カテゴリー : IL-2

スクショで振り返る2013

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– 発艦前の赤城飛行甲板 – 今年の最初の頃はIL-2のリペイントしてた –

いや~、今年もあっという間だったな。
25歳過ぎると加速度的に速くなるみたいなことを言われてたんだけど、ホント・・・身に染みて感じている今日この頃。
子供の頃はもっと一年が長かったですよね。
ところで、2013年は皆さんにとってどんな一年だったでしょうか?
楽しい事もあれば辛い事もあったと思いますが、過ぎてしまえばアレですよねぇ。

ま、一年に一度くらいは過去を振り返ってみるのも良いんじゃないかなって事で、このblog的な事を中心にSSで一年を振り返ってみた。

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– ETS2 – 春先頃はガチムチに夢中だった –

私の2013年は精神的に疲れる事が多くてアレでしたね。
本格的に自分の部署が出来て、結構大所帯なので最初は人心を掌握するのに神経を使いまして・・・年上の人とかもいるので。
やっぱり自分にはリーダーは向いてないかな?なんて弱気になった事もありましたが、今はなんとかなってるので良かったかな。

仕事が忙しくなった分ビデオの製作とか時間が掛かる事が出来なかったけど。
ぶっちゃけると非公開の物は作ってたんですよ。
内輪向けのとかね。
公開する物を作らなかったと言うだけなんです。
未公開のはクオリティ的に楽なので。

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– 烈風の登場は嬉しかった。なんちゃって343空の烈風と352空の雷電のリペ –

今年の初めの頃はIL-2のリペしてて、艦攻、艦爆、あとは雷電とか塗ってましたかね。
春先からETS2にハマり・・・夏の前あたりは烈風効果でIL-2の烈風のリペイントをしてた。
8月頃は大和のリペイントなどに夢中になり、秋にかけてファントム塗ったり・・・で、なぜか11月ごろからF1ブームになりLotus 100Tを塗りました。
リペイントばっかりやな・・・来年はリペインターとしてデビューするか(嘘)
それにしても、こうして通しで見てみるとホント熱しやすく冷めやすい性格が良く出ていますよね。

あっちに興味示してみたり、こっちに興味を示してみたり。

そんな中でもF-1ブームは自分的にもビックリでしたね。
ゲーム自体もアレだけど、厳しい競争の中を必死に頑張る中嶋さんやホンダの技術者達の姿に感動したからかもしれません。
でも、まさかF1のリペイントにまで手を出すとは自分でも驚き。

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– ウェザリング前の大和。夏ごろは大和のリペイントに夢中でした –

もっとも、私の場合は下手の横好きなのでアレなんですが・・・そんな事を言ったらゲーム自体も下手の横好きなのでアレなんですけどね。
でも、楽しい。
ゲームで遊んでる時より塗ってる時の方が楽しい。

blogとかもそうなんですけど、寝る前の一時間と決め手チマチマ作業するのが良い感じなんですよ。
好きな音楽を聴きながら書いたり塗ったりってのが良いみたい。
料理とかもそうなんですけど、やっぱり何かを作るってのが好きみたいですね。

その代わりゲームは上達しないけど。

来年は何しようかな。
PS4でも買うか。
ボーナスも出たしね・・・全額貯金しちゃったけど┐(゚~゚)┌

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– RF4Eもどきと、この時に塗ったRF4EJ –

ホント・・・欲しい物ないんですよ。
貴金属とかあまり興味ないし・・・強いて言えば白物家電を買い換えるのでそれかな~
掃除機とか洗濯機とかね。
洗濯機は買う物決まってるんですよ。
掃除機がねぇ・・・悩む。

掃除するの好きなんで、掃除機にはこだわりたい。
ダイソンにするか、国産のゴミパック式にするかで悩んでおります。

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– こないだまで塗ってたLotus 100T –

と言う事で今年の最後のエントリーは実家から書いてみました。
ipad先生大活躍と言う事ですが、使い辛くてイライラしたのはナイショ。
買ってからずっと埃かぶってたからなぁ。

そそ、今年最後のSSを何にするかで悩んだんだけど、アル意味今年一年間悩まされ続けたと言う事でspamのSSで締めたいと思う。
6月~11月までの半年間ですが、こんな感じです。
12月の分が集計には入っていませんが、下の方にチラッと見えてますな。

来年は是非ともspamとオサラバしたい。
これでも減ったんですよ・・・去年は酷かった。
倍ぐらい来てましたかね。

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– いろんな意味で今年もspamに悩まされた –

ふぅ~
文字が打ち辛くて疲れた。
ボーナスでMSのやつ買おうかな。

ま、いっか。

と言う事でそろそろお開き。

それでは皆さん良いお年を~ (・ω・)ノ

ビデオ職人的軍艦大和概論

やっぱり今年の夏は異常気象だったそうで・・・って毎年そんな事を言っているようないないような気もしますが確かに今年は暑かった。
特に8月の前半が酷かったですね。
夜遅い時間なのに駅から家まで歩くだけで汗だくになったり。

日が暮れても30度以上とかって異常でしょ。

ようやく涼しくなってきたけど、残暑が・・・なんて事にならない事を祈ろう。
秋は食欲の秋なので、減ってしまった体重を取り戻すべく美味しいものを沢山食べたいと思う。
まぁ、デブにならない程度にですが・・・

ただ、食欲不振のせいで胃が小さくなってしまったのかあまりお腹が空かないし、量も食べられなくなってしまった。
そのせいもあってか家で料理をする機会がめっきり減ってしまった。
という事で、今夜は簡単におにぎりで済ませました。

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– たまに無性に食べたくなるおにぎり – 炊き立てのごはんで作ると火傷する –

おにぎりと言えば、戦艦大和の最後の乗組員達も4月7日のあの日、戦闘配食でおにぎりを食べたのだそうだ。
文字通り最後の食事になってしまった人も多く、そんな事を考えるとおにぎりを食べるのも気が重くなってしまう・・・
また、「赤飯を食べた」との証言もあるらしいですが、残念ながら私の方では確認する事が出来ませんでした。
大和の乗務員は約3000名ですから、もしかしたら部署によってはお赤飯が出た所もあったのかな?
それにしても3000人分のおにぎりを作るのはさぞかし大変だったでしょうね・・・資料によると巨大な洗米機によって洗米を行い、当時最新鋭だった電気炊飯器によってお米を炊いたのだそうです。

因みに、艦長の有賀大佐はこの時に配られたおにぎりを一口も食べなかったそうです。

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– とりあえず完成した大和 – 細かい事を言えばアレですが塗るのに飽きたもので –

ご承知のとおり、ここんとこずっと大和のリペをする為に色々と調べ物をしていまして、特に模型をやっている人のサイトは本当に参考になった。
比較的精神年齢が(実年齢も?)高い人が多いせいだろうか・・・考証的なことも含めて”大人”な感じが伝わってきて非常に好感が持てた。
この場をお借りして改めて謝意を表したい。

それに・・・そう言った”大人”の方たちが作ったであろう戦艦大和の模型の素晴らしい出来栄えには溜め息が出るほどだった。

実は数多くの作品群に見とれてしまい長時間その方達のサイトに居座ってしまったのですが、その中のお一人の方が完成した模型を販売をされているようなので、いつの日か機会があったら購入してみたいと思ってみたり。
金額的にもかなり値は張りますが、その価値は十分に有る程に完成度は高いと思う。

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– リペ後の公試運転で宿毛沖標柱間を全力航行中の大和 –

いずれマンションを買うか一戸建てを買うかしたら購入したいと思う。
なにせ引越しの度に何かが壊れてしまうので・・・賃貸暮らしの身としてはイマイチ購入に踏み切れない。
特にCDケースは引越しの度に必ずと言って良いほど割れる。
もちろん引越し屋さんを責める気は毛頭無いけど・・・一般的なCDのケースなら代替はいくらでもありますが、限定版とかのだと既存のCDケースより厚かったりするのでいつも泣いとります(;´Д⊂)

要するにプラモデルも所詮はプラスチックなので言わずもがなでしょうって事で。

あとは、デアゴスティーニの”戦艦大和を作る”の製作日記を公開されている方がいまして、中にはそれほど模型作りが上手で無い人なんかもいるんだけど、そういう人達の悪戦苦闘ぶりを見るのも結構楽しかった。
なんだろう・・・草野球とか草サッカーを楽しむ人々の姿を河川敷とかで見ている時の、あの”ほのぼのした感じ”に近いと言ったら分かり易いだろうか。
「10数年ぶりに模型製作を再開した」・・・なんて話を聞くと応援したくなるじゃないですか。

模型と言えば例の大和ミュージアムの1/10の大和も模型ですよね。
考証的な事で言えば最も新しいものだと思われますので色々と発見があって良かった。
例えば艦橋後部にはラッタルがあって兵はこれを利用して移動していた訳ですが、「防空指揮所へはどうやって上がるのか?」などの疑問が解けたのも大和のミュージアムの模型をはじめとする”模型”達のおかげだった。

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– 光人社刊 究極の戦艦 大和 – 模型を見る為だけの本です –

この本は1/10の大和の模型見たさに買ったのですが、意味不明な漫画に数十頁も割いており、残念な出来だと言わざるを得ない。
あんなくだらない漫画を載せるくらいなら大和ミュージアムの模型をもっと載せるべきだし、光人社なら本物の大和の写真もあるのだろうからそれらを掲載した方が良かったんじゃないかと思うのですが・・・
なので、正直言いましてこの本はお勧めできません。
ただし、大和の模型の写真に関しては良い写真が沢山ありますし、模型の製作途中での撮影だったせいか工具などもチラっと写ってまして、模型の大きさが良くわかる仕様?になっています。
それに、各部のアップが多いのでプラモデル製作の資料と言う意味では優れていると思われます。

と、プラモデルを作った事が無い私が言ってみる。

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– トラック泊地に投錨する大和と武蔵 –

さて、戦艦大和って人によっては色々な見方があると思うのですが、ちょっと頭の弱い人の中には”鉄屑だ”とか”世界の三大馬鹿だ”とか言って得意気になってる人がいてアレなんですよね。
こういう人達ってのは原始時代の人が火を起こすのに苦労しているさまを見ても「馬鹿だなぁ」とか言えちゃうんだろうか?
「ライター擦ればすぐに火が着くのによプギャー」とか言いそうだから怖い。

それに、結果を見たあとなら何とでも言えるんですよね。

私から見て一番アホだと思うのが、まるで日本の軍部だけに先見性が無く巨艦を建造してたかのような事を言ってひとり悦に入るタイプの人ですかね。
たぶん他の国の事情とか知らないで書いてるんだろうけど、この時代ってのは巨大な戦艦の建造から運用も含めて全てが暗中模索だった訳で、その証拠に他国だって同じような※フラッグシップをせっせと作っていた時代な訳ですよ。
そうなると、前の時代を生きた全ての”人々”は馬鹿って事になっちゃうんだけど、ネットでキーボード叩くだけの連中ってのは自分の事を何様だと思っているんだろうか?

巨大な戦艦と言うのはある意味この時代のトレンドだったわけで、今で言えば空母に匹敵するような存在だった訳でしょ?
もっとも、上のような連中に言わせれば空母でさえもあと何十年かしたら「プギャー」の対象にされそうだけど。

ただ、同じように戦艦大和の事を”世界最強の戦艦”とか言ってはしゃいでる人も多いので、コレはコレで違うような気がするのも事実。
ひとつ言える事は、当時世界最大の戦艦だったって事は紛れもない事実だと言う事。
でも、戦に負けて沈んでしまった以上、世界最強の戦艦ではない訳だし、ましてや浮沈艦では無いという事。

もっとも、他艦に比べて沈み難かったのは事実だそうです。

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– 低く垂れ込めた雲と沖縄を目指す大和 – 画面奥には駆逐艦浜風 –

大和建造当時に設計を担当した牧野茂氏によれば、いわゆるバイタルパート以外の無防御部と呼ばれる箇所の浸水対策、俗に言う浮沈化に関してはまだまだ研究の余地があったのだそうだ。
氏の独断で隔壁を厚くする等の対策はしたものの、船殻重量が計画重量より1600トン程超過してしまい積極的な対策は出来なかったそうだ。
大和の同型艦である武蔵の沈没の様子などを見ると、この無防御部の浮沈化対策をもう少しやっておけば良かったと慙愧の念に堪えないのだとか。

考えうる対策としては水密区画にバルサ剤を入れる事や、空の石油缶などを敷き詰めるなどだそうで、現代であれば「発泡性のラバーなどを充填してしまうのも不沈化としては有効なのではないだろうか?」との見解を示されていた。

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– 駆逐艦冬月と涼月を従えて沖縄を目指す大和 –

まぁ、素人が言うのもアレなんですけど、戦争ってある意味ジャンケンみたいなものだと思うんですよね。
戦艦大和をグーに例えるとするならば、米艦載機はパーに例えられると思うんですよ。
グーはパーには勝てない訳で、380機以上とも言われる艦載機相手に戦艦が戦う事自体無謀だったのだと思うのですよ。

パーにはチョキを出さなきゃいけなかったんだけど、残念ながらその頃の日本にはもうチョキが無かったってことなのかもしれません。

要するに、それが戦略であり、戦術であり、まさにそれこそが戦争って事なんだと思うのです。
負け戦であるところの敗戦間際の日本の状況って、今を生きる私が想像する以上に悲惨だったのだと思います。
そういう意味からすれば、今を生きる私からすれば本当に亡くなられた方々には黙して頭を下げるしか無い訳です。

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– 米艦載機の猛攻に曝される大和 – 左舷前方には駆逐艦霞 –

では、グーは何に勝てるのかと言えばチョキになる訳ですが、ではこの時代のチョキは一体なんだろうかって話にもなりますよね。
戦艦が一方的に勝てる相手ってなんなんでしょうね?
そう考えると「そもそもあの時代の戦艦って必要だったのか?」って議論にもなる訳で、そういう意味からもこの時代の戦艦って微妙な存在だったのは事実だと思います。

翻ってみれば日露戦争ならいざ知らず、WWIIではどこの国の戦艦もあまり役に立っていないんですよね。
開戦早々に撃沈されてる有名な戦艦がある時点で既にに兵器としてはアレな存在だったと言わざるを得ない訳です。
だからと言って昔の人々を馬鹿だの何だのと言うのはおかしいですが。

メタっぽい視点・・・ではなく、ヲタっぽい視点で大和を語るとするならば、日本の技術の粋を集めてって事になるんでしょうけど、その日本の技術の中には世界水準からすれば一世代前の技術と言えなくも無い技術も有った訳で・・・そういう意味からすれば一世代前の技術で造られた最高傑作の兵器と言えるかと思います。
光学式の側距儀とかが象徴的ですよね。
これは当時、世界最大の側距儀だった訳ですが、アメリカは光学系からレーダー射撃の方へ進んでいった訳で・・・いくら「世界最大の側距儀です(キリっ」とか言っても当たらなければ意味ない訳で・・・
なので、無理やり艦隊決戦の条件を考えると・・・戦闘が昼間で尚且つ天気が良くて、向こうのレーダーが使えない状況で、護衛の米艦載機が一機も無いにもかかわらずアメリカさんが「ガチでヤリタイ!」もしくは「大和と主砲を撃ち合いたい♡」って言うんなら互角もしくは大和の方が多少優勢ってレベルなのなかなぁって気もしますがどうなんでしょうか。

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– Avenger雷撃機から投下されるMark13魚雷 –

もっとも、上に書いたような間抜けなミリヲタの妄想みたいな事が実際の戦闘ではおきる筈も無く・・・だからこそ大和は使いどころが無いまま戦争末期まで生き残り、最後は海軍の面子の為に出されたんだと思うのですよ。

御前会議の場で陛下が言われたそうですね「海軍にはフネは無いのか?」と。
大和があるのに使わないまま敗戦したら海軍の面子が立たないと海軍上層部が考えたのかは定かではありませんが、少なくとも現場の兵士たちは自分達が戦わずして日本が負ける事は許されないのだと言い聞かせて出撃したのではないだろうかと個人的には思っています。
もちろん、勝てると信じて疑わなかった兵士たちもいたのでしょうが。

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– 左舷後部に被雷する大和。最後の手段として罐室にまで注水したがあまり効果は無かった-

生存者の方々の話なんかを読むと最後の戦闘もかなり辛かったようです。
これもある意味象徴的な事なんですが、機銃を増強したり、高角砲増強したりと時代の変化に対応する為に大和は兵装を強化していったのですが、残念ながら兵器そのものの性能は殆ど上がってなかったんですよね。
これは零戦のエンジンの馬力が殆ど上がらなかった状況と酷似しています。
零戦も小幅な改造はいろいろやりましたが、肝心のエンジンの馬力が上がらない以上焼け石に水だった訳ですが、大和の場合も兵装の数は増やしたけれども肝心の兵器単体の性能が低いままだった。
初速の遅い機関銃では敵機を追いきれず、高角砲に至っては同様の問題に加えて最大射高8000メートルと言われていても実際は高度5000メートルくらいまでしか有効では無かったとか・・・

カタログスペックでは優れているけれどもって感じでしょうかね。

後は対空戦闘には輪形陣は向いていなかったみたいですね。
レイテ海戦の戦訓としてあまり効果が無かったと伝えられたとか何とかって聞きました。
それでも大和は輪形陣で沖縄を目指した訳で、この辺りもロッテ戦法を中々採用しなかった・・・ある意味伝統を重んじる海軍ならではと言ったら嫌味を言いすぎでしょうか。

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– 二番主砲塔左舷水面下で炸裂する炸薬量270kgのMark13魚雷 –

さて、戦艦大和の最大の謎と言えば、この沖縄特攻の際に甲板を黒く塗ったのか否かなのですが、チョッと前までは黒く塗ったと言う説が正しいとされていたので、私なんかは今回調べるまで”黒”で決まりだと思っていました。
ところが、最近ではこの作戦の前に元の色に戻したと言う説もあって、時代とともに考証は変化し続けていたようです。

レイテ海戦の時には黒く塗ったのはほぼ間違いないそうです。
当時の乗組員の証言もあるようですし、それを記録した書類なども残っているそうです。
しかしながら、沖縄特攻の際には記録が見当たらないのと、黒く塗ったと言う証言も無いそうです。

ただですね・・・この写真なんかは黒く見えるんですよね・・・
木甲板は水に濡れると黒く見えるそうですし、経年変化でグレーっぽくはなるそうなので・・・カラー写真でも無いと全くわかりません。
こればっかりはタイムマシンが開発されるまで待つしかないようですが、零戦の色もそうなんですけど、こういうのって謎が有った方が楽しいと言うか、正解を知りたい反面、ずっと謎のままでも良いかなと思ってしまったり。

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– 第一波攻撃時と推定される大和 – 艦尾のジブクレーンが撤去されているのが分かる –

レイテ海戦時の戦訓により、艦尾のアンテナ支柱も沖縄特攻の時は撤去されたらしい。
ジブクレーンごとなのかわかりませんし、倒して収納したのか完全に撤去したのかはわかりません。
1/100大和の模型製作で有名な故・河井登喜夫氏の考証によるとクレーンは撤去したとの事。

あと、この写真だとわかりにくいですが、木甲板の両舷には白いマーカーがあったそうです。
これはレイテ海戦の時から施されたそうで、被弾箇所を特定し易くする為だそうです。
数字が書かれているとの説もありました。

このマーカーの存在を考えると、やはり甲板を黒く塗ったのではないか?と思ってしまうのですがどうなんでしょう・・・
黒い甲板だからこそ白いマーカーが目立つ訳で、逆に黒くない甲板であれば、もっと違う目立つ色でマーカーを描いたと思うのですが・・・
まぁ、私なんかより大和の考証に関して詳しい人達がたどり着いた結論なので、ホント素人考えでサーセンって感じですが。

それと、定説のように言われている大和の左舷への集中攻撃の件ですが、実はこれも偶然だったのだとか・・・
シブヤン海での対武蔵戦での戦訓を生かして「大和へは片側を集中攻撃して転覆させようとした」とか何とかって聞いた事があると思いますが、実は大和が左旋回ばかりするので左舷が狙いやすかったからなんだとか。

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– 坊ノ岬沖海戦で一番主砲塔右舷に被弾する大和 –

米側の記録からも右舷への攻撃が度々なされているのが確認されていますし、最後の致命的な一撃は右舷への魚雷4本の攻撃だったと原勝洋氏も著書に書かれていますので・・・
まぁ、要するに前後左右ありとあらゆる方向から攻撃されたと言うことですな。

雷撃と言えば、この戦いでアメリカ軍が使用した航空魚雷はMK13と言う物なのですが、これは比較的高い高度(高度約2,400 ft)から落としてもちゃんと海中を走って行くんだそうです。
なので、雷撃なのか爆撃なのか判断しづらく回避が難しかったと言われています。
大和の生存者の中にもその様子を目撃していた人がいて「なんであんなところで爆弾を落とすのだろう?」と不思議に思ったと証言しています。

日本の酸素魚雷も高性能だったと言われていますが、アメリカ軍の魚雷もまた、その工業力に物を言わせて改良を重ね、大戦末期では高性能な物へと進化していたようです。
炸薬も高性能なトーペックス火薬を使用し、威力も強力だったと言われています。
そう考えると、大和が計画・建造された当時では想像すら出来なかったような高性能な兵器がこの戦いに投入されていたのだと思います。

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– モンタナ級戦艦の完成予想図 –

※アメリカを例に取ると、アイオワ級4隻を建造した後に、更に巨大な排水量6万トンクラスのモンタナ級の計画・建造が1940年に承認されている。
因みにモンタナ級の建造中止が決まったのは1943年の7月である。
大和が就役してから一年半後と言う事を考えると、上のような「プギャー」とか言ってる馬鹿な連中からすればアメリカもまた先見性が無かったと言う事になる。
他にも1939年から予定していたドイツのZ計画や、それに対抗してフランスが計画していた排水量45000トンのアルザス級戦艦など、当時の列強各国が巨大な戦艦を戦力として認識していた事が伺える。
つまり、別に日本の軍部だけに先見性が無かったのではなく、他国もまた暗中模索だったのである。

戦艦が無用の長物と成り果てた理由のひとつとして言えるのが航空戦力の急激な進歩によるものだと思われる。
戦艦などの海上兵器に比べて、航空機そのもの性能の向上や航空魚雷のなどの進歩の度合いが大きかったが故に、それまで海上兵器の花形であった戦艦の価値は相対的に下がる事となり、あっという間に陳腐化してしまったのではないだろうかと考えますが如何でしょうか。

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– 海底の大和 – 坊ノ岬沖海戦では推定3721名が戦死した –

やられたらやり返す!倍返しだっ!

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– リペイント中の大和 – 現在諸事情により[週間IL-2の戦艦大和を塗る]は休刊中です –

まだまだ暑いっすねぇ~(´。`)
昨日今日とマシになりましたが、先週は酷かった・・・
せめて湿度が低ければねぇ・・・日本の夏は気温もだけど湿度が辛いですよね。
先日、駅のホームをスタスタと歩いていたらクラクラっと来て線路へ落下しそうになった。
電車来てたんで危なかった。
皆さんも気をつけてくださいよ。
特に酔っぱらってる時は危ないですから絶対に線路の端っこは歩かないようにしましょう。

ところで・・・出たんですよ例の夏に出るアレが・・・

幽霊とかじゃないですよ。
Gでもない。
なんと!もう蚊が出たんです。

部屋でくつろいで映画見てたら刺しやがってんですよヽ(`Д´)ノ

連合艦隊
– 連合艦隊 – 暑い日は部屋の中で映画鑑賞 –

いろいろ調べてみたら網戸がちょっとズレてたみたいでそこから入ってきたみたい。
まだ早いとおもってキンチョウリキッドを出していなかったので不意を衝かれた格好。
殺虫液が少し残ってたので、あわてて点けて見たけど効いてるのかはイマイチわからない。
因みにコレって使用期限みたいなのはあるのかな?
去年の残りだけど大丈夫なのだろうか?

それにしても去年までは蚊に刺される事など滅多になかったのに今年はどうしたんでしょうかね?
蚊の大量発生の年なのだろうか?
被害は小指に一刺しされたのと、肘のとこに一撃されたようで痒くて辛い。

このblog的な事で言えば、さしずめ坊ノ岬沖海戦の時の大和のような感じだろうか・・・

私=大和
蚊=米艦載機

大和と言えば呉の大和ミュージアムで実物大の大和の艦橋内部が公開されているようですね。

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– 大和ミュージアム –

意外と狭いと言うか、世界最大の戦艦の艦橋がこんなに狭いとは・・・狭い狭いとは聞いてはいましたが改めて感じました。
ところでこれは第一艦橋なんですかね?
夜戦の時はもう一段下の第二艦橋で指揮を執ったらしいですね。
因みに艦橋は基本的に防弾は無いそうですね。
機銃弾も防げ無かったとかなんとかってどっかで読んだように記憶していますがどうなんでしょうか。
配線とかが集中して通っている内筒は20ミリくらいの鋼鈑で覆われてたそうですが・・・

で、対空戦闘になると更に上にある防空指揮所で艦長自らが指揮を執ったそうです。

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– IL-2にて米艦載機の波状攻撃を受ける大和 – 色味模索中 –

艦長自らが目視、もしくは周りをぐるっと囲むように配置された見張り員からの報告を受けて敵の攻撃を避けたようです。
と、言いましても、大和は巨艦ゆえに舵を切ってからからしばらくしないと実際には舵が利き始めないそうで、大和の癖を掴んだうえでの先読みが必要だったそうです。
一説によると舵を切り始めてから実際に回頭し始めるのは90秒から100秒後だったそうです。

それでは、仮に大和が全速力で回避行動を取るとどうなるのかためしに計算してみましょう。

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– 徳山沖で回避運動中の大和 – 大戦末期では自国の内海ですら安全ではなかった –

大和の最大速度は27ノットと言われていますので、これを時速に換算すると約50km/hと言う事になります。
更にそれを秒速に換算すると約14mと言う事になります。
なので、仮に大和が全速力で回避行動を取ると1260m~1400mほど直進してからでないと回頭し始めなかった事がわかります。
回頭し始めると巨艦の割には小回りが効いたそうですが、次の回避行動を取るためには当て舵が必要になり操艦は難しかったと言われています。
それに、回避行動を何度も取ると船足は極端に遅くなり、事実上3回~4回目の回避行動は効果が無かったとも言われています。

まぁ、大和が計画、建造された頃は航空支援の無い戦艦が敵航空戦力とガチで戦う事などあまり想定されていませんでしたし、ましてや延べ380機以上とも言われる敵航空機による波状攻撃に曝される事など誰も想定していなかったでしょう。

※当初の想定では魚雷1本命中に対しては5分以内に傾斜復旧、2本目の魚雷命中に対しては30分以内に復旧し戦線に復帰できるとされていました。

防空指揮所
– 防空指揮所 –

当然ですがここも防弾なんてないので、敵機の機銃掃射でイチコロだったりします。
そんなとこに艦長自らが立つわけですから、昔の人は本当に肝が据わっていた言うか、今の政治家とか企業家なんかとはえらい違いですよね。
率先して危険なとこに行くんですから。
ただ、艦長が死んじゃうといろいろ大変だったりするのも事実なので、実は本当の心臓部と言うか司令塔は大和の艦橋の根元の辺りにちゃんと用意されています。
ここは500ミリの特殊鋼鈑によって守られた大和の中で最も頑丈に作られた場所のひとつだったそうです。
因みに大和の装甲で一番厚いのは主砲塔前盾で660ミリあったそうです。

坊ノ岬沖海戦の時を例にとると、艦長の有賀幸作大佐は防空指揮所。
伊藤整一中将や先代の大和艦長であった森下信衛少将は第一艦橋。
副長の能村次郎大佐は司令塔にて指揮を執ったそうですが、沈没間際に司令塔と艦長との間で連絡が取れなくなった為に第二艦橋まで上がっていったそうです。

4月7日のこの日、注排水指揮所の壊滅により傾斜復元の見込みが無い事を艦長に伝えたのは、副長の能村次郎大佐が第二艦橋の電話を使っての事だそうです。
それを聞いて艦長の有賀大佐は「お写真はどこにあるか?」と尋ねたと言われています。
それと時を同じくして、第一艦橋にいた森下少将が伊藤長官に対して意見具申したとの事です。

鶴田浩二
– 連合艦隊で伊藤長官役を演じる鶴田浩二 –

– Wikipediaより引用 –
”坊の岬沖海戦で、大和の浸水により艦の傾斜が復旧出来ないとの連絡を聞くと、長官席に座っていた第2艦隊司令官伊藤整一中将に対し、「もう宜しいかと思います。総員上甲板の命令を発します」と作戦の中止を具申し(それを聞いた伊藤中将は「残念だったね。皆御苦労でした」と答えを返したと言われている)”
– 引用終わり –

その時の大和の艦橋内の雰囲気はどんなだったんでしょうかね?
死を覚悟していたとはいえ、万に一つの可能性と、帝国海軍軍人としての”面子”や”ケジメ”のようなものをつける為の戦いと割り切っての事だったのではないだろうかと推察出来る訳ですが、それも伊藤長官の最後の言葉が意外とサバサバしたように聞こえるからかもしれません。

先にも書きましたが、昔の人は本当に肝が据わっているなぁと思いますね。

”覚悟”と言う言葉にも置き換えることが出来るかと思います。
一旦覚悟を決めたら泣き言なんか言わないわけですよ。
理不尽な命令だろうが、一旦受けた命令には逆らわない訳です。
それが軍人・・・戦時下の”戦う男”と言う事なのかもしれません。
昨今の言い訳がましい輩を見ると情けなくなりますな。

だからと言って「今すぐここから飛び降りろ!」と、ブラックな社長から命令されても実行してはいけません。
そんな奴の為にあなたの人生を無駄にしてはいけないのです
もし、あなたがそんな事を言われたら心の中で「やられたらやり返す!倍返しだっ!」とつぶやき、その足で弁護士事務所の門を叩き社長を訴えてやりましょう。

話がそれた(゜-゜)\バキ

大和ミュージアムは是非一度見に行ってみたいですね。
大和の1/10の模型や零戦なども見たいのはもちろんなのですが、なんと言っても見てみたいのがコレ↓

あきしお
– 海上自衛隊のあきしお –

ゆうしお型潜水艦の7番艦だそうで、全長は76メートルだそうです。
このオブジェは反則だなぁ・・・ご近所さんが羨ましい。

次の退役艦は是非ともお台場辺りに飾って頂きたい。

そそ、ちょっと前にラジオで聞いたんですけど、小学生が乗ってみたい乗り物の第1位はなんとイージス艦だそうです。
ちょっと意外だなと思ったら名探偵コナンと言うアニメ映画の舞台がイージス艦なのだそうです。
子供は影響を受け易いと言うかなんと言うか・・・

まぁ、”大きなお友達”と称される輩もアニメの影響から”聖地巡礼の旅”に出るらしいのでね。
太陽の光を浴びるのは良い事だとは思いますが、動機が小学生並みと言うのが笑えますな。
要するに精神的に幼稚なんでしょうが、自分の子供が将来そんなふうになったらゾッとする。

キッカケがあるらしいですね。
会社にアルバイトに来てる学生君なんかに話を聞くとオタク化するキッカケがあるらしいので、そうならないように対策を打つしかないようです。
まぁでもヤンキーとかになるよりはマシなのかな・・・でもどっちも嫌か(´д`)

話がそれた(゜-゜)\バキ

Aedes Albopictus
– 血を吸うヒトスジシマカ – アカイエカは日本脳炎を媒介するので注意が必要だ –

キャンプ仲間に聞いたんですけど・・・って言うか、一度実践されて物凄く怖かったんですけど、蚊に刺された時はタバコの火を近づけると良いみたいです。
蚊の毒と言うか、蚊は血液が固まらないように血を吸う前に体内に唾液を注射するらしいのですが、その唾液が熱に弱いのでタバコの火を近づけて熱いのをしばらく我慢していると痒くなくなるのだそうです。

一度やってもらいましたが物凄く怖かったし熱かった・・・
でも嘘のように痒みが取れました。
もしやる場合は火傷に気をつけてやってみてください。

キャンプ好きな人もちょっと変わった人が多いので楽しい反面、上記のような常人にはとても思いつかないような行動をとるので注意が必要ですね。
昔・・・蛇を捕まえてきて鉄板で焼いて食べようと言い出したキャンプ仲間がいたんですよ・・・

週刊IL-2の戦艦大和を塗る

週末は神宮外苑の花火大会に行ってきた。

関東で花火大会と言えば隅田川の花火大会など他にも有名なものが沢山ある。
それこそ規模から言ったら神宮は見劣りするのは否めないが、神宮には他の会場には無い優れたポイントがあるのだ。

まずなんと言っても素晴しいのはトイレの充実ぶり。
比較的きれいだし、他の花火大会などにある仮説のトイレとは雲泥の差なのだ。

あとは・・・帰宅時に駅のホームが込み合うのはどこの花火大会も一緒だと思うけど、神宮の場合はちょっと陸路を徒歩で行けば他の駅にたどり着けるし、ちょっと離れたところまで出ればタクシーを拾う事も可能なのだ。
まぁ、花火の余韻を楽しみながら30分も歩けば街は”いつもの東京”の姿になるので、そこで一杯引っ掛けて帰るのが都会での花火大会の楽しみ方だったりする。

彼女や奥さんを連れて行く場所のトイレを気にするようになったら、あなたも一人前の紳士になった証と言えるだろう。

さて、突然ですが大和を塗るよ!
いいかげん与太話だけだとこのblogの存在意義が無いので・・・

yamato
- デアゴる – 一度完成させると、もう二度と作りたくなくなる –

全90号で総額 114,040円だそうだ。
HPを見ると改訂版が登場していた。
新しい考証に合わせての事なのかはわからないが未だに売れ続けていると言う事なのだろうか?
物好きな根気のある人が多いのだろう・・・
私のような根気の無い人間がこんな事を言うのもなんですが、見事に全90号を完走し、このモデルを完成させた人の「もう二度と作りたくない」との発言をみるに、文字通り長期間にわたる戦艦大和との死闘を垣間見たような思いがすると言っては大げさだろうか。

仮に毎週欠かさず作ったとしても全号集まるのに一年半以上の時間を要するのだ。

私には絶対無理だ。
なので、本家とは雲泥の差ですが、私としては数日で完成するレベルのリペイントを目指す事にする。

まず、見てすぐに違和感を感じるのは船体の色。
これはちょっと明るすぎでしょ~という訳で塗って行く。

yamato2
– 作者のDiving Hawkさんと、連絡をくれたmagpieさんありがとう –

他にも菊の御紋の色といい、大きさといい許しがたいほど・・・
それに、あの特徴的なフェアリーダーとかも無いし、いろいろ細かい事を言い出したらキリが無いけど作ってくれただけでも感謝なのだ。
タダでもらっておいて文句を言う奴はタヒネだよ!

因みに私が以前からチマチマいじってた”あたいの戦艦大和”はポリゴンが多すぎなのでIL-2には移植できない。
暇を見つけては頂点減らしの地味な作業にチャレンジしたりしておりましたが・・・無理っ!
私には地味な作業は無理!
ものの30分も経たないうちに飽きてくる。
いずれプリレンダーのCGムービーでもと、思ってやってましたがどうやら時間切れにてお蔵入りとなりそうです。

yamato4
– 煙突の配管は塗れるかな?- テクスチャの割り当てと言う強敵が立ちふさがる –

つづいて13号電探の色もおかしいので直します。
細かい事を言えば探照灯もちょっといじろうかと思う
それにしても13号電探は何を見てこの色にしたのだろうか・・・

ま、いっか。

そんでもって、実際の艦首の金属製甲板の部分は滑り止め加工が施されてるようなのでそれっぽい感じに変更。
これは艦尾の部分も同様に変更します。
まぁ、遠目からではわからないのでアレって言えばアレなんですが┐(゚~゚)┌

yamato3
– この艦首無防御部の不沈化に関しては研究の余地があったのだとか –

で、戦闘中なので内火艇を撤去。
同じく零式水上観測機も撤去。
因みにこのMODのReadmeによるとオプションで零観を消したりできるそうですが、私の環境だとFMBで配置はできるけどゲームを起動すると大和そのものが消えてしまいます。
まさにフェラデルフィア・エクスペリメントな状況にしばしの間悶々としてしまった。
付属のShip.iniファイルの中身を比較してみたけど二つとも同じだったぞ!

Diving Hawkさんには修正の方をよろしくお願いします。

yamato6
– さよなら零観&内火艇 – リペイント中の大和 –

んで、このMODのV1の時もそうだったんですが舷窓は消します。
テクスチャの解像度が低いせいか、黒丸を描いてもチョッとモッサリした感じに見えるので・・・
それに、戦闘中は窓は閉めてあったので、そういう意味からも窓は消す事にしました。

後は艦首にある喫水目盛も消しました。
ちょっと目立ちすぎなのでね。
スケール的にもおかしいし。

で、特設機銃に備え付けられたマットも色がおかしいので変えました。

さて、ここで問題なのが甲板の色なんですがそれは後日と言うことで。
今回もいろいろと参考にさせて頂いたのは模型をやってる人のblogでした。
非常に深いところまで研究されていて、模型作品の見事さもさることながら、モデラー各位が研究された考証に関する考察を読むのが楽しかった。
興味のある方はググれカス。

という事で、次回につづく!

Reach For The Sky

ちょっと前からなんですが油絵を再開したりしてまして、今日は画材を買いに横浜界隈をウロウロしてきました。
梅雨の中休みと言うか、先日梅雨入りしたばかりですが、昨日今日と朝から清清しい一日でしたね。
お目当ての画材も買えたし、横浜界隈をブラブラできたので良い一日でした。

実は子供の頃にお絵かき教室に通っていまして、その時に油絵をチョコっと習った程度なので我流の極みなんですけどね。
デッサンは苦手と言うか、かなり下手なので、そういったデッサン力を必要とされるような絵は描きません。
模写とか出来る人ってホント尊敬しますね。

当時、私が通っていたお絵かき教室にはおばぁちゃん先生がいまして、そのおばぁちゃん先生が凄く優しかったのを覚えています。
私が変テコな絵を描いてもいつも褒めてくれたんですよね。
他の若い先生達からは、たぶん”変な子”って思われてたと思うんですけど、そのおばぁちゃん先生だけはいつも褒めてくれました。

ある夏の日の話なんですが、その日は「夏の思い出」をテーマに絵を描く事になったんです。
他の子達も夏休みに遊びに行った海や山などを描いてまして、私も海の絵を描いてました。

白い砂浜に青い海。
カモメが飛び交う晴れ渡った青空には入道雲がモクモクと描かれ、遠くの海にはヨットが行き交う・・・そんな普通の絵でした。
それを見た若い先生の一人が安心したような笑顔を浮かべながら私の頭を撫でて行きました。

でも、その笑顔は長続きしませんでした。

なぜなら、完成した絵にはサメに襲われる海水浴客が描かれていたからです。
それでもおばぁちゃん先生は褒めてくれました。
カモメが飛び交う青い空と、血で赤く染まった海との対比が素晴らしいと褒めてくれました。

私が夏休みに映画JAWSを観たのだと言うと、おばぁちゃん先生は納得してくれました。
私はおばぁちゃん先生にJAWSのDVDを貸してあげました。
怖がりのおばぁちゃん先生的には、たぶんものすごく迷惑な話だったかもしれませんが・・・

そんな事を思い出しながら横浜の街をブラブラした一日でした。

Jaws bite Spielberg
– 若き日のスピルバーグ – JAWSは私に最も影響を与えた映画のひとつ –

さて、先日のGerdさんの予告どおり烈風がバージョンアップしたとの事で早速DL&インストール。
いやはや・・・もうなんと言ってよいやら、本当にありがとうございましたとしか言えないと言うか、ありきたりな言葉しか言えない自分がでホントに歯がゆい。
それにしてもクリエイター系シマー達の団結力と、このこだわりは素晴らしい。

IL-2やLOMACの場合はMODと呼ばれてますが、私が最初に遊んだMSFSの場合だとADDONと呼ばれてました。
呼び方は違いますけど内容的には同じです。
機体モデルやリペイントデータとかですね。
MSFSの場合だとSceneryと呼ばれる風景や建物なども人気で、文字通り世界中の”場所”が無料で公開されています。
IL-2で言うところのMAPですね。

有料のものもあるんですけど、私はなぜか無料な方が好きでした。
作者の”想い”みたいなものが詰まってる感じがするので。
手弁当で作ってる感じが伝わってくるのが良いのと、上の烈風のように皆で改良してより良いものを目指していく感じが好きだったんですよね。

画像1
– 妄想全開の343空所属の烈風 – 隣には随伴の紫電改 –

菅野大尉が瑞鶴で離着艦テストをしている様子。
隣の紫電改の操縦桿を握るのは343空飛行長の志賀少佐。
さすがの菅野大尉も飛行甲板の狭さに驚いたかもしれない。
随伴機の志賀少佐は古巣の空母に戻って来て意気軒昂。
久しぶりの里帰りに鼻歌交じりでエンジン始動の合図を送る。

な~んて勝手な妄想全開で遊べるのもMOD=Modifyできる自由があるからなんですよね。

今回施された改良で翼の折りたたみが可能になった。
元々艦上機ですからね。
この妄想のように空母と搭乗員さえいれば機動部隊に配備されていたのかもしれない。

画像4
– 試作機カラーの紫電改と烈風 – 私は試作機とか好きなんですよね –

試作機って人のぬくもりと言うか、作り手の想いみたいなのが感じられて好きなんですよね。
量産型に比べると不恰好だったりするんだけど、またそこが良いんですよ。
試行錯誤を繰り返す感じとでも言えば良いのかな?
上手く説明できないけど、なぜか昔から試作機が好きなんですよね。
未完成・・・ってのに惹かれるのかも。

ところで烈風の試作機もこんな感じの色だったんですかね?
完成前に終戦を迎えた機体なので写真とかも少ないですし、実機も残ってないみたいですね。
アメリカに残ってるって噂があるらしいですがどうなんでしょうかね?

残ってたら是非見てみたいですね。

余談ですが、堀越二郎、奥宮正武(著)零戦と言う本がありまして、その中に烈風に関する記述があります。
それなんかを改めて読み返してみますと当時の苦労が垣間見れたりします。
印象的だったのは、烈風の設計に携わっていた頃の堀越さんは、零戦の設計に携わっていた頃の堀越さんとは別人だという事です。
96艦戦の成功による体の芯から湧き出る自信と、更に新しい技術へのアプローチに胸を躍らせながら線図を引いた”あの頃”とは違っていた事がこの本から読み取れます。

度重なる零戦の改造作業と、雷電の振動問題等、堀越さんを忙殺する作業は数多く、神経をすり減らしながらの作業は困難の連続だったと思います。

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– さしたるタービンの効果なし – 高度1万メートルで排気タービンの試験をする烈風改 –

※遊びでタービン付けただけなので、良い子のみんなはあんまり見ないようにね。

 
仕事をする上でモチベーションって大事ですよね。
でも、あの頃の堀越さんにはそれが無かったように感じられました。
軍からの度重なる零戦の改造指示にはじまり、自分から提案した金星エンジンへの換装を一度は拒否され、「格闘戦は重視しなくて良い」と言われて設計した雷電を「空戦性能が低い」と酷評され、格闘性能では零戦と同等と言いながらも初期型の零戦より時速100キロも優速な戦闘機を作れと言われたってね・・・

優秀な人に仕事が集中してしまうオーバーワークって、今の日本にも当てはまりますよね。

一言で言えば人材不足なんですが、いくら天才とは言え無限に湧く魔法のツボの如くアイデアは湧いてきませんからね。

例えは変かもしれませんが、あの天才バッターイチローだって4割も打てないわけですから。
残りの6割以上は三振かアウトになってる訳で、そう毎回毎回ヒットは打てませんよ。
堀越さんだって96艦戦、零戦と文字通りヒットを飛ばした訳ですが、その後の雷電や烈風はどうだったか・・・

ただ、これは堀越さんだけの問題ではないですよね。
むしろ、発注者側の軍部に問題があったと思います。
コンセプトを絞りきれてない訳ですから・・・

もっと基本的な事を言ってしまえば、当時の日本には戦争を戦いながら新兵器を開発する力は無かったと言う事だと思います。

画像3
– 翔べ烈風 –

柳田邦男(著)零式戦闘機のまえがきにも堀越さんの苦労が垣間見えます。
日中戦争はいざ知らず、アメリカを相手に戦った太平洋での戦いでは常に敵に比べて2割以上低い馬力のエンジンしか選ぶ事が出来なかった設計技師の苦悩が感じられます。
更に言えば、そのエンジンさえ大戦末期では未完成の状況で機体を設計しなくてはならず、ようやく完成を見たエンジンも終戦間際の物資が枯渇し始めた劣悪な状況では予定した出力すら満足に出せず・・・
状況的に言えば八方塞な中、出口を求めて暗中模索の作業が終戦まで続いたわけですよね。
こんな状況でモチベーションを維持するのは大変だったと思います。

8月15日の空は堀越さんにはどのように見えたのでしょうか。
私の祖母は東京でその日を迎えたそうです。
「空が物凄く青くて、どこまでも高かった」と言っていました。

これは実際の天気も良かったそうですが、むしろ精神的なものが大きく作用したものだと思われます。
それまでは安心して空を眺める事も出来なかったでしょうしね。
それに、子供ですから敗戦の重みを理解できなかったと言う事もあったと思います。

果報は酒飲んで待て

今夜は学生の頃の友人と飲んでた。
お互い業界も違うし仕事の内容も違うけど、悩み?って言うのかな。
部下への接し方なんかでちょっと悩んでるみたいだった。

人が生きてれば歳を取るのと同じように、部下もいずれは上司になる。
上司の悪口が言えるうちは楽だったと、いずれ気がつくのだろう。
ま、一生気づかずに死んでいくアホもいるのだろうが┐(゚~゚)┌

とか何とか慰めともアドバイスともつかない言葉を投げかけながら、私は焼き魚に舌鼓を打っとりました。

新宿にあるお店なんですけど、お魚が美味しい事で有名なお店。
お刺身とかも美味しいんだけど、私はそのお店に行くと焼き魚とか煮魚を頼むんですよ。
今日はお店の人に魚の食べ方が上手いって褒められちゃった。

ちょっと嬉しかったり。

そんなこんなでほろ酔い気分で先ほど帰ってきまして、明日はゆっくり出社なので久々にEuro Truckでも遊ぼうかと思いつつ知り合いからのメールを開くと何やらゴイスーな情報が!
と言う事で、急遽ですがEuroはオアズケしてIL-2のネタだよ。
押入れの中から久しぶりにジョイスティックを出して来たのはナイショ(゚ε゚)

画像2
– 瑞鶴甲板上に並んだ烈風と雷電 – キャノピーとカウルフラップが開いてる! –

瑞鶴が大戦末期まで残っていたと言う設定にするか、それとも前回のエントリーで書いたようにタイムスケジュールを2年ほど早めるかは悩み中。
でも、妄想全開なのは楽しい。

343空は紫電改から烈風へと機種変更。
九州方面の防空の要として最新鋭機が割り当てられたのだ。
テスト飛行は同隊の志賀少佐にでもお願いしてみたり。

奥は352空所属の雷電改。
用兵上の意味は何も見出せなかったけど、やっぱり海軍機なので空母に乗せてあげたかったり。
熟練AIパイロットのおかげなのか、意外とアッサリと瑞鶴の飛行甲板を蹴った。

画像3
– 上昇する烈風 –

ハイパワーに物を言わせてグイグイと上昇して行く姿は、零戦のそれとは違って力強い。
零戦が風に乗るとするのならば、烈風は風を切り裂いて行くかのようだ。

いやはや本当に素晴らしい。
今回のVer.UPでキャノピーも開くようになったし、カウルフラップも開く。
オマケにアレスティングフックもちゃんと降りる!

至れり尽くせりとはこの事だ。
このMODのモディファイを担当されたGerdさんありがとうっ!!!
ホントに感謝感激なのだ。

画像1
– 試験飛行を終え着艦する烈風 – 見よ!これが着艦フックだ! –

FMが新しくなったと書いてあったけど、ちょっと良くわからなかった。
ま、それほど烈風で遊んだ訳ではないので、見た目の違いのように分かりやすいものではないのかもしれない。
ビデオ職人的にはあまりFMって関係無いんですよね。

むしろインチキしたいくらい。

高高度迎撃ミッションみたいなのでビデオを作ろうとすると、日本機の高高度性能の低さにはいつも困ってばかりですよ。
すぐ失速して高度下がっちゃうし・・・
そんな無様な姿は見たくないでしょ?

創作活動においてはリアルさが邪魔になるって事は多々ありますね。

MSFSとかLOMACなんかもそうだけど、この手のゲームを使ってビデオ製作している人は皆苦労してると思いますよ。
こっちの言う事を聞いてくれないからね・・・ゲームだから。
「このタイミングで爆発してね」とか、「この位置を飛んでね」とか言えないし。

昔雷電のビデオを作ったんですけど、あの時は今以上に操縦が下手だったのでミッションファイルだけ私が作って操縦は知り合いの人にお願いしたんですよ。
で、雷電がB-29に後方から挑むんだけどバンバン落とされちゃうわけ。
無敵モードでやってもらったりしたんだけど、それだと弾がガンガン当たってるのに普通に飛んでるのであまりにもおかしい。
それに、派手に飛び交う弾幕の中をかいくぐっているような感じに見せたいので弾幕も弱くできない。
遠くからだと撃墜できるけど、それだと迫力がないから「もっと接近して!」みたいに偉そうな事をメールに書いたり・・・
でも、近づくと文字通り蜂の巣にされてしまって「もう!無理」なんて怒られたりね。
攻める方向を変えてみたり色々やってもらって、結局リテイクを何十回かやってもらってやっと完成って感じでしたね。

でも、私が編集の段階でガンマを上げちゃったので、肝心の敵の弾幕が背景に溶け込んでしまってあまり見えないと言う悲劇的な展開になったのは良い思い出。
あの頃は楽しかったね~。
学生だったしね。

まぁ、たかが動画と言えども何かを作るというのは大変なんですよ。
少なくとも”見るだけ”より大変なのは理解できると思うけど。
それが機体MODなどであれば尚更ですよね。

DLするのは一瞬だけど、新規に作るのもモディファイするのも大変ですよ。
本当にありがとうございました。

と言う事で、Modder諸氏に感謝の言葉を記しつつ今日のところはお開き。


– The Rouges – my sweet R&R – 全然関係ないけど最近のヘビーローテーション –

この手のバンドがデビューできるのって素晴らしいと思う。
まだまだ日本の音楽シーンも捨てたもんじゃないね。
どこを切っても同じような金太郎飴みたいな音楽シーンではつまらないでしょ?
多様性ですよ。
繁栄には多様性。

音楽も同じ。

どうやら明日CDが届くようだ。
今から楽しみ。

久々にライブが観たくなるバンドなのだ。

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– The Rouges – my sweet R&R –

アスピリン片手のジェットマシーン

雷電風
– 痛くない機その1雷電風 – 352空が機材を変更したと言う架空の設定 –

Photoshopが新しくなったのでプチリペイントブームな予感。
CS3からの移行なので戸惑いながらの作業なのは否めないが・・・

そそ、今回は単体品のを買ったんですが、以前使ってたCS3はいわゆるマスコレって奴だったので、他にもいろんなツールが入ってて凄かった。
インストールすると容量が10GB位あって正直邪魔だったけどね。
普通に買うと30万円くらいでしたっけ?
私のはアカデミック版と言うやつだったので、かなりお安く買えるってことでマスコレにしてみた訳。
Flashとかも時間があれば勉強してみたかったんだけど・・・

要するに学割って事なんだけど、何かとお金が無い学生にとってはありがたい制度ですよね。
出来れば古いバージョンとかを学生向けにどんどん無料で配布してくれると良いんじゃないかと思ってみたり。
それこそこの無償バージョンをクラウド化して学生のみ自由に使えるようにするとかね。
コストはサーバーの管理費のみだし、何ならサーバーが空くであろう深夜のみ無償で利用できるとか・・・学生の頃ってお金は無いけど時間はあるじゃないですか?
購入した人達からクレームとか来るのだろうか?

古くなったとは言えせっかくの資産なんだし、せっかくのインターネットなんだからさ。

紫電改風
– 痛くない機その2紫電改風 – 343空が機材を変更したと言う架空の設定 –

唐突ですが、こないだ母の日だったじゃないですか。
久々に実家で家族が揃う事になりまして、二番目の姉は海外に住んでいるので来れなかったんですけど、兄がスカイプを用意してくれたので画面越しでしたが参加出来ました。
ネットって凄いですね。
ほんとインターネットって凄いなって思いました。
海の向こうにいる人と簡単に繋がれるんですからね。

でも、改めて思ったのは実際に会う事の重要性と言うか、直接肌を触れ合う事はネットでは無理ですからね。
それに、当たり前の事だけど家族って良いワー
両親にはいつまでも健康で長生きして欲しいと思いました。

と言う事で!久しぶりのガチムチだよ。

truck
– やっぱり夢じゃなかったんだ –

前回までのガチムチトラック野朗MAGNUMは・・・

運命のトラックとの出会いにより覚醒したMAGNUM。
自前のトラックの購入を夢見て必死に仕事をこなし、ようやく購入資金を貯めたまでは良かったが過労から居眠り運転により事故を起こしてしまう。
混濁する意識の中で見たのは最愛の母の姿とかつて別れた恋人の姿・・・そして、兄貴との出会いの場面であった。

どうなるガチムチ!

目を覚ますと俺は病院に居た。
看護婦のキレイなねぇちゃんが俺を優しく看病してくれた・・・と、エロゲ厨並みの妄想に耽ってみたものの現実が違う事は良くあることだ。
残念ながら俺の目の前には男がいた。
「おお!生きてたかコノヤロー!」
「ん?」
そう思った瞬間、兄貴の必殺の一撃が俺のアゴを捉えた。
痛がる俺を見て兄貴は豪快に笑った。
「痛いか?そうか!それは生きてる証拠だ!」
それはあの時に俺が見た兄貴の笑顔と同じだった。

1481aicdv0148pl
– ナースぺろぺろ – エロゲ厨化する俺 –
※キモヲタホイホイ
この画像を貼って以来、深夜から早朝にかけて”エロゲ ナース”で検索してくるアホが後を絶たない。
どんだけエロゲ好きがいるのだろうか?

その後兄貴は俺が3日間眠っていたことを教えてくれた。
奇跡的に大した怪我は無かったが、頭を強く打ったので今後も検査が必要だと言われた。
「しばらくの間はムショ暮らしだと思ってここで大人しくしていろ」

俺は薄ら笑いでそれに応えた・・・

やはり夢じゃなかったんだ・・・
悪夢なら目覚めと共に消えてくれると思っていたのに・・・だが違ったんだ。
あともう少し頑張れば手に入るはずだった俺のトラックは、俺のミスのせいで遠のいていったんだ。

俺はそんな事をぼんやりと考えながら兄貴の話を聞いていた。
兄貴は俺が寝ていたこの3日間、文字通り欧州中を駆け回って俺が開けた仕事の穴を埋めてくれていた。
もちろんに兄貴にも仕事があるので、暇を持て余したかつての仲間に声を掛け、仕事を振り分け、本来俺が運ぶ事になっていた荷物を配送してくれたのだ。

俺は気になっていたトラックの事を訪ねた。
兄貴によるとトラックは相当壊れていて修理代が高くつくだろうとの事だった。
案の定、WATAMI運輸側からは高額なペナルティを要求されていた。

交渉役を兄貴は買って出てくれていた。
だが、いくら百戦錬磨の兄貴とて悪名高いWATAMI側が用意した悪徳弁護士が相手では苦戦するであろう事は目に見えていた。
交渉は難航することが予想された。

black watami
– 立場の弱い相手に対して使う言葉ではない。これは イジメの構図と一緒だ-

とりあえず俺は、今まで貯めていた全ての金を兄貴に渡す事にした。
それでも足りないようだったが・・・
落ち込む俺の姿を見て兄貴がこう言った。

「金の事は心配するな・・・ただ、払うものは払わないとマズイ事になるのはたしかだ。相手はなんといってもWATAMI運輸だからな。」
俺は無言で頷いた。
「そこでだ・・・実は昔、俺が世話になった人がEdinburghにいるんだが、その人がちょうど今人を探している。しばらくその人の手伝いをやってもらえないか?」
「こんな俺で良ければ喜んで行かせて貰います」
俺は二つ返事でEdinburghに行く事にした。
どのみちWATAMI運輸との話にケリがつくまでは、地元の奴らは誰も俺を雇ってはくれないだろう。
そう、今の俺にはこの街にいる意味が無かった。
兄貴もそれをわかった上での事だろう。
たぶん兄貴の事だ・・・この話も頭を下げて持って来てくれた仕事に違いない。
俺にはわかるんだ。

しばらくして俺は退院した。

私の夢がゴミと化して、はや幾星霜

結局GW中はずっと仕事。
明けて、ついに新人君の研修も始まってしまった。
初日の朝に挨拶に来たので、まずは名前を覚える様にとだけ言っておいた。
人の名前って覚えるのが大変ですからね。
私も新人の頃に苦労したっけ。

今もだけど。

まぁ、適当にやってもらって、早く新しい環境に慣れてもらえればそれだけで良いかな。
研修だし、配属先がどこになるかわからないしね。

つーことで、久々のガチムチだよと言いたいところですが、知り合いからのメールで烈風のローンチを教えてもらったので急遽久しぶりのIL-2ネタ。
半年振り位かな?
ん~覚えてないけどたぶんそれくらい振り。

画像2
– 瑞鶴の飛行甲板上で離陸を待つ烈風 – 奥には随伴の零戦が見える –

あっ!ついでにPhotoshop買うたで。
CCじゃなくてCS6ね。
今更なんだけどね・・・例のクラウド?ってイマイチ信用できないので買うてみた。
なんかさぁ~レンタルみたいで自分の物じゃないって感じが嫌なんだよね~。
それにサーバ落ちたら使えないとか無いのかな?

まぁ、時代はクラウドなんだろうけどさ┐(゚~゚)┌

ついでにAEも買うた。
いつまで動画製作やるのかわからないけど、なんとなく気分でポチってみたの。
と言う事で、フライトの前に烈風塗るよ!

A7M2
– 慣れる為に塗ってみた – UIも一新のCS6 –

ちょっと慣れるまでは使い辛いですね。
こればっかりは仕方が無いんだろうけど・・・
ズームとかどうするのかわからなくて30分ぐらい悩んだのはナイショ(゚ε゚)~♪

ところで、烈風って実際に配備されたらどこの部隊の予定だったんでしょうかね?
横空は実験部隊ですしね。
厚木かなぁ?
元々艦上戦闘機として計画されたみたいですが、実際は局地戦闘機として運用する予定だったみたいですね。
乗せる空母が無いって事もあるだろうし、新しい機材で空母に着艦できる搭乗員もあまり残っていなかったのかもね。

A7M2_2
– ひ~!!日の丸が大きすぎた – それに微妙に変形してるし –

信濃や大鵬が残ってれば乗せれたかもしれませんね。
たしか紫電改は着艦テストを東京湾でやりましたよね?
信濃だったかな?

でも、仮に運用出来たとしても時既に遅しって感じですよね。
タイムスケジュールを2年は早めないとね。
これは何も烈風だけの事ではなくて、雷電や紫電改の登場もそれぞれ2年くらい早くないとね。
それでも互角、もしくは若干劣勢ってレベルだと思う。
本当に優位に立とうとするなら1942年早々に登場してもらわないと駄目だと思う。

なにせ翌年にはヘルキャットが登場しますからね。
なぜか日本国内では駄作といった評価を散見しますが、こと兵器として考えた場合はあれほど優秀な戦闘機は無いと思いますよ。(対日本機におけるキルレシオは19:1で、5156機の日本機がヘルキャットによって撃墜された)
大量生産を可能にした割り切ったシンプル設計に始まり、パワーがある割には癖が無く操縦がし易い。
それになんと言っても頑丈で多くのルーキーパイロットの命を守った。
これは大きいですよ。

なにせ次からはルーキーじゃないんだからね。

画像3
– 零戦と比べるとやっぱり大きいですね –

翻って日本機は防弾が弱かったので、多くのパイロットが初陣で還らぬ人となった。
戦訓を伝える事も敵の情報も伝える事も叶わず、彼が経験した自らの命を失う程の究極の経験を誰にも伝える事も無く・・・

これじゃ作戦なんて立てられませんよ。
敵の事がわからないんだもん。

それに、防弾の弱い日本機を相手にするので重火器も必要ない。
だから米軍機は基本的に12.7ミリで戦い抜いた。
でも、防弾に優れた米軍機を相手にする日本機は無理してでも20ミリを積まなければならなかった。
携行弾数が少ないのも経験の少ない搭乗員にとっては辛かったと思いますよ。
改良されて改善はされたようですが・・・

画像1
– 瑞鶴上空を烈風が行く –

余談ですが、洋書版の源田の剣に紫電改に攻撃されてボロボロになったコルセアの写真が載ってるんですが、あれなんか見ると凄いですよ。
文字通りボロボロなんですけど、ちゃんと基地まで帰ってこれてる訳で・・・
逆に日本の搭乗員からすれば本当に悔しい思いをしたと思います。

スポーツであれば”勝”ってる訳ですからね。

と、ツラツラと書いて来ましたが、たまにいる頭のおかしなミリヲタやら日本軍最強厨から目を付けられるとメンドクサイのでこの辺で。
そそ、IL-2の烈風は強いですよ~。
うそーんって位に高速にロールします。
あの翼を見た感じではありえないと思うんだけど、私はパイロットの免許も持ってないし、実際の烈風にも乗った事が無いのでテキトーな事書いちゃってサーセン。
たぶん本物も強かったんじゃ無いかな~∩( ・ω・)∩

それにしても、こうやってMODを公開してくれるModderの皆さんには感謝感謝なのだ。

ところで・・・キャノピーって開かないんですかね?
あと・・・カウルフラップも開かないんですかね?
それと・・・着艦用のフックが降りないんですけど、私ったらMODの導入をミスったのかな?

そんなこんなで、お開きの時間となりました。
BUMPのCOSMONAUT聞きながらテキトーにリペしてみたよってお話。
リペの方は実戦部隊での機体番号とかわからないのでこのままお蔵入りかな。
画像検索したら稲妻塗装っぽい烈風があったけど、アレって想像ですよね?
SASにも赤色とか紫色の烈風のSkinが上がってたけど、何なのアレ?

ま、いっか。
おやすみなさい。

週間IL-2の雷電をぬる

デアゴる_雷電
– デアゴる – 途中で購読を止めると部屋に詰まれた箱がゴミと化す –

週末もスキーに行ってきた。
近場とはいえ、こんだけ毎週毎週スキーだスノボだと出かけていたのでは財布の中身がシケシケな勢いで辛い・・・っても春までだしね。
スキー出来るの。
今回は知り合いのショップのお客さん達も現地で合流したのでかなりの大人数だった。
学生さんなんかもいて、やはり話題は就活問題へ。
みんな将来とか不安だし悩むよねぇ。
つーことで、夜はホテルで”就活相談会”のようになってしまった。

さて、先日のblogにも書いたけど、無謀にも空自のアグレッサーを塗ろうとしたのだ。
が、テクスチャの割り当てを目の当たりにして怖気づいてしまい、知り合いの敏腕リペインターの方へお助けメールを書いたのだ。
このくだりは以前のエントリーを見ていただくとして、結果から言えば自分の技量の無さと、根気と言う二文字とは縁の無いこの性格が災いする前に諦める事にしたのだ。

だがしかし、一度火の着いた私のクリエイティブ魂は中々収まらない。
何かを塗るまでは鎮火しないほどの業火となった私のこのやる気は、まさにバックドラフト寸前といった具合。
そんな私の前に一枚の写真が・・・

j2
– 352空所属の雷電 – 海軍機としては珍しく派手な塗装の青木中尉機 –

私が最初に製作したIL-2の動画に登場した記念すべき機体でもある。
そういう意味からすれば特別な機体でもある。
と言うことで、この稲妻マークの雷電を塗るよ。

基本的に私はリペイントは苦手でして、できれば既存のskinを使わせて頂いてビデオを製作したい方だったりします。
因みにビデオ”343”の場合は既存のskinを使用させて頂きました。
機体番号だけ幾つか変更したりしましたが・・・

ではなぜリペイントをするのかと言えば、気に入ったリペイントには中々出会えないからです。
口を開けて待っていてもskinは空から降っては来ませんし、リペインターの方に「塗ってください」とも頼めないからだったりします。

F-15DJ
– POMさん作 F-15DJ 通称ガメラ –

こう言うリペイントに見慣れてしまうと他の物が色褪せて見えてしまうから困ったもんだ。
それに、このレベルの作品を見た後だと自分で何かをリペイントしようなんて事はそうそう思いつかない。
実にけしからん罪作りなリペイントなのである。

幸か不幸か私の知り合いのリペインターさんは揃いも揃って敏腕揃いだったりする。
おかげで製作中のエピソードとかも聞けたりして参考になる反面、実力の差をまざまざと見せ付けられてしまう。
フォントとかも作るらしいしね・・・こだわりとか凄いんですよ。
納得いくまで何度もでやり直すらしい。
↑の作品の作者さんも一機仕上げるのに100時間くらい掛けるらしいし・・・どんだけぇ~

まぁ、そう言うのは「やる気、根気、いわき」みたいな感じじゃないと無理なんだろうね。
断言できるけど私には無理だ。
なので適当にお茶を濁す。

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– リペイント中の雷電 – 左側の写真は持っていないので想像で塗るしかない –

大戦機のリペイントは資料が少なくて困る。
右側真横からの写真があったので意気揚々と塗り始めてみたものの、やはり左側の写真が無いので勝手に塗るしかない。
搭乗員は左側から乗り込むので、右側に比べると塗装の剥げ具合が強いのではないかな?と言う読みから剥げダクにしてみた。

ところでこの機体の左側の写真って存在するんですかね?
存在するのなら見てみたいけど・・・
もう一枚この機体の写真があるんだけど、それも右側からのなんですよね。
雷電の近くで搭乗員が座って打ち合わせしてる写真。
結構有名な写真なのでご存知の方も多いと思う。

撮影された時期が違うのか、微妙に稲妻マークの塗装の剥げ具合とか違ってて興味深い。
因みにこの機体は終戦まで残ってたんですかね?
青木中尉は生きて戦後を迎えられたのでしょうか?

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– もうちょっと翼の付け根の塗装の剥げ具合を実物に近づけたい –

こんな感じの写真観た事ありますよね?
どうやら写ってるメンバーの違いで複数枚あるようです。
私が知ってる限りでも2種類ある。
最初は顔の向きが違うだけなのかと思ってたけど、よくよく見ると写ってる人が違う。
写真右奥に写る飛行機はほぼ同じ位置に見える事から、たぶん同じ日に撮られたものだと思われる。
それに、機体の後ろに整備員らしき人の足が見えるのだけど、それも双方の写真に同じように写っている。
宣材写真みたいなものなのでしょうかね?

ところで、これってPhotoshopか何かで彩色した写真だと思うんですけど、ネットで検索すると沢山出てきますよね・・・軍艦とか。
ひとり凄く加工が上手い人がいて、その人の作品は本物のカラー写真みたいで感動しました。
実際こんな風に見えたんだろうなぁ・・・と、しばらく見とれてしまったり。

個人の作品なので掲載は差し控えますが興味のある方はググれカス。

352
– 352空所属の青木中尉機をバックに打ち合わせする有名な写真 –

そそ、ググれカスと言えば・・・今回も調べ物をしていて有益な情報は殆どが海外のサイトだったのは悲しい限り。
日本のサイトは相変わらず途中からあらぬ方向へと行ってしまう。
ミリオタとアニオタが被るのは我が国の特徴なのかもしれない。
内向的で引き篭もりがちな人間が強い物(兵器)に対してある種の憧れを抱くと言うのは分かるような気がするけど、いい歳したオッサンが幼女の裸の絵とか描いて嬉々としてblogとかに上げているのを見るとちょっと大丈夫なのかこの人って思いますよね。
鏡を見てなにが映ってるのか確認してみたら良いと思う。

逆に海外の人の方が真面目に雷電を語っているのには好感が持てた。
たぶん台湾の人だと思うけど、とある台湾の掲示板にいくつも雷電の写真を上げているのを見て「ああ、雷電の事が本当に好きなんだなぁ」と、ちょっと感動したのもつかの間・・・その人が最後にアップした写真は擬人化した雷電のイラストでした(;´Д`)
こう言うのが好きなのはアジア人特有なんでしょうかね?

水着の幼女と化した雷電の姿に一抹の寂しさと悪寒を感じた次第です。

j2_5
– ちょっと日の丸が大きいので後で修正しておこう –

とりあえず完成~♪

地球をググレ

今週もスノボ。
金曜の夜に都内を出て、土曜の夜にホテルに一泊して日曜の朝イチ滑って帰ると言うのがウチらのパターン。
これだと帰り道が混まないので。
んで、都内に戻ってから軽く打ち上げと言うか食事して帰るって感じ。
次の日の仕事もあるしね。

今回はモーグルやってる人と知り合いになったのだけど、足の筋肉とか腹筋とかゴイスーで驚いた。
コブの衝撃を受け止めるにはあれくらい無いと駄目なんだろうね。
マッチョ好きにたまらないらしく触らせてもらって喜んでる娘とかいたけど、私はあんまり好きじゃないので見せてもらってもアレでしたが・・・

腹筋とかムキムキし過ぎだと虫みたいで気持ち悪いでしょ?

今回はチョコっとジャンプの真似事とかしてみたけど、やっぱり難しい。
派手にコケたし。
ソチが遠のいたかも。

ごめんねプーチン。

PH2
– Google Earthで真珠湾を見る – 日本語で書くと”ごおgぇ えあrth” MS-IME GJ! –

さて、仕込みはちょっと休憩・・・と言うかリペ用の資料の収集が出来ずでかなり萎え気味。
艦攻、艦爆に関しては本当に資料が少ない。
機体番号なんて検索しても殆ど出てこない。
同じ番号は良く出てくるけどって感じかな。
一機で良いなら事足りるけど、編隊を組まそうとすると僚機の番号が分からないのは辛い。

ま、悶々としてるのもなんなので、前々から疑問に思っていた事を調べてみた。

映画パールハーバーを見ていると、日本の艦載機がオアフ島に進入した後に山岳地帯を低空で飛ぶシーンがある。
いくら子供向け映画の巨匠とは言え、実際にあった出来事を映画にしているのだからそれなりに調べて作っているはず・・・だと信じたい。
かなり低高度なのが気になるのだが・・・

PH
-Pearl Harbor – マイケル・ベイ監督作品 –

と言う事で、Google Earthをインストールしてみた。
意外と言ってはアレですが、これはかなり凄い。
見た目と言うよりは軽さがゴイスー。
ノートPCなのでちょっと心配したけど全く無問題でサクサク動く。
ま、最近のノートは発熱以外はデスクトップに負けてませんからね。
以前に3dmark走らせたけどかなり良いスコアだったし。
ただし・・・ひざの上において見てたんだけど終わった頃には火傷するかと思うくらい熱くなってたのには驚いた。
ファンとか煩いしね。

と言う事で、ベッドの中からコレ書いてます。

んで、話を戻すと、上のシーンはどこなんだろうと思ったのと同時に、第一次攻撃隊はどこを飛んだのか、そしてそこからはどんな景色が見えたのか疑問に思ったのだ。
まず、この日の高度を調べると3000メートルで島に進入したとある。
カフク岬を過ぎた辺りから1500メートルまで高度を下げたらしい。
残念ながらこの後の正確な高度は分からなかった。
なので1500メートルで真珠湾まで進撃したと仮定して話を進めて行く。

機動部隊を発艦してからオワフ島まで、第一次攻撃隊(艦戦43機、艦爆51機、艦攻89機)計183機は、文字通り一塊の大編隊で侵攻したと思われるが、淵田中佐からの全軍突撃命令を受けたあたりから4つの編隊に別れている。
一つはホイラー基地(ウィーラー)へ、残り3つが真珠湾を目指し南進するも最短コースを取ったのが高橋少佐率いる艦爆隊で、更に西よりのコースを取ったのが村田少佐率いる雷撃隊、そして最も西よりを飛行したのが淵田中佐率いる水平爆撃隊だった。

上のSSでは山並みを進行方向右側に見ながらの飛行なので、高橋少佐率いる艦爆隊の進行ルートだと思われる。
これをGoogle Earthで見るとこうなる。

GE1
– 画面左端にホイラー基地が見える –

真珠湾に向かって右側に山並みがある。
高度は1500メートルとした。
ベイちゃんの映画にしては珍しく位置的には正しい。
ただ、ちょっとばかり迫力のある映像表現を目指したが故に低高度にしすぎている事がわかる。
この映画で最初に日本軍を目撃するのが子供と言うのもベイちゃんらしい演出だと言える。
良く言えばサービス精神が旺盛な男であり、悪く言えば嘘や誇張もお構いなしないい加減な男なのだ。

ま、シーンとしては悪くない。
映画はドキュメンタリーでは無いので、その時の”印象”を強調するのが演出というものだからだ。
この後も野球をする子供達に向かって九九艦爆の後部機銃員が「逃げろ」と叫びながら飛んでいく印象的なシーンがある。

山岳地帯らしき所を飛ぶシーンは映画トラ・トラ・トラにも出てくるが、こちらは進行方向左側に山並みが見えているので村田少佐率いる雷撃隊か、淵田中佐率いる水平爆撃隊の飛行を再現したものだと思われる。
映画パールハーバーに比べると高度も高く、史実に近い表現で好感が持てる。
ただし、シーンとしては単調で地味な印象は拭えない。

TRA
– Tora Tora Tora – リチャード・フライシャー、舛田利雄、深作欣二監督作品 –

高度の設定も史実に近いものの若干低い。
たぶん史実を調べたのだろうとは思うのだが、こちらは実機を使っての撮影なのでベイちゃんの映画のような低高度での密集した編隊飛行は現実的に難しかったと言う事も理由かもしれない。
逆にベイちゃんの方はCGなので如何様にでも出来るのだ。
この差は大きい。

余談だが、このGoogle Earthにはフライトシムモードのようなものもあって、ちょっと試しにやってみたらそれなりに飛べた。
ただ、デフォの状態だとキーの反応が良すぎて大変な事になった。
それに、操作キーをヘルプで調べようとしたのだが、なぜだか404と表示されてしまい分からずじまい。

むむむ∩( ・ω・)∩

PH3
– 意外と狭い真珠湾 – 中央に戦艦ミズーリ、画面右端にはアリゾナ記念館 –

村田少佐率いる空母赤城所属の雷撃隊12機を先頭に、空母加賀雷撃隊の12機がヒッカム飛行場の上空を這うように低空で通り過ぎると目の前にはBattleship Row(戦艦横丁)がこのように見えたと思われる。
敵艦までの距離が意外と短い事に驚かされる。
湾内の深度が浅い為、この作戦に合わせて魚雷に改造を施したとされるが、それでも搭乗員達は低高度での雷撃を心がけたと言われている。
一説によれば、高度5メートルで雷撃した艦攻パイロットもいたらしい。
プロペラが波頭を叩く。

魚雷を投下すると急いで回避行動を取らなければならなかった。
目の前には停泊する戦艦郡の林立するマストが迫る。
「どうだ、走ってるか?」と、赤城雷撃隊第二小隊長後藤仁一中尉は偵察員に尋ねた。
「大丈夫です。走っていますよ」
操縦桿を引き、急上昇に移る時、戦艦オクラホマの艦腹中央付近から巨大な水柱が上がった。

と、ここまで書いたけど眠いので寝る。
もう限界。
おやすみなさい。