カテゴリー : Project Alive

LONG WAY BACK

金曜の夜からフジロック行ってました。
んで、さっき帰ってきました。
実はYouTubeとニコニコ動画のパスワードがわからなかったので、管理をお願いしている知り合いの人にメール書いたりしたんですが連絡取れずで、その事も含めて金曜の夜の出かける前にblogに書いたんですが肝心の”公開”ボタン押すのを忘れてたみたい。
さっき気が付いた(゜-゜)\バキ


– 敵機発見。すかさず増槽を落とし、編隊の前へ出る坂井三郎 –

まぁ・・・言い訳すると、仕事から帰ってきてシャワー浴びつつパスワード思い出しーの、フジロック行く為の支度も有りーの、夕飯食べーの、フジロック行くメンバーと電話でしゃべりーの、blog書きーの、それでもパスワードわからないので知り合いにメール送りーのってな感じだったのですよ・・・

(´・ω・`)サーセン

慌てると良くないですね。
皆さんも日ごろから前もって準備するように心がけましょう。

と言う事で、知り合いからのメールでパスワードも無事ゲットできましたので今からアップロード致します。

フジロックの方はですね、今年はあいにくの雨と言う事でドロドロになりましたが良かったですよ。
屋外でのライブは晴れたら晴れたでこれもまた辛いので・・・日射病とかで結構倒れる人もいますので。
まぁ雨よりかは良いですけどね。

後、PAのそばだと音圧でやられちゃう人もいますよね。
特にメタル系とかラウド系のライブとかでPAのそばだと胸が押しつぶされるかと思うほどの音圧だったりします。

おっと!YouTubeの方がアップできたようです。

ニコニコ動画の方は結構時間が掛かるんですよね・・・
なので明日の夜くらいだと見られるかもしれません。
と言う事で、お暇な方はYouTubeかニコニコ動画でどうぞ。

「LONG WAY BACK」完成です。

眠いよ~(´ρ`)

2連休は引きこもる

おはようございます。
今朝の関東地方は涼しいです。
風があって気持ちいい。
つーことで、洗濯機を回しつつ近所のスーパーへと買い物に行ってきました。
この連休の間、自宅に引きこもる為の食料の調達と、本日はミートソースを作りますのでその材料などを買いに行って来ました。

ミートソースの材料は・・・

にんじん、たまねぎ、セロリ、にんにく、牛ひき肉、ホールトマト、野菜ジュース、鷹の爪を風味付けに少々。
他には当たり前ですがオリーブオイル、赤ワイン、ローリエの葉。
甘味が足りない時はケチャップを少々入れて調整します。
こんな簡単な材料でも結構おいしく出来ます。

作業自体は30分くらいで、後は2時間ほど煮込むだけなので楽チンです。
みじん切りがちょっと面倒ですが、フードプロセッサーとか使うと楽チンです。
でも、洗うのが面倒なので使ってません(゚Д゚)ハァ?

と言うことで、現在の時刻は11時くらいですかね?
続きは後ほど。
つーことで、お料理&ビデオの製作をはじめるよ(*^ー゚)ノ


– 完成~♪ 無駄に写真の加工に凝ってみた –

今、丁度3時半くらいですね。
美味しく頂きました。
かなりいい感じに出来ました。
鍋が冷めるのを待って、残りは冷凍にします。
こうしておくと長いこと保存ができます。

因みに、イタリアにはいわゆるミートソースと言うのはありません。
和えたような感じで出てくるボロネーゼと言うのがありますが、味的にはそれが近いですね。
ナポリタンと言うのもありません。
洋食屋さんで出てくるメニューは、その殆どが日本オリジナル(何かにインスパイアされた)メニューだと思われます。
アメリカで言うところの”カリフォルニアロール”と日本の海苔巻きの関係に似ているかもしれません。

ちょっと写真の加工を頑張り過ぎましたね。
レンズフレアーが眩しい。

と言うことでミートソースは完成しました。
引き続きビデオの製作作業に入りたいと思います。

では後ほど(・ω・)ノ


– 傷ついたV-110 – 山口中尉機に寄り添うように飛ぶ坂井三郎 –

と言うことで、今日3回目の書き込みですね。
もうすぐ10時なので、今日の作業は終了です。
レンダリング中なのでコレ書いています。
一晩寝かして、明日もう一度見て、それから微修正して完成だと思います。

今回は長かったなぁ。

もう、何がなんだか・・・自分的にはあまり気に入っていませんが、何をどうすれば良くなるのかさっぱりわかりません。
まぁ要するに実力不足なんでしょう。

このblogに書いてなかったらお蔵入りですね。
それくらい微妙な感じ。

今夜一晩寝て、夢の中で何かを悟れたりしたら嬉しいのに。

ふぅ~(´。`)

ようやく休み。
週末は仕事でした。
時代の転換期に立ち会うと言う事は、この先の自分の人生を考えてもあまり無い事だと思う。
なので良い経験になった。

今日は会議やら打ち合わせなど諸々あって出社。
んで、明日と明後日はお休み。


– 坂井機と笹井機 – そろそろ色味も決めないと –

先週は忙しかったせいか殆ど進展なし。
そうは言っても、夜中帰ってきてからチマチマとAEをいじってた。
でも亀の歩み。

さっき。

ホントついさっき。
ちょっと戦闘シーンが欲しかったので、久々にIL-2を起動した。
FMBでMAPに敵味方を配置して撮影開始。

が、気が付いたらいつもの”追いかけっこ”になっていた。

残念ながらUP2.01ではAI_MODは効かない。
以前、そんな事をこのBlogで書いたらwild duckさんも同じ事をコメントで教えてくれたので間違いないと思われる。

元々私は操縦が下手なので、それでなくても戦闘シーンには毎回泣かされてばかりなのですが、IL-2恒例の”追いかけっこ”には本当に泣かされてばかりだ。
因みにビデオ”RABAUL”で使用したのはHSFX+台南工廠MOD+SASMOD&改造と言う感じだった。
なのでこの”追いかけっこ”は発生せずに済んだのだ。

むむむ∩( ・ω・)∩

今からHSFXの古いのを入れるのは今更感があって抵抗があるし、かと言って新しいHSFXを入れるのは自作MODの互換性の問題があるので、そんな事を検証している時間も暇も無いし。

どないしまひょ。

3連休は引きこもる

とりあえず今日は引きこもるぞ。
サッサとビデオ製作を片付けるぞ。
今月中には必ずアップするぞ。
それに・・・新しくF-15Jを塗るぞ。

引きこもるぞ!引きこもるぞ!引きこもるぞぉ( ゚Д゚)/

と言うことで、洗濯しながらコレ書いてます。
今日はシーツとかマット類なんかを全部洗濯するつもり。
にしても暑いですね。
今日の関東地方は33度の予定らしいけど、すでに超えてるんじゃないか?と思わせるほど。
風が無いのが辛い。


– 中々思うようなカットが撮れない –

ところで、先日行いましたOSの再インストールですが、とりあえず滞りなく完了いたしました。
まだ全部のアプリとか入れてないのですが、とりあえずは完了です。
SSDとかもインプレめいたものを書こうかと思ってたんですがヤメます。
メンドクサイというのもありますし、その手のBlogとかにインプレとか沢山ありますしね。

それに、それ程恩恵が・・・( ´・_・`)

誤解の無いように書きますが、確かに起動は速いですよ。
凄く速い。
でも、私の場合は既にノートで経験済みなので「ま、こんなもんだよね」って感じなのです。
それに、SSDってデスクトップPCよりもノートと相性の良いデバイスだと思います。

高速、省電力、低発熱、無音、耐衝撃性。

高速性以外の恩恵はノートの方が多く得られると思います。
無音と言うのだって最近のPCケースは静音性が高いので、むしろファンの音の方が大きかったり。

私のPCも先日掃除した再に夏仕様(ファンを5つにして回転数を上げた)にしたので、ちょこっとうるさくなりました。

”ふぉーん”と言う音が深夜などでは耳につきます。

それよりも!

OSの再インストールは結構起動が速くなりますね。
他のアプリなんかも速くなる。

もちろんこれはSSD非搭載機による比較です。
学生時代に買った古いデスクトップPC(OSはXP)なんですが、こんなにサクサク動くのなら今でも十分使えますね。

ただ、OSの再インストールをした後にOSのアップデートをやる訳ですが、これが終わった頃には起動速度もそれなりになるのはどうにかならないものでしょうかね?
もちろん再インストール前よりは全然速いんですが、何もアップデートしてない素の状態の軽快感と言ったらもう。

来年には次期OSであるWindows 8(仮)が出るそうですが、余計な機能はいらないのでシンプルなインターフェイスで軽快に動く堅牢なOSを期待したいですね。

所詮は基本ソフトなんだからさ┐(゚~゚)┌


– Windows 8 –

そうそう、FS2004を再インストールしたんですが、その際にアップデートパッチをあてるんですけど、このパッチをDL出来るサイトがどこかへ行っちゃったんですよね。

検索すると出ては来るんですけど、そこへ飛ぶと”Game For Windows”とか言う訳のわからないサイトに飛ぶんです。
“Game For Windows Live”と言うのをDLするように促されるんですが、余計なものは入れたくないので・・・

で、結論から言うと、元々のパッチがDL出来るサイトのキャッシュが生き残っていたので、試しにそこからDLしたら出来ました。
なのでGame For Windows Liveとか言うのをインストールする事無く無事にパッチもゲットできました。

なんだかいろんなサービスがあって便利なのかもしれないのですが、パスワードやら何やらを管理するのが苦手なので、あんまりそう言うのに入るのが嫌なのですよ。

– 今現在不明なパスワード –

ニコニコ動画、YouTube、Twitter、IL-2関連だとSAS、AAS、その他諸々。
他には入ったことすら忘れてるサービス多数。

(´・ω・`)ほなな

( ´・.・`)

どうやら口内炎が出来た模様。

昔から疲労が溜まって来ると出来るので、私にとってはある種のバロメーターだったりする。
やっぱり主張先で遊び回っていたのがいけなかったのかな。
痛いし沁みるし、なんだか体全体がだるい感じ。

と言う事で、口内炎の痛みに耐えながらも仕込みを再開したいと思います。

さて、大空のサムライといえば、坂井三郎さんの代表作にして出世作だったりする。
故に「あいつばかり有名になりやがって!」と僻みにも似た声も有ったとかか無かったとか。
ゴーストライター(光人社の社長さん)が書いたとか、酷いのになると嘘吐き呼ばわりするアホもいたりする。

ご本人も認めていますが、若干の誇張があるのも事実だそうです。
そりゃそうでしょう・・・別に歴史書を書いてる訳じゃないんだから。
大体ね、実際に当時の戦闘を体験した人に対して「嘘吐き」ってのは発言としてどうなんでしょうかね?

幼稚な正義感とでも言えば良いのかな?

戦争経験はおろか、ろくな社会経験もなく、ただPCの前で虚勢を張ることしかできない輩が、アニメだかゲームだかの影響から、かつての大戦を生き抜いた兵士を興味本位で検索し、出所不明の与太話に一喜一憂する。
薄っぺらい好奇心から来る自称”真実の探求”とやらは、ある意味パパラッチやゴシップ好きのバカと同じレベルに過ぎない。
Yahoo!知恵遅れや2chまとめサイトを巡回してるタイプに多い印象。

それに、自分が知っている事実、または自分が聞いた事実以外は”嘘”と切り捨ててしまう偏狭な人間とは関わりたくないものですな┐(゚~゚)┌
更に言えば、妬みや僻みと言った感情ほど醜いものは無い。

私の場合なんかは、「多少のフィクションも含まれているだろう」と思いながら読んでたので素直に面白かったし、名も無き兵士と言うか、大空のサムライを読まなければ知り得なかったであろう兵士達の横顔を知ることができたので大変興味深く読ませて頂きました。

代表的なところで言えば、坂井三郎さんの二番機として有名になった本田敏秋二飛曹などで、仮に大空のサムライが世に出なければ知る事が出来なかったのではないだろうかと思うのです。

逆な意味で言えば、それら名も無き兵士として歴史の中に埋没してしまったであろう人々の事を著書に記す事で、坂井さんの中では戦友達への供養のような意味もあったのではないかとさえ思えてくるのだ。

そんな”名も無き兵士”の一人として私の中に印象深く残ったのが山口馨中尉です。
ポートモレスビー攻撃の帰途、エンジンに被弾し出力が上がらなくなった山口中尉は、オーエンスタンレー山脈を前に無念の自爆を決行してしまいます。

”綱でもあればそれを投げて、自分の飛行機で曳航してゆきたい”と、坂井さんは著書に記しており、何も出来ない自分に対する苛立ちと悔しさが溢れていて、私は読んでいて泣いてしまった事を憶えています。

今読み返して見てもウルっと来てしまいます(・_・。)グスン

と言う事で、毎度毎度少ない資料で塗ったのがこちら。


– 無念の山口中尉機 V-110 –

絶対だな?と、問われれば知りませんと答えるしかない。
なにせ”ニワカ”なもので┐(゚~゚)┌

一説には、胴体に巻かれた帯は”青”との記述も有る。
だが、Pacific Wrecksによると帯は赤との事。
それに、この機体が100%山口中尉の乗機だったかは定かではありませんが、悶々としていても仕方がないので胴体に赤帯、尾翼に横帯なしのV-110で塗りました。


– ジャングルの中で発見されたV-110 –

自爆決行と聞いていたので、意外にも綺麗な零戦の姿に驚いた。
尤も、坂井さんの著書の中にも爆発や煙のようなものは見えなかった事が記されているので、そういう意味からもこの機体が山口中尉の乗機であった可能性は高いのではないだろうか?

こうやって見てみるとモノクロ写真とはいえ、帯は赤に見えてくるから不思議だ。
垂直尾翼の帯は見当たらない。
尾翼の横帯の意味って何なんでしょうね?
胴体の帯は小隊長の証らしい事を海外のサイトで読みましたが、本当のところはどうなのかを私は知りません。


– この日の編成表。 山口中尉の欄に自爆とあるのが悲しい –

5月17日のこの日、ポートモレスビー攻撃の為に出撃した零戦は、中島正少佐以下18機だった。
西沢広義さんや羽藤一志さんの名前も見える。
更にこの表の下の方には、太田敏夫さん、笹井醇一さん、そして坂井三郎さんの名前もある。

羽藤さんの欄には被弾2とあり、山口中尉の下の欄(伊藤さんでしょうか?)には自爆とある。
山口中尉を守る為に被弾し、自爆したのかは定かではありませんが、いずれにせよこの日の戦闘で二人の日本人がこの地でなくなったのは事実なのだ。

気力が萎えた模様です

今日は午前中雨だった。
昼間は蒸暑かったけど夕方からは寒くなった。
掃除して洗濯して、乾燥機掛けてる間に買い物行って、後はひたすらミッションファイルを作ってた。

実はこのミッションファイルが曲者なのだ。

IL-2のMapにKokodaTrailと言うのがある。
オーエンスタンレー山脈を中心としたニューギニアのMapだ。
このMapを使って、オーエンスタンレー山脈を超える中攻隊と、それを護衛する零戦隊のミッションを作りたいのだが上手く行かないのだ。
高度4000メートルに設定すると、自機の高度はなぜか5000メートル程になってしまう。
何度やっても駄目。
不思議な事に、山脈に近づくとまるで地表の高さに合わせるかのように更に高度を上げてしまうのだ。
※図1参照
護衛の零戦隊の挙動も明らかにおかしい。
高度が安定しないし、速度も早過ぎて何度も何度も中攻隊を追い越してしまう。


– 図1 5000メートル付近で始まり、5500メートル付近まで上がってしまう。 –

元々の設定高度が低いのかと思い、高度6000メートルに設定したら自機の高度は7000メートルに跳ね上がってしまった。
もちろん全てのウェイポイントは確認済み。

むむむ∩( ・ω・)∩

どないしまひょ。


– 8月7日の午前8時、ブナカナウ飛行場に並ぶ一式陸攻 – 色味模索中 –

他のMapでやると問題無いので、どうやらこれはKokodaTrail限定の問題のようだ。
代替地を探すか、それとも無理やり撮るか。
でも、高度が安定しないんですよね。

ん~(´‥`)メンドクサイ

と言う事で、明日早いんで寝ます。
ロスアラモス・・・じゃなかったロサンゼルスに行って来ます。
来週末帰国しまーす。
生きて帰って来たらこのBlogでお会いしましょう。

アディオース(・ω・)ノ

風が吹けば桶屋が儲かる


– 葛飾北斎 富嶽三十六景 尾州不二見原 - 

「風が吹けば桶屋が儲かる」とは昔から言われる諺だ。
そうは言っても桶屋さんなんてものは現代の日本には殆ど残っていない。
なのでピンと来ない訳ではありますが、これを身近な事に例えてみると判りやすい。

不況になるとコピー機屋が儲かる。

先日、オフィスの中で作業していたサービスマンの方の話。
ご多分にもれず我が社もデフレ不況に喘いでいる。
そんな中、コピー機屋さんは大繁盛なんだそうな。
と言ってもコピー機が売れる訳ではなく、トナーやら何やらとか、リース代が儲かるのだとか。
要するにどういう事かというと・・・

会社が不況に喘ぐと会議が増える → 会議が増えるとコピーの需要が増える → 故にコピー機屋さんが儲かるのだとか・・・(´・∀・`)ヘー

言われて見ればうちの会社も会議が増えた。
私は他部署との関わりが色々あるので、多い時だとほぼ毎日会議に出席する場合がある。
その際に配られる資料の量は、後でシュレッダーに掛けるのに苦労するほどだ。
電子化を標榜してノートPCやらPDAやらを支給している割には情けない。

尤も、会議さえ開けば業績が上がると言うのならそれこそ毎日会議だけやってれば良い訳で、そうは問屋が卸さないのが現実というものではないのだろうか。
かといって会議が無駄だとは思わないですがね┐(゚~゚)┌
ただ、会議を開いてFIXした事を検証してみないと会議そのものに価値があったのかはわからない訳だし、一番問題だと思うのは会議を開いただけで満足してしまう人が多いってとこ。

会議と言うのは言わば方便みたいなもんなので、開いただけで満足してしまうのは本末転倒な訳ですが、本当にそう言う人が多くて困ってしまう。
本来会議とは、その場で決まった事を実行し、成果が出て初めて良しとしなければならないわけで、最後は額に汗して無い知恵絞って行動するしかないと思うのですが如何でしょうか・・・ベタですけどね。

さて、仕込みの続き。
今日は一式陸攻を塗りました。


– 第四海軍航空隊所属の一式陸上攻撃機 –

8月7日のあの日、坂井さん達17機の零戦に守られて、ガダルカナル島ルンガ泊地を攻撃したとされる部隊がこの第四海軍航空隊所属機だったかは定かではありません。
ただ、この時期にラバウルに展開していた部隊で一式陸攻を運用していた部隊は第4航空隊らしいのでリペしてみました。
「本当に正解なんだろうな?」と聞かれれば「知りません」と答えるしかない。
なにせ戦後生まれなもので┐(゚~゚)┌

零戦以上に写真が少ないし、仮にこの4空が正解だとしても部隊の損失が著しいので、資料が少ないのも致し方ないと思われます。
特にこの部隊は半年で3回もの壊滅状態を経験しているので、再編作業の際には他の陸攻部隊から「死空」と忌み嫌われたほどだったらしい。
昭和17年末には、第七〇二海軍航空隊に改名し、翌年の昭和18年に解隊したそうです。


– 在りし日の第四海軍航空隊所属の一式陸上攻撃機 –

今回もWikipediaを読んでいてら、他の中攻隊の話で驚いた事があったので引用してみたい。

”彼らの機は日米開戦5日目のフィリピン、ルソン島空襲を悪天候のため超低空 350m で行い至近距離からの対空砲火に被弾し、帰途不時着した。一時は原住民に捕縛され在フィリピン米軍に監禁されたがそろって脱出して日本陸軍に合流、1ヶ月後にフィリピンに進出して来た本隊に1機8名全員揃って帰隊し隊の皆も歓喜した。しかし航空艦隊は彼らをすでに戦死と報告しており、経過を問題にし、内密に処分した。彼ら8名はその後死ぬまで数ヶ月間、飛行特技章、金鵄勲章、階級章は剥奪され、下士官だった者も一目で違いのわかる兵の服装を着用し、階級章のないまま滑走路外れのテントに起居を命じられた。
– 中略 –
1942年3月30日、彼ら8名はポートモレスビー飛行場の単機低空強行偵察写真撮影を命じられた。高度 1,000m で低速で数往復し写真撮影したが戦闘機に迎撃されず被弾し生還した。翌日1942年3月31日、単機により飛行場爆撃しその後に対空陣地へ突入自爆決行せよ、との命令を受けた。爆撃成功連絡の後、突入決行の暗号電文をラバウルで受信した。終了符のト・ト・ト・ツーの長符発信がながく数十秒続いたあと突然途絶えたので戦果確認機はなかったがその時刻に死んだと判った。彼らは通常の戦死として元の階級に復された上で1階級昇進”
– 引用終わり –

非道な旧軍司令部の命令もさる事ながら、潔く死する事へのある種の憧れにも似た当時の日本人の心情をも考慮しなければならない。
とは言え、周りの兵隊達からの”死を持って罪を償え”とも取れる言動もあったとされるを事を考えるに、あまりにも人の命を軽視する当時の日本人独特の死生観を見せ付けられたような思いがした。

ただし、やはり平時でない事が当時の人々に与えた影響は計り知れないと思う。
ここに至る前から、つまり、ずっと前から彼らは戦争をしていた訳で、言わば異常な状態を長年に渡り続けていた過程の中で、それら負の感情が育まれていったとしても何ら不思議な事ではないと思うのだ。

しかしながら、終戦間際の物資が底を付いてからの絶望的な戦いの中で行なわれた特攻とは違い、開戦から僅か半年も経ってない頃に行なわれたと言う事実を知るに至り、ただただ、戦争の深い闇を感じずにはいられないのです。
人命よりも名誉を重んじた結果なのでしょうが、そう考えると日本が戦争に負けたのはそれら命を粗末にした報いだったのではないかとさえ思えてくるのです。
「文化の違い」と人括りにしてはいけないのかもしれませんが、あの戦争のもう一つに側面には、こうした日米の死生観を含めた”文化対文化”と言う図式も見え隠れしているのではないでしょうか。
自らの手足を切り落すような真似をして、どうして立っていられるのか・・・今の価値観からは到底理解できない事だと思いました。

春の海 ひねもすのたり のたりかな

ちょっと遅いGWを頂いて日本海側を旅して来ました。
学生時代にお世話になった方が鳥取へ引っ越したので、まずはそこへ遊びに行って、そこから東へ移動して島根原発を見て、そのあと福井県に行ってもんじゅやら何やら見て、そのあと京都から新幹線で帰ってきました。

やっぱり地方は良いですね。
なんと言っても人が少ないのが良い。
街とかも歩きやすいし、忙しなくないのが凄く嬉しい。


– ふと、与謝蕪村の句が頭に浮かんだので激写 –

日本海と言うと、個人的には”冬の荒ぶる海”といったイメージがありますが、このように春の海は静かでした。
宿泊したホテルの前が開けていて、日がな一日海を眺めるのには丁度良い感じで、人もまばら・・・と言うかほぼ無人だったので良かったです。
尤も、ホテルの人にとってこの状態は死活問題なので、もっと賑わってる方が良いのでしょうけれども。
この辺りは、ある意味地方が抱えるジレンマなのかもしれません。
都会に住む人から見た地方の魅力とは、やはり風光明媚な景色とその土地の食べ物だったりする訳で、まるで渋谷や新宿のように人で溢れかえったような景色を見たいとは思わないし、ファミレスのメニューのような物を食べたいとは思わない訳です。
でも、地方の人からしたら賑わって欲しいわけで・・・

以前、過疎の村と呼ばれるような村へ行った事があります。
”過疎”なんて聞くとアレですが、行ってみると”田舎”らしい所で、個人的にはあの景色は残って欲しいと思いました。
でも、住んでる人からすれば不便な事も多くて、いろいろと問題もある訳ですよね。
病院とか、買い物とか・・・

元々私は観光地とかはあまり興味無いんですよ。
観光地へ行って写真撮って・・・って、何か証拠写真撮って満足してるような。
”その場所へ行きました”って言う証が欲しいだけと言うか、”〇〇へ行った幸せな自分”を封じ込めたものが欲しいだけって感じがしてあまり好きではないんです。
最近だとパワースポットとかも人気ですが、あんなに人で溢れかえった場所ではパワーよりも疲れを貰いそうだし、登山なんかでも山頂に立つのに順番待ちの場所もあるようで、某ラ王のCMで有名になった槍ヶ岳の山頂写真を見た時は衝撃を通り超えて笑ってしまいました。


– 彼らは何を求めてこんな過酷なプールへ行くのだろうか –

まぁ、夏の海やプールなんかも海外からは”養魚池”とか何とか言われて笑われてるそうですが、それでもなぜだかわからないけど好き好んで行く人がいる訳ですよ・・・泳げないプールに。

なんだか排気ガスをおもいっきり吸いながら健康の為にと皇居の周りを走るランナーのような感じ。

他にもイイとこ沢山あるのに、話題になるところにしか行きたがらない。
他人と同じ事に価値を見出し、ブームに乗り遅れまいとする姿を見るに付け、私は滑稽だと思うのですが皆さんは如何でしょうか。

話がそれましたね(゜-゜)\バキ

いずれは静かな所に住みたいと思っているので、こうして旅で訪れた場所では必ず不動産屋さんに立ち寄ります。
家賃が安いのはもちろんだけど、建物と建物の間隔とかが広いし、背の高い建物が少ないので開放感がありますよね。
電車とかも空いてるし、道路も空いてるし。

という事で、ノンビリと過ごせた一週間でゴザイマシタ。

さて、ようやくサポートから連絡が来たわけですが、結論から言いまして駄目でした。
ただし、知り合いの知り合いから教えてもらった方法で開く事が出来ました。
ただ、開いた後に通常の方法で開こうとすると、また以前と同じようにエラーが出てフリーズしてしまいました。
なので完全な形での解決には至っていないと思われます。

という事で、今日は朝から洗濯やら買い物やらで汗だくですよΣ(´д`;)
今日の東京は朝から暑かった・・・けど、今はとても過ごし易くなったので作業開始。


– 8月7日、坂井小隊の三番機として出撃した羽藤機 –

これも「証拠あんの?」と、突っ込まれたら「知りません」と答えるしかない。
何せこの眼で見た事無いもんで┐(゚~゚)┌

あと、同じ日に二番機として出撃した柿本円次さんの搭乗機に関する情報は、残念ながら見つける事は出来ませんでした。
で、ちょっと話が横道にそれるのですが、この柿本円次さんと言う方の事なのですが、加藤寛一朗(著)零戦の秘術を読むと、坂井さんがこんな証言をしていますのでチョコッと引用します。

”もう一人は柿本円次(下士官 二番機)と言って、これは(後に)撃墜されて戦死したと思ったら、オーストラリアで捕虜になっていましてね。これは後の話ですが。”

私はこれを読んで、てっきり生きて終戦を迎えられたのかと思っていたのですが、今回、柿本円次さんの事を調べていたらWikipediaの”カウラ事件”と言う項目の中で戦死した事を知りました。
柿本円次二飛曹は自決されたそうです。

カウラ事件・・・詳しくはWikipediaを見て頂ければ載っていますが、1944年8月5日に、オーストラリア連邦ニューサウスウェールズ州カウラで起こった日本兵捕虜脱走事件の事だそうです。

空戦では命を落さずに済んだものの、その後このような形で命を落す事になるとは、当の柿本さんもさぞかし無念だったのではないでしょうか。
こういう話を聞くに付け、思い起こされるのは坂井さんのこの言葉です。

”みなそんなに若くして死ぬ必要はなかった。
そして、生き残った者は功績を認められなかった。”

本当に悲しい言葉です。

とりあえず仕込み開始

例のサポートからのメール待ちの状態に少々飽き始めた私。
する事がないので仕込みを再開していみた。


– 西沢機と太田機 –

本当にコレで正解か?と問われれば「知りません」と答えるしかない。
それくらい当時の資料は少ない。
仮に機体番号が正解だとしても、機体の色、書体、帯の数、帯の色等々、カラー写真でも無い限りさっぱり分かりません┐(゚~゚)┌
それに、陸上基地の搭乗員には愛機と呼ばれる概念は無く、その都度違う飛行機に乗っていた訳で、どの作戦の時にどの飛行機に乗っていたのかを記した資料もネット内で見つける事は出来ませんでした。
もちろん、その中でも”良く乗った”機体はあったようなので、それを愛機と呼ぶ事はあったらしい。
細かい事を言えば、それも戦中からなのかそれとも戦後になってから便宜上そう呼ぶようになったのかは分かりません。

案の定と言うか、今回も海外のサイトが頼みの綱だったのは悲しい限り。
日本のサイトはいつものパターンで途中からあらぬ方向へと行ってしまう。
「祖国の為に命を捧げた英霊達に感謝!!」とか何とか書いてあった後に、いきなり幼女の裸のイラストとか出てきて「〇〇タン」とか何とか書いてある。

きっと草葉の陰で泣いてるよ・・・英霊達も。


– 西沢広義 享年24 –

いつの頃に撮られた写真かは定かではありませんが、とても24歳には見えません。
命を懸けると言う事が、この若者にどれ程の重圧を与えていたのかが分かる写真です。
”老ける”と言う事ではなくて、貫禄のような物だと思われます。


– 飛行服に軍刀 –

こちらの写真もいつ頃撮られたのか定かではありませんが、上の写真と比べるとまるで別人のようです。
時期的な事もあると思いますが、赴いた戦地によっても置かれた状況は違うので何とも言えません。
比較的余裕があった頃に撮られたものだと思われます。


太田敏夫 享年23 –

坂井三郎さんによりますと(Wikipediaより引用)

「(太田は)色白の好青年で、いつもにこにこしていて、どちらかというと、おとなしい男でしたが、実戦には強かった。(中略)あばれん坊のそろっていた戦闘機隊では、ちょっと珍しい貴公子的な存在でしたね。」
だそうです。
写真からもそんな雰囲気が伝わってきます。
実戦にも強かったと書かれてありますが、その片鱗を大空のサムライの中にも読み取る事が出来ます。
台南空が5機のB-17を全機撃墜した時も、太田さんがB-17を撃墜する様子が書かれています。

今回調べていて初めて知ったのですが、元々は戦艦金剛勤務だったんですね。
坂井さんも元々は戦艦霧島、戦艦榛名勤務だった。
硬直した人事と思われがちな旧日本軍ですが、下士官達にはこうして選択していく道も細いとはいえあった訳ですね。
尤も、今より遥かに職業選択の幅が狭かった時代なので、本人の努力があっての事なのは言うまでもありません。
その努力の一端は、大空のサムライを読む事で垣間見る事が出来ます。
坂井さんがパイロットになる為にどれだけの努力をしたか、さりげなく書かれていますが大変な努力があった事は想像に難くないと思います。


– 在りし日の台南海軍航空隊 –

職業選択の自由が叫ばれて久しい昨今ですが・・・

私を含めて、現代の若者が自分の仕事に就くのにこれだけ努力した事があるでしょうか?
私を含めて、現代の若者が自分の仕事にこれだけ真剣に向き合った事があるでしょうか?

口を開けば上司の悪口や会社の悪口。
さしたる努力もせず、上手く行かないのは社会が悪いと言い、自分のおかれた状況が悪いのだと言う。
他人の失敗を笑い、自分は何もしないで他人の揚げ足を取る。
口だけ達者な人々が溢れ、知識自慢の頭でっかちがネット内を跋扈する。

英霊達は何を思うのでしょうか。

月に叢雲花に風


– SAMURAI! – 坂井三郎空戦記録の海外版 –

ちょっと職場でイロイロ面倒があって落ち着いた時間が中々取れなかったわけですが、ここへ来てようやく創作意欲が沸いて参りました。

と言いましても、その”面倒”はこの先も続いていくので、ビデオ製作の中断も有り得る次第でゴザイマス。
忘れた頃に出来上がると思いますで、そのまま忘れて頂いて結構でゴザイマス(゚ε゚)

が、のっけから問題発生で気持ちが折れそうでゴザイマス。

ビデオを製作したことがある人ならお分かりだと思いますが、ビデオの編集をする際に”プロジェクトファイル”と言うものが作られます。
言わばビデオの設計図のようなものなのですが、これが開けなくなってしまいました。

以前のエントリーでも書きましたが、実はこのビデオは既に半分ほど完成しています。
あまりにも出来が良くないので、こやつを放置して先にJV44のビデオを作った訳です。
廃棄しようかとも思いましたが、ここへ書いてしまった手前「マズイですよねー」と言う訳で作業を再開したのがさっきでゴザイマス。
意気揚々と編集ソフトを立ち上げ、意気軒昂にプロジェクトファイルを開いたらエラーが出まして、そのまま編集ソフトは固まってしまいまして意気消沈でゴザイマス。

むむむ∩( ・ω・)∩

知り合いのビデオ職人さんにも問い合わせたりしていますが、原因が判らなかったら最悪作り直しかな?と思っております。
でもメンドクサイなぁ・・・

– OPを簡単にまとめただけの予告 –

※設定ミスにより観れなくなっていた模様です(´・ω・`)サーセン

仕事でニューヨークに行った時に、ふと入った本屋さんで見つけたペーパーバック版の”SAMURAI!”がモチーフになっています。
久しぶりに本棚で見つけて読んだのがきっかけです。
ご覧の通りのアリサマでクオリティが低い訳ですが、要するにノリ切れていないのが原因だと思われます。
ノリノリになったら作り直したいシーンの一つです。

尤も、プロジェクトファイルが開けないと何も始まらないわけですが┐(゚~゚)┌