I’ll be back

帰国してから忙しくてね・・・blogの更新もままなりません。

週末は実家に帰ってました。
こないだの旅行のお土産を両親に渡してマッタリとした週末を過ごしてみました。
両親と一緒に3人で散歩がてら近所に買い物に行ったり、久しぶりに母親と一緒に夕飯を作ってみたり。
昔は大所帯だったのですが、今は両親が二人だけで暮らしているのでガラーンとしててちょっと寂しい感じでしたね。
殆ど1Fだけで事足りてしまうらしく、2Fや3Fへは行かないのだとか。

この先の事を考えるといずれは売りに出して・・・なんて話が出てきてちょっとビックリでした。
何かと一軒家は年寄りには辛いらしく、防犯の点からもマンションとかの方が良いのだとか。
まぁ・・・自分が育った家が無くなる・・・って考えたらちょっと悲しくなってしまいましたが致し方ないのかも知れません。

”ふるさと”なんて言う言葉からからすれば風光明媚な景色などある訳でもない、ただのありふれた住宅街ではありますが、私にとってはふるさとな訳で・・・それが無くなると言うのはそれなりに思うところがあります。
”無くなってから初めて気が付くありがたみ”っていろんなものにも言える事ですが、ふるさともその一つなのだと思った次第です。

さて、旅行に行く前にスチムーにてゲームを購入していたのですが、そやつを今更ながらインストール。
結論から言いまして私には無理でした。
と言うか、箱コンでは無理やでコレ。

F-1
– F-1 2013 – コドマスさん買うたったで –

”無理”と言うのは言い過ぎだけど、ハンドルのような微妙な操作が出来ないのは辛い。
上手い人なら箱コンでもアレでしょうが、私のような下手っぴゲーマーにはコーナーでの微妙な操作が出来ないのは辛いのだ。
箱コンって”アナログ”のスティックではあるものの、あのような仕様では”0か100”の入力になってしまいがちなのだ。
これはフライトシムなんかを箱コンでやった時も感じた事。
捻りラダーでの微調整が難しいのに似てるかもしれない。

かといってハンコン買う程ハマルとは思えないし、なんと言っても邪魔だしね。

まぁ・・・ちょっとF-1 Driverの気分を味わいたかっただけなので。
実は知り合いの人から一本のビデオを教えてもらってそれを見たのがキッカケだったり。
それがコレ↓


– Sound of Honda – Ayrton Senna 1989 – 素晴らしいの一言に尽きる –

モータースポーツを音と光を使った現代アートにしてしまったあたりはさすが真鍋大度さんですな。
↑にもチラっと映ってますけど、コレのメイキングの方ではインタビューに応えてます。
この人は日本よりも海外の方が評価が高いのかな?
外国人がコメントで真鍋さんについて触れてますね。
日本だとPerfumeの舞台演出とかPVなんかを手がけていると言えばご覧になった方もいるんじゃないかな。

こう言うのを見ると”歴史”を感じますね。
ポッと出の自動車メーカーとかには決して真似する事が出来ない”歴史”の重みを感じます。
6年連続コンストラクターズタイトルと言う実績はHONDAの輝かしい歴史ですよ。

RA271E
– 元祖HONDA MUSIC – RA271E 1500cc横置きV12気筒エンジンが12,000回転で奏でる –

学生の頃にアルバイトでチョッとF-1に関わる事があって、その時に資料の為に渡された書籍類などを記念に取ってあったのですが、今回このビデオの影響から久しぶりに押入れから引っ張り出してきて読んで見ました。
あんまり書くと長くなるのでまた別の機会にでも書いてみたいですが、この輝かしい歴史を作り出したのは”人”だと言う事です。
人が悩み、もがき、努力し、挑戦し続けた結果が、このホンダミュージックと称されたエンジン音になった訳です。
これはただのエンジン音では無いのです。
強さが備わったエンジン音だからこそ”音楽”に例えられたのです。
それが見る者に伝わってくるからこそ、24年経った今尚魂を揺さぶり続けているのだと思った次第です。

もちろん夭折の天才ドライバーアイルトン・セナも然り。

Lotus100T
– 晩秋のImolaを、かつては中嶋悟も乗ったLotus 100Tでドライブする私 –

Classic Editionを買ったので、クラシックカーなんかも運転できます。
クラシックカーなんて言うとアレですが、最近のレーサーミニ四駆化したF-1よりもむしろこっちの方がカッヨク見えたりします。
カラーリングなんかもこの頃の方が個人的には好みですね。
ヘルメットなんかもそうなんだけど、ちょっと派手過ぎちゃってね、今のF-1はね・・・
ルールなんかもイマイチ分かり辛いし。

このゲームにも”今”のF-1の部分がしっかりと再現されています。
リアウィングの角度をドライバー変えられるとか、KERSと呼ばれる運動エネルギー回生システムの採用などなど。
”使いどころ”と言う事で言えばエキサイティングなレース展開を目論んでいるのでしょうが、なんかホワイトカラーの浅知恵と言うか興行的な感じがして嫌ですね。
純粋にドライバーの技量のみで争ってこその最高峰のレースだと思うのですが。

infiniti
– このチームのテストを受る私の図 –

そそ、ハンドルとかも凄いんですよ。
ゲームパッドかよってノリ。
ボタンが沢山あって大変ですねって感じ。

上に書いたセナの最速ラップの頃はギアシフトも手動だったそうで、だからこそ語り継がれるのだと思うのですよ。
「機械の補助を受けてどんなに速く走ってもねぇ・・・」って思うんだけど、そう言うのはどうでもいいのかな?
そう感じるのは私が古臭い人間だからかもしれませんが。

Lotus 98T
– セナもドライブしたLotus 98T – マクラーレンのクラシックカーは無いようです –

ただ、日本での異常なまでのセナ人気と言うのは、ある意味フジテレビによって作りだされたものであると感じました。
アルバイトの時に資料の為に編集された当時のレース映像なんかも見たんですが、フジの過剰な演出と言うか、まるでストーリーを紡いでいくかのような結論ありきなやり方には違和感を感じました。
モータースポーツを盛り上げる為にプロレス的な”争い”を過剰に演出したと言っても差し支えはないでしょう。
もっとも、マーケの視点から考えれば当たり前な事なので、フジ以外の海外メディアなんかも煽っていた事も事実です。
でも、それと比較してもフジの過剰な演出は異常だったといわざるを得ないと思います。
ライバルのプロストが悪で、セナが善人みたいな極端な描き方はフィクションならいざ知らず、ノンフィクションのスポーツ中継にはいらない要素だと思います。
ま、それを真に受けてしまう視聴者もアホなんだと思いますが┐(゚~゚)┌

今でこそフジテレビは”ヤラセ”とか”ステマ”とか言われて叩かれていますが、この”セナ・プロ”対決なんかも視点を変えて見てみると局側の思惑に乗せられてしまっている事が分かると思います。
おかげで国内のF-1人気は高まりホンダもフジもWin Winって事で、まさにマーケティング的には大成功だった訳です。
それに、あの頃はバブル期の余韻も手伝ってか文字通りF-1バブルに日本中が沸いたのだとか。

でも、もしそれと同じ事を報道でやられたら怖いですよね。

Lotus 98T_2
– Variante Tamburelloに進入する私 – 現在は改修されシケインが設けられた –

私が注目するのは、セナ・プロ対決に関してフジの取った”過剰な演出”には誰も文句を言っていない事です。
過去の事だからってのもあるんだけど、やっぱり自分にとって都合の良い事(望んだ結果)には誰も異を唱えないんですよね。
悪人のプロストをやっつける正義の味方セナ。
憎き外国人レスラーを倒す力道山!
街頭テレビに群がってたあの頃から何も進歩してないのかもね。

とか何とか書いているうちにお開きの時間が来たようです。
長くなってしまったので、もう一本のゲームの話は後日と言う事で。
え?何を買ったのかって?

フフフ・・・例のアレですよ。

Film title: Senna
– 善悪とか関係ない。ただ、レースに勝ちたかっただけ –

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