、夏の海やプールなんかも海外からは”養魚池”とか何とか言われて笑われてるそうですが、それでもなぜだかわからないけど好き好んで行く人がいる訳ですよ・・・泳げないプールに。

なんだか排気ガスをおもいっきり吸いながら健康の為にと皇居の周りを走るランナーのような感じ。

他にもイイとこ沢山あるのに、話題になるところにしか行きたがらない。
他人と同じ事に価値を見出し、ブームに乗り遅れまいとする姿を見るに付け、私は滑稽だと思うのですが皆さんは如何でしょうか。

話がそれましたね(゜-゜)\バキ

いずれは静かな所に住みたいと思っているので、こうして旅で訪れた場所では必ず不動産屋さんに立ち寄ります。
家賃が安いのはもちろんだけど、建物と建物の間隔とかが広いし、背の高い建物が少ないので開放感がありますよね。
電車とかも空いてるし、道路も空いてるし。

という事で、ノンビリと過ごせた一週間でゴザイマシタ。

さて、ようやくサポートから連絡が来たわけですが、結論から言いまして駄目でした。
ただし、知り合いの知り合いから教えてもらった方法で開く事が出来ました。
ただ、開いた後に通常の方法で開こうとすると、また以前と同じようにエラーが出てフリーズしてしまいました。
なので完全な形での解決には至っていないと思われます。

という事で、今日は朝から洗濯やら買い物やらで汗だくですよΣ(´д`;)
今日の東京は朝から暑かった・・・けど、今はとても過ごし易くなったので作業開始。


– 8月7日、坂井小隊の三番機として出撃した羽藤機 –

これも「証拠あんの?」と、突っ込まれたら「知りません」と答えるしかない。
何せこの眼で見た事無いもんで┐(゚~゚)┌

あと、同じ日に二番機として出撃した柿本円次さんの搭乗機に関する情報は、残念ながら見つける事は出来ませんでした。
で、ちょっと話が横道にそれるのですが、この柿本円次さんと言う方の事なのですが、加藤寛一朗(著)零戦の秘術を読むと、坂井さんがこんな証言をしていますのでチョコッと引用します。

”もう一人は柿本円次(下士官 二番機)と言って、これは(後に)撃墜されて戦死したと思ったら、オーストラリアで捕虜になっていましてね。これは後の話ですが。”

私はこれを読んで、てっきり生きて終戦を迎えられたのかと思っていたのですが、今回、柿本円次さんの事を調べていたらWikipediaの”カウラ事件”と言う項目の中で戦死した事を知りました。
柿本円次二飛曹は自決されたそうです。

カウラ事件・・・詳しくはWikipediaを見て頂ければ載っていますが、1944年8月5日に、オーストラリア連邦ニューサウスウェールズ州カウラで起こった日本兵捕虜脱走事件の事だそうです。

空戦では命を落さずに済んだものの、その後このような形で命を落す事になるとは、当の柿本さんもさぞかし無念だったのではないでしょうか。
こういう話を聞くに付け、思い起こされるのは坂井さんのこの言葉です。

”みなそんなに若くして死ぬ必要はなかった。
そして、生き残った者は功績を認められなかった。”

本当に悲しい言葉です。

SEVEN KNIGHTS

今夜も夕飯はみかんだよ。
いくら食べても飽きないよ。
世界中探してもこんなに美味しい果物は無いね。
オレンジより剥くのが簡単だし、なんと言っても上品な甘さが素晴らしいよね。
こんな素晴らしいみかんを育んだ和歌山の自然と、おいしいみかんを栽培してくれた農家の方々には本当に感謝だよ\(^o^)/

ところで・・・

チョットほろ酔いだよ。
今日はあんまり時間が無いのでパイロットをいじってたよ。


– ドイツと言うと黒と赤というイメージがあるよ –

どこかで見た事ある顔ばかりだけど(゚ε゚)キニシナイヨ!!

星の隅で継続中です

続きを書こうかと思っていたのですが、またもやトラブル発生なので書いて見たい。
FC2.0にも多少慣れてきた。
ゲームにと言うよりは、ファイル構造などの方に慣れてきたつもりでいた。
ここをいじればこうなると言うのがちょっとだけ判ってきたと思っていたのですが、やはりそれは甘かったようだ。


– FC2.0用にF-2を塗る –

かなり適当にやった割にはそれっぽく出来たので、細かい部分は置いておいて、とりあえずと言う事でやってみたのが上のSSだ。
目が点になるとはよく言うが、まさにこの時はそんな感じだった。
翼に余計なマークがあって心底( ´・_・`)な気分だ。
このマークがいったいどこに格納されてるのか探しているのだが、皆目見当も付かないのである。
因みに国籍はイスラエルだ。


– なんちゃってF-2と、なんちゃってE-767 –

こうやって見るとカッコイイのだけど、翼のマークの消し方がわからないのでペンディングあるのみと言った心境だ。
なんとか消せないものだろうか・・・
とりあえずHDDに放置する事にした。
デジタルデータは、いくら放置してもカビたりしないのが良い。
でも、だからと言ってあまり放置データが増え続けるのは良い事ではない。


– 放置中の大和 – zakiさん(゚ε゚)サーセン blueprintっぽく加工してみた –

これもずっと放置されている。
某映画の試写に行くまで、すっかりその存在すら忘れていたくらいだ。
熱し易く冷め易い性格の為、情熱が冷めるのと同時に記憶も一緒にどこかえ行ってしまうのだ。
こうして電子の海の藻屑と化したデータの実に多い事( ゚∀゚)
最近もビデオ2本が宙ぶらりんの状態だ。


– 先日まで塗っていた204SQのF-15J – なんちゃってE-767もいい感じだ –

これは知り合いの人が写真を提供してくれたおかげで完成できた。
資料的な意味合いもあるが、わざわざ写真を提供してもらったのに放置してたら「マズイですよね」と言う一心からだ(゚ε゚)
それに、この程度のリペイントだと作業時間も短いので、私のような飽き性な人間にはちょうど良いのかもしれない。
ちなみに、この機体は現在沖縄に配備されている204SQのもので、尾翼のマークも小ぶりなうえ、デザインにも手が加えられている。
知り合いの人が小松基地に飛来してきた時に激写した写真を基に製作したのだ。
ありがとう三毛さんヽ(^O^)ノ


– アフターバーナー全開で離陸中のF-15J –

下手は下手なりに楽しめるのがフライトゲームの良いところ。
でも、自分でリペしたり、ビデオを作ったり出来なかったらこんなにゲームはやらないと思う。
そんな暇も無いという事ではなくて、体質的にゲームを長い時間出来ないのだ。
FC2.0はおろか、IL-2やMSFSなども短いと10分、長くても一時間。
大体平均すると30分くらいが限界だ。
そもそもPCの前に座ってるのが苦手なので致し方ないのだ。

ところが、これがビデオ作りなどだと違ってくるから不思議だ。
一日中PCの前で作業していた事もある。
リペイントなども、苦手と言いながらもゲームするよりは楽しいので、長い時間作業してる事もザラだ。

知的好奇心を刺激するなんちゃって創作活動は、私にとってはゲームよりも楽しいものなのだ。

ゆらゆら帝国

昨夜は友人が遊びに来た。
今年のボジョレーとチーズを持ってやって来た。
なので夕飯のパスタは私が作った。
そしたら友人が激写したので貼ってみた。


– 意外と良い感じに出来た。 トマトとハーブチキンの冷製パスタ –

この寒い季節に冷製パスタとはこれ如何に・・・と思われるだろうが、来年の夏まで賞味期限が持たないのでこれにしたのだ(゚ε゚)
バジルは自家製。
ベランダで育ててるので無農薬だ。
他にもいろいろ育ててるのですが、今年の夏の暑さでことごとく全滅。
特に大葉は酷かった。
いつもは食べきれないほど育つのに、今年は葉の色が悪く小ぶりですぐに枯れてしまった。
来年がんばろうと思う。


– CDDSExplorer – INSERTを押すもエラーが出る –

さて、前々回の続きを書こうと思っていたのですが、ちょっとトラブルが発生したので書いてみたい。
前回のBlogにも書いたが、F-15のMODを手に入れた。
素晴らしい出来栄えに感謝感激なのですが、機体モデルに合わせてリペイントの割り当ても変更になってしまった。
そのリペイントデータのファイル形式がCDDSと言う始めて見るものだった。
ちょっと調べたらMODMAN付属のToolでBmpファイルに解凍してりぺができる事がわかった。
前回のBlogのSSがそれだ。
が、今度はそれをCDDSファイルに変えたいのだが、これがエラーを吐いて出来ないのだ。
いろいろ検索するも分からなかったので、”TEMP TEXTURE”の中にBmpファイルのまま放り込んでみたらOKだった。
とりあえず読み込めるものの、CDDSへのコンバートは出来ないままなので問題の本質的な解決には至っていない。


– Me-262 V3 試作三号機 –

はじめてのゲームの場合はこういう事がよくある。
聞きなれないファイル形式に悩まされたり、新しい用語に出合ったり。
IL-2のリペイントの時も”減色”する事を知らず、りぺしてBmpファイルをフォルダーに入れても読み込んで貰えず悩み続けたりもした。
最近だとデフォのskinを抽出する方法が分からなかったので、暇を見つけては調べていた。
疑問に思ってから一月くらいたってようやく分かった。
既に必要の無い事なので、今更分かっても仕方がない訳ですが・・・┐(゚~゚)┌


– Me-262 V3 胴体に黒い穴が見える。整備用の穴だろうか?-

PC UCの最後の文字が何号機かを表しているのかも、こうしてリペの為にいろいろ調べた結果知った事だ。
当然と言うか、やはりドイツ機なので、ドイツ語のサイトには詳しく書かれていたが、残念ながら深く理解できるほどの語学力は無い。
英語のサイトなら何とかなるが、ドイツ語のサイトは無理。
でも、ロシア語のサイトよりかはマシかもしれない。
あのキリル文字は、正直言って宇宙人の文字にしか見えない。

Помогите! Иди ко мне.

IL-2やLOMACに関してはロシア語の優良なサイトを結構教えてもらいましたが、どのボタンがダウンロードなのかすらわからないありさま。
変なボタン押したらマッチョなロシア人が集団で踊るフラッシュアニメのサイトに飛ばされた。
ちょっと怖かった。

glass
– 風防ガラスに走る弾痕 –

After EffectsなどのToolも得意ではないけど、欲しいシーンがある場合は試行錯誤を繰り返す。
その度に新しい発見がある。
リペにしても、ビデオ作りにしても、3Dモデルにしても、私の場合は全て独学。
一冊だけ解説本を買ってきて、それを見ながら試行錯誤を繰り返す。
分からなければネットで調べる。
我流の極みなので、無駄も多いし、決してスマートなやり方ではない。
でも、知的好奇心が徐々に満たされていく過程は、なんとも言えないほどに楽しいものなのだ。

知識が無い事は恥ずべき事ではない、恥ずべき事は学ぼうとしない事だ。

Mein Herz Brennt

社内プレゼンが通ったよ\(^o^)/
月曜日に発表があったんだぁ。
来年は忙しくなりそうで、今から物凄く楽しみ。

やっぱり、仕事で得られる満足感って言うのは、遊びや趣味では絶対に得られないんですよね。
その代わり、落ち込む時はかなり落ち込むわけですが・・・
この一年は本当に辛かった。
ちょっと大げさに言えば、今まで味わった事の無い敗北感と挫折感だった。
引越しをしたのも嫌な流れを変えたかったからだ。
でも、去年涙を呑んだあの日の自分にようやく雪辱できたと思う。
と言う事で、今週は遊び呆けてました\(^o^)/

で、今日は削除される前に見たかったので早く帰ってきた。
で、さっきまでそれを見ていた。
全部見れたので満足。

現場で命を張ってる方々に対しては、本当に頭が下がる思い。
と同時に、さぞかし悔しかったのではないだろうかと思う。
最後には正義が勝つのだと信じたいし、真実を知る権利が保障されてこその民主主義だという事を忘れてはならない。
過去に交わされた核の密約は暴露できても、今起きている自分達にとって不都合な出来事を隠そうとしている日本国政府には恥を知れと言いたい。

と・・・またもネトウヨ的な書き出しで始まりましたが、私はニートでは無いのでプロのネトウヨではありません(´ー`)y─┛~~サーセン。

と言う事で、来年から忙しくなるのでビデオを作らないと完成は夏以降なんて事もありうるので、ちょいとダケですが作業を開始した。
そうは言っても降りてこない時はからっきし駄目なので、苦手な仕込みをする事にした。


– 試作二号機のMe262。 BMWエンジンではなく、Jumo 004Aが積まれた機体 –

全てのジェット戦闘機の母と言う事になるのでしょうかね?
形なんか見ても、現代でも十分に通用するような気がしてしまう。
プロペラ機しか見たことが無かった当時の人たちは、さぞかし驚いたのではないでしょうか。
もっとも、一番驚いたのは連合国側のパイロットだったかもしれませんがね┐(゚~゚)┌


– 微妙な出来ですが・・・(´ー`)ノサーセン –

微妙なまだら模様は私のスキルでは無理なので、似たようなリペイントを探してきてマーキングを施すと言ういつものパターン。
ビデオでちょっと使うだけだから「ま、いっか」の精神で突き進む。

因みに私の初のリペイントはF-14の試作機でした。
昔から試作機とか大好きなので(゚ε゚)
完成品よりも人の温もりが感じられるとこが好きなんですよ。

昔作った”FOREVER TOMCAT”というビデオで使う為に塗ったんですが、ビデオを公開した後に何人かの方々から「そのリペイントが欲しい」と言われて配布した恥ずかしい思い出が・・・
なにせ今よりもスキルに難がある時代の産物ですから、貰った人はさぞかし後悔したと思います。

という事で、ちょっとまだ微妙なんですが、ビデオの製作に戻りそうな・・・そうでないような・・・感じです。
最悪、零戦の方は無しで、こっちだけに集中しても良いのかもしれません。
集中できればですが・・・そろそろ降りてきて欲しい今日この頃。

最近、LOMACに興味が・・・って去年もそんな事を言ってたような(´。`)はぁ・・・
このままでLOMACに浮気しそうで怖い。

OUT OF JAIL

ノーベル化学賞に二人の日本人が輝いたそうで、科学離れが進む我国においては何とも嬉しい限りですよね。
これを追い風にして優秀な人材が育って頂ければ良いなと思いました。
受賞した根岸さんが「若者よ、海外に出よ」と言ったらしいですが、私なら「若者よ、部屋から出よ」と言いますね。
居心地の良い部屋から出て外で働けって感じです。

冗談ですけどね(゚ε゚)

でも、若いうちに海外の生活を経験するのは良いと思いますよ。
私も人生観変わりましたから。

さて、前回の続きです。

1993年に発見された新事実まで書きました。
青帯ではなく赤帯だった事、修理の後に塗りなおしたのではないか・・・と妄想した事も書いた。
結局坂井さんはあの日何色の帯で何番の飛行機に乗ってたのだろうか?

答え=わからない。

坂井さん本人が青帯でV-103に乗ってたと言うのだからそれで良いかなぁとも思うのですが、ヘンリー・サカイダ氏や渡辺洋二氏の意見が違うのが引っかかるわけです。
だってこのお二方が勝手な事を書いてるとは思えないんですよね。
取材して書いてる訳ですから。

ただですね、大空のサムライに掲載された絵があるのですが、あれは”坂井三郎空戦記録”、後の大空のサムライの出版を記念して昭和28年に鈴木御水画伯が描いた絵画なんですが、それは”V103”なんです。
ハイフン無しですが、坂井さんに取材して書いた物としては最も古い物ではないかと思います。
時間の経過と共に人の記憶は曖昧になると言われていますが、終戦から8年、あの出来事から11年と言う年月を考えると、この絵画に描かれた”V103”は、他の情報に比べると信憑性が高いのでは無いかと思っています。
ただし、他の情報も鑑みるに、ハイフンが無いのはおかしいと思うので、私はハイフン有りでV-103を採用しようかと思います。
と言う事で、引っ張った割には大した推理も無く、勝手な妄想と身近な資料のみで塗ったのがこれ。


– グレー系の色で汚しを強めに入れて兵器っぽさを強調したつもり –

堂々巡りな事をあんまり考えるのは良くないと思いまして。
今は「これが正解」と言う心境です。
タイムマシンが開発されるまでのお楽しみと言う事で(゜-゜)\バキ

本音を言うとあまり時間が無いんですよね。
納得したものは作りたいけど、暇な時期にしかビデオとか作れないので・・・
と言う事で笹井中隊長機も勢いと妄想だけで塗ったのがこれ。


– 手前が笹井機でその後ろが坂井機 –

笹井機は青帯二本に黒文字でV-121。
これは検索したら一つしか出てこなかったので選択の余地無し、事実確認の方法無しと言う事で躊躇する事無く決定。
これが正解だと思って見ていると正解に思えてくるから不思議だ。


– V-103とV-121 昭和17年8月の空で –

こうやって見てみると、V-103の胴体に描かれた線が濃い気がしますね。
あとで修正しなきゃ( ´・_・`)

さて、とりあえずこれでリペイントはお終いです。
楽しんでやってるように見えるかもしれませんが、リペイントは本当に苦手です。
ただ、今回のように色々な事を調べたりするのは知的興奮が味わえるので楽しいですね。
少し残念な事と言えば、今回調べたものをした中で有意義な情報を得られたのは海外のサイトが多かった事です。
もちろん日本のサイトにも有意義なサイトはありましたが、傾向として途中からあらぬ方向へ行くのが日本のサイトの特徴でしょうか。
零戦の話題と幼女の裸の絵などが混在しているのは、日本のオタクならではだと思いました。
日本が産んだ零戦を真面目に語っているサイトが海外に多いと言うのは、ある意味嬉しくもありますが残念でもありました。

それと、プラモデルを作られている方々のサイトなどはとても参考になりました。
本当に深いところまで研究されている方々が多く、まるで本物かと見紛う程の作品群には感動すら覚えたほどです。

と言う事で、次の段階に進みます。
次はMission.fileの作成です。
前作のRABAULでは30個くらいのMissonを作成しました。
今回はもう少し整理して少なめに抑えようかと思っています。


– 次回作用のskinの用意は既に完了 –

このビデオの製作が終わったら知り合いのドイツ人からのリクエストに着手しようかと思っています。
2年以上前からのリクエストなので(゚Д゚)ハァ?
これ以外のskinは全て他のリペインターの方々の作品を使わせて頂く予定なので、苦手な仕込み作業がない分早くできそうです。

でも時間が足りないなぁ。
やりたい事いっぱい∩( ・ω・)∩

Dinosaur’s Skin

中国の民主活動家、劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞したそうですね。
これは国際社会から中国への痛烈なメッセージだと言えますが、このニュースを聞いて私は劉少奇氏の事を思い出しました。
文化大革命の中で非業の死を遂げた氏と、現在投獄中の劉暁波氏が重なって見えたからでしょうか。
恐ろしい話ですが、今の中国共産党の中枢を担っているのは、当時、紅衛兵として党幹部や自分の親までをも”革命”の名の下に粛清した世代だと言われています。
文化大革命では数百万人から1000万人以上が犠牲になりました。
翻って我国の中枢を担う世代の中には、いわゆる全共闘世代と呼ばれる人達がいます。
ほぼ同時期に両国で起きた”革命”に染まった世代が、今の両国の政権運営を担っているのは皮肉な事でもあり、同時にあの時代から続く一本の血塗られた鎖のようなものを感じずに入られません。
事実、某長官は度々この文化大革命を引き合いに出し、時には賞賛しているかのような発言をする事でも有名です。
仮にイデオロギー以前の問題としても、多感な少年期や青年期を革命や粛清などと言う血なまぐさい活動に日々明け暮れた人々がまともな大人に育つとは思えないので、果たして両国の”この世代”にまともな国家運営が可能なのか疑問に思うのです。


– 劉暁波氏と劉少奇氏 –

かつて中国共産党のナンバー2であった劉少奇氏は暖房もないコンクリートむき出しの倉庫部屋に幽閉され、1969年の11月12日に亡くなりました。
たしかに時代は変わりましたが、こうやって考えてみると”人”が変わっていないのが今の中国だと言う事がわかります。
そして、悲しいかな今の日本も、歪んだイデオロギーに取り付かれた40年前の亡霊が国家の中枢にいるのです。
劉暁波氏が無事に釈放され、中国の民主化が進む事を願いつつも、劉少奇氏の悲劇を起こした中国と言う国の姿を忘れてはいけないと思いました。

と、ニートなくせに国士気取りで一丁前な事を言うネトウヨ的な書き出しで始まりましたが、ここはビデオ製作の記録を綴るBlogです(´ー`)サーセン

さて、前回の続きです。

そもそも8月7日のあの日、坂井三郎さんはV-103に乗っていたのか?
結論から言いますと「確実に乗っていたとは言えない」と言うのが正解だと思います。
やはり証拠が乏しいです。
例えるなら”推定無罪”と言ったところでしょうか・・・
言い切るには有力な証拠が必要ですが、残念ながら有力な証拠はまだ出てきてはいません。
ただし、現時点においてもっとも有力な説であるのは間違いないでしょう。

まず、諸説あるこの日の搭乗機を整理すると・・・

・ヘンリー・サカイダ氏はV-128説。
・渡辺洋二氏はV-138説。
・大空のサムライに掲載された鈴木画伯の絵画ではV103となっています。
・坂井さん自身はV-103に乗っていたと言っています。

それならV-103で決まりじゃないかと思うわけですが、1993年に海の向こうから新事実がもたらされます。


– V-103が発見された場所と思われる湿地帯 –

Pacific Wrecksによると、1993年にガダルカナル島ヘンダーソン基地の東5マイルの地点にある湿地帯にできたクレーターの中で、一機の零戦が水につかった状態で発見されたそうです。
その機体の垂直尾翼にはV-103と書かれてあったそうです。


– 発見されたV-103を再現したイラスト –

※原文まま
”A 15cm red diagonal strip of a Shotai leader was painted on the fuselage. Also a white strip 10cm on the tail above the number. Painted in a overall gray color with a black cowl”

なんと!このV-103は青帯ではなく、赤帯を背負っていたそうです。
肝心の赤帯が映った写真を発見する事は出来ませんでしたが、1994年に放送されたNHKのドキュメンタリー番組の中では映っていたのでしょうか。


– 機体の破損状況とは裏腹に、意外と色鮮やかな日の丸の姿に涙 –

製造番号3647の三菱製だったそうで、インドネシアで乗っていた例のV-103の製造番号が判れば同じ機体だったかどうかも判りますが・・・

それにしても( ´・_・`)

通説では”青帯”と言われていたV-103が、いきなり「赤帯です」と言われても個人的には物凄く違和感を感じるわけですよ。
そう、それは「実はティラノサウルスの全身は毛に覆われていました」と聞いた時のあの違和感にも似たなんとも釈然としない思いなのだ。

ここでまた納得する為の勝手な妄想をすると・・・

大空のサムライを読むと8月7日のあの日、坂井さんは笹井中隊の第二小隊長として出撃したとあります。
さらに、加藤寛一朗(著)零戦の秘術を読むと、午後一時ごろに太陽を背にしてグラマンが襲って来たとあります。
この戦闘で坂井さんは列機とはぐれてしまいます。
坂井さんはその事を中隊長に報告するべく”青い二本線を胴体にまいた”笹井中隊長機に近づいて行ったと、大空のサムライには書かれています。

”青い二本線”

残念ながら、この線の色の正確な意味や本数による違いを私は知りません。
しかしながら、同じ中隊であれば同じ色と考えるのが自然な事だと思いますし、二本が中隊長で一本が小隊長と考えるのも自然な事だと言えるのではないでしょうか。

※余談ですが、大日本絵画発行の”エアロ・ディテール 7 三菱 零式艦上戦闘機”を見ると、本田敏秋三等飛行兵曹の搭乗機のイラストがありまして、この機体にも青帯が一本描かれています。
なので、中隊長が二本で小隊長が一本とは言い切れないかもしれません。
本田敏秋さんは坂井さんの2番機として有名な方です。
因みにこのイラストに描かれた本田機の機体番号は”白文字に赤フチ”でV-126と書かれていて、インドネシアで乗っていた物のようです。

ここでまた妄想すると、インドネシア時代の機体には全て青帯が描かれていて、ソロモンではリーダーのみ青帯を付けたのではないでしょうか。
ここはひとつロービジ化という事で手打ちに・・・(゚Д゚)ハァ?

話を戻します。
いくつかの戦闘を経たあと、残念ながら坂井さんは8機のドーントレスに撃たれてしまい、約5時間かけてラバウルに戻ります。
が、瀕死の重傷とはいえ4時間47分も飛べたわけですから、機体そのものには致命的な破損は無かったと考えられます。
つまり、廃棄する事無く修理後に復帰したと考えるのが妥当だと思います。
もし、別の中隊にこの機が割り当てられたとしたら、青帯を赤帯に変えたとしてもおかしく無いのではないでしょうか。

この機は、8月7日から10月25日までの間に撃墜された可能性があるそうです。
搭乗員の遺骨も発見されたそうですが、今現在も身元は判っていないようです。
可能性のある7人の名前が載っていましたので原文のままで記載します。

Kenichi Kumagai (KIA, August 26, 1942)
Takeichi Kokubu (KIA September 2, 1942)
Toraichi Takatsuka (KIA September 13, 1942)
Noboru Sato (KIA September 13, 1942)
Yoshifusa Iwasaka (KIA October 15, 1942)
Yozou Sugawara (KIA October 18, 1942)
Isao Ito (KIA November 12, 19423)

いずれにせよ、この7人の日本人が、遠い異国の地で亡くなった事だけは紛れも無い事実なのです。


– 無残な姿の零戦。発見してくれた方々に感謝 –

ちょっと長くなってしまったのでこの続きはまた次回にしようと思っていますが、最後に一つだけ書きます。

丁度この事を調べていた時にフィリピンでの旧日本軍軍人の遺骨収集事業の事が話題になっていました。
報道の全てが正しいかどうか判りませんが、番組を見た限りでは某NPO法人のずさんなやり方に憤りを覚えた方もいたと思います。
非営利団体とは言え、厚労省が計上したこの事業の予算は4000万円を超えるそうです。
もし、金の為に偽の遺骨と知りながら収集しているのであれば、戦争中に祖国の為に戦って亡くなった日本人や、遺骨の帰りを心待ちにしている遺族の方々に対してあまりにも失礼ではないでしょうか。
また、金になるからとの理由から、現地人により盗掘されたフィリピン人の遺骨も少なくないと聞きます。
これはフィリピンの方々へも多大な迷惑を掛けている事にもなります。
まるで時代の流れに押し流されたかのように、日本人の心の中から死者への畏敬の念が無くなりつつあるのでしょうか。

親の年金目当てに死亡届を出さず遺体を放置した件といい、今回のこの問題といい、今こそ日本人の倫理観を考え直す良い機会なのかもしれません。
民間に丸投げの国と、金の為に死者の亡骸に群がる民間という図式が仮にあるのだとしたら、この国は随分とくだらない国に成り果ててしまったと言わざるを得ないと思います。


– V-103と一緒に発見された拳銃 –

仕込み再開

昨日、一昨日と実家に帰ってた。
3連休もあっという間。
家にいてもする事が無いので、父親の車を勝手に乗り回して近くの海まで行ったりしてました。
久々の運転なうえに(パーキングブレーキの解除の方法でもたついたのはナイショ)左ハンドルなのでかなり緊張しましたが、良い気分転換になりましたとさ┐(゚~゚)┌

さて、苦手な仕込みの続きですよ。

坂井三郎さんと言えばV-103の零戦ですよね。
今回はこれを塗りました。


– MITSUBUSHIの表記に軽い眩暈。パチモン共和国製なのだろうか?-

V-103と言えば8月7日に坂井さんが乗っていたとされる機体ですが、その前、つまりインドネシア等で乗っていた零戦の機体番号は何だったのか分からないんですよね。
私が調べた限りでは”AIRFIX”と言うプラモデル?の箱絵に描かれた”青帯、白文字に赤い縁取りのV-103”と、タミヤ模型さんのプラモデルの箱に描かれたイラストのものがインドネシア(バリ島)で坂井さんが乗ってた機体らしいのです。
あとは海外のサイトで見つけた数枚のイラストのみ。
※タミヤ模型さんの説明によればこの”青帯、白文字に赤い縁取りのV-103”が、台南航空隊所属 坂井三郎 一飛曹 搭乗機 (昭和17年2月/バリ島デンパサル基地)なのだそうです。


– タミヤ 1/48 傑作機シリーズ No.016と、海外のサイトで見つけたV-103のイラスト –

上のAIRFIXさんのは、MITSUBUSHIなんて書いてあるので信頼度は低いわけですが、天下のタミヤ模型さんの方は信用できるんでないのん?と言うわけで小躍りしたのも束の間、実はその後も他の調べ物をしていて気になる記載がチラホラと・・・(´д`)

と言うのは「意外とタミヤ模型はいい加減だ!」と言う書き込みを散見いたしまして・・・
いや、これは何もタミヤ模型さんに限った事ではないようで、専門書の類などの中にも不正確なものもあるようで・・・
ただですね・・・やっぱり敗戦の影響からだと思いますが、いかんせん当時の書類や写真などの記録が少ないのである意味仕方が無いのかもしれません。
で、悶々としてるのもなんなので、私が勝手にタミヤ説を採用して塗ったのがこちら。


– グレーっぽくならないように、ちょっと明るめにしたデンパサル基地時代のV-103 –

ソロモン時代にもV-103が出てくるので、ちょっと区別する意味で”白っぽい”感じにあえてしています。
機体番号の色が違うわけですが、パッと見の印象も変えたかったので。
星の数なんかも諸説あるし、そもそも星なんか無かったという意見もあったりで、もう本当にカオス状態なんですよ(;´Д`)

で、さらに私を混乱させるのが数少ない当時の写真&現代に描かれたイラストなんです。
つまり、私が知りえる情報の全てが逆に私を混乱させると言う困った展開。
それがコレだ~1、2、3!


– 中国大陸で鹵獲されたと言われる台南空の零戦のイラスト –

この頃の台南空の機体ナンバーが”白文字に赤フチ”と言う事がわかるイラストです。
が、この鹵獲された零戦の写真を見てみると・・・


– 鹵獲されたV-172 –

いかなる色彩感覚を持ってしても、この写真の機体番号は”白文字に赤フチ”には見えない。
では上のイラストを書いた人は、一体何を見て”白文字に赤フチ”で機体番号を書いたのだろうか?

しらんがな(´・ω・`)

それに”白文字に赤フチ”の機体番号の写真を私はネットで発見する事が出来なかったんですよね。
考証とかされてる方は所蔵されている書籍や資料の中に”白文字に赤フチ”の写真を見ることが出来るのかもしれませんが、残念ながらネットにはイラストはあっても当時の写真はないんです。
まぁ、と言いましてもニワカな私が数時間探しただけですので、あとでもう一回探してみたら出てきたりして( ゚∀゚)

おまけにソロモン時代のV-103は黒文字なんですよね。
一体誰がいつどこで塗り替えたのか?

で、ここから推理というか、納得する為に勝手な妄想をしてみると・・・
大空のサムライを読むと、バリ島を出て坂井さん達はオンボロ貨物船小牧丸に乗って一路ラバウルに向かいます。
今まで使っていた零戦は内地帰還組みに譲り渡したそうです。
※内地帰還組みがこれに乗って日本へ向かったのかまでは書かれていませんので、もしかしたらバリ島の基地に置いったのかもしれません。
後日、坂井さん達は、特設空母春日丸に乗ってやって来た”新しい零戦”を手に入れたとあります。
これが新造の零戦なのか、それともバリ島時代の零戦を修理またはオーバーホールした後のものかは定かではありません。
いずれにせよ、このタイミングで再塗装及びマーキングを変えた可能性があると思われます。


– 素の色。ビデオ製作時に”色味”を変える事を考慮してこの色に決めた。-

航空自衛隊などもIRAN時に再塗装される場合もあるようですし、転属に伴いマーキングを変える場合もあるそうですから・・・
バリ島時代よりも激戦が予想されるソロモンに向けて、いわゆるロービジ化したのではないだろうか・・・なんて妄想をしてみたり。

ふぅ~(´。`)

こんな事なら誰かが塗ったskinを使えば楽でよいのでしょうが、私もいつまでビデオ作りを続けるかわかりませんので、ある程度は自分が納得したものを使いたい心境だったり。


– ブ~ン♪ 平和な空が一番・・・と思いきや遠くには砲撃による水柱が –

ところで地上勤務、いわゆる基地搭乗員に愛機というものは存在しなかったそうです。
これは坂井さんご本人も生前そのように仰っておられました。
ただし”よく乗った”という機体はあったそうで、坂井さんもV-103以外にV-104、V-107、V-128、V-138、V-172などに乗った事があるらしいですが、その中でも特にV-103とV-128にはよく乗られたらしいです。

”信頼のおける機体”と言う意味からすれば、これらを”愛機”と表現するのは自然な事のように思えます。

次回はソロモン時代の坂井さんの愛機の謎に迫りたいと思います。

肌寒い

今朝から雨。
お昼前にはプチゲリラ豪雨。
急にザっと降ってきて、雷が鳴ったと思ったら小降りになった。
なのでプチゲリラ。

夏の暑さも忌々しいが、冬の寒さも忌々しい。
それに、アイスと別れるのは辛い。
実は一週間ほど前からお気に入りのアイスが売り場から消えてしまったのだ。
最初は売り切れかと思っていたのだが、違うアイスに場所を占領されてしまった。
来年まで会えないのかと思うと寂しい限りだ。


– 今年のNO1アイス センタンの白くまアイス –

現在売られているのは秋冬用の柔らかタイプ。
私のお気に入りは夏用のシャリシャリ系の方だ。
絶妙なシャリシャリ感と、さわやかな甘さがグーだった。

仕方が無いので、本日はローソンの白くまアイスを買って来た。
週末にでも食べてみたい。

さて、例の三式陸上初歩練習機ですが、めんどくさいと言いつつも直しました。
大して代わり映えしませんけどね。


– まだまだ色味模索中 –

文字を大きくしました。
数字が大きく見えるのは広角でキャプチャしたためです。
FS2004だともっと広角にとか、望遠にとかできるので、そういう意味ではIL-2よりも撮影の自由度が高いです。
シーンによって画角とかを使い分けるのが好きなので、IL-2ももう少し何とかなると面白いんですが・・・
個人的にはもっと望遠があると嬉しい。

と言う事で、三式陸上初歩練習機はこれにておしまい。
お次は・・・なんだったっけ┐(゚~゚)┌

修正したよ

昨日のゴルフでちょっと筋肉痛。
ドライバーを振り回したのがいけなかったのかも。
珍しくドライバーの調子が良かったので、ストレス発散とばかりに思いっきり振り回した。
おかげでボールを5個も無くした(´д`)
ニューボールに換えたとたんロストするのは神の仕業か悪魔の仕業なのか。
ホント・・・嫌がらせならやめて欲しい。

と言う事でスコアは散々だったとさ┐(゚~゚)┌

さて、九六式艦上戦闘機ですが、やっぱり修正する事にしました。
実はあの後、(続)大空のサムライを読んでいて気が付いたのですが、坂井さんは九六式艦上戦闘機の色の事を”銀色”と表現してたのだ。
日本語には”銀シャリ”なんて言葉もあるので、銀=シルバーとは言えない訳ですが、そのすぐ後に坂井さんは零戦の色を薄ネズミ色と表現していた。
明確に2機の色を分けて表現しているので、これは間違いなく”銀色”なのだとおもう。
当時の写真などで薄々は気が付いていたものの、こうはっきりと撃墜王から言われてしまうと手抜きは出来ない。
と言うわけで他の修正点なども見直したのがコレ。


– 色味はいじっていない素の状態 –

あわせて胴体の日の丸を大きくした。
これで心置きなく次のステップへと進めるわけですが、編隊飛行させるのなら他も塗らないと駄目になった。
デフォのskinはシルバーじゃないからさ・・・( ´・_・`)

めんどくさい事は後回しで、さっそく自分で塗った九六戦でI-16と対戦してみた。


– このいかにもヤラレキャラっぽいチビデブシェイプなI-16 –

坂井さんが初陣で撃墜した事でも有名な機体だ。
早速戦ってみたものの、ありえないくらいの高速でロールするは、最高速度も結構速いはでかなり苦戦。
Wikipediaには”やられ役”って書いてあったのにヽ(`Д´)ノ
装甲が厚いせいなのか有効弾を与えたつもりが全然効いてなかったり。
それでも最後はなんとか撃墜できましたけどね。


– 追い詰めた!こちらも右翼端に被弾・・・文字通りの死闘だった。引き続き色味模索中 –

でも楽しかった。
小回りの効く機体どうしなので文字通りのドッグファイトとなる。
今度はちゃんとTrackIRとラダーペダルを準備してからやってみよう。
リペイントもそうだけど、下手は下手なりに楽しめるのだ。
この勢いで三式陸上初歩練習機も修正するかなぁ。
それに、中華民国のskinも用意しないとなぁ。

やることいっぱい∩( ・ω・)∩