2013年 6月 の記事

平成JUMP

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– VAN HALEN – 台風がどっか行ってくれて良かった –

金曜の夜は東京ドームでVAN HALENを観てきたのだ。
まぁ、歳も歳なのであまり期待はしてなかったと言ったらヘビーなファンからはフルボッコにされそうですが、意外と(歳の割には)みんな元気そうで何より。
特にエディの体調に関しては心配してましたが、意外と言ったらアレですが本当に元気そうだった・・・それにちょっと太った?
一時期の激ヤセ状態に比べれば確実に太ってますな。
でも、これに関してはちょっと安心かな。
何度も癌の告知を受けたエディの事を思うと太って正解って思える。
ホント・・・一時期は覚悟した程なので・・・


– JUMP – しかし・・・金の掛かってないPVだ –

1984年に1984って名前のアルバム出す辺りが如何にもVAN HALENらしくて笑えます。
それに、よくよく聴くと大した事は歌ってないんですよね。
「ロックに難しい詩は似合わないよ」って事なのかもしれないけど、良いじゃないのパーティロック!
小難しい事は忘れて騒ごうぜってノリは嫌いじゃない。
まぁ、この曲の場合はイントロのシンセ一発でみんなノックアウトって感じでしょうか。

それにしても金の掛かってないPVだねコリャ・・・
2:35からエディが気持ちよさそうにキーボードでソロを弾いていますが、よく見るとキーボードが埃まみれなのがわかる。

スタッフ!仕事しろ・・・埃が気になってPVに集中できないじゃないかヽ(`Д´)ノ

1984
– 1984 – 人を食ったようなデザインのアルバムジャケット –

このアルバムは当時全米2位だそうで、この時1位だったのはマイケル・ジャクソンの大ヒットアルバムスリラーだったそうだ。
相手がマイケルなら仕方が無い・・・と言うか、スリラーと言うアルバム自体が化け物なので、それが1位なら納得だよね。
それくらいスリラーは凄いアルバムだと思う。

と、1984年には未だ生まれていない私が偉そうに語ってみる。

でもね。
結構若い人多かったですよ・・・東京ドームのライブ。
私と同世代くらいとか、年下っぽい感じの子とかいっぱいいた。

やっぱり本物って時代を超越してるんだと思う。
良いものはいつ聴いても良いんだよね。

Van+Halen
– できればこの頃に出会いたかったけど –

みんな若い
タイムマシンでもあったら是非見てみたい。
それ言うならVAN HALENに限らず、The BeatlesにはじまってThe Rolling StonesとLed Zeppelinも観たい!
ボンゾのドラムを生で見て聴いてみたい・・・

あとはやっぱり”James Marshall Hendrix” ジミヘンかな。

でもそんな事言い出したらキリが無いね。
QUEENだってそうだし、RATTやPantera。
それに、Appetite for Destructionの頃のGuns N’ Rosesとかも観たいし、Nirvanaも観たい。

そして何よりMichael Jacksonを観たいよね。
だれかタイムマシン作って・・・


– Michael Jackson – Beat It –

この曲はVAN HALENの全米1位の夢を阻んだMichael Jacksonのアルバムスリラーからの第3弾シングル。
VAN HALENファンからすれば憎きMichael・・・と言いたいところだけど、実はこの曲のギターソロはエディが弾いているのは有名な話。
ほとんど即興に近いエディのソロはまるでカミソリの刃のように鋭い。

ギターソロが始まるとエディワールド炸裂で、ソロの間だけはMichaelの存在を感じさせないのはさすが。

実はこのアルバムのプロデューサーQuincy Jonesから電話もらった時にエディはイタズラ電話だと思ったらしい。
結局、本人からの正式なオファーだとわかったのでノーギャラで引き受けたとかなんとか。
太っ腹だねエドワード。

Michaelの死後に発売された”THIS IS IT”の中でも、ツアーでこのソロを弾くOrianthiにMichaelが「歩きながら弾ける?」って確認するシーンがあるんだけど、エディのぶっ飛んだソロを動きながら弾くのは中々難しいみたいですね。
子供の頃にMichaelのライブを見に連れてってもらった事があるんですけど、子供ながらにこの曲のソロパートの再現率が酷かったのを覚えています。

逆に言うとそれくらいこの曲の中でソロは重要だとMichaelが感じていたのだと思うし、魅せるステージングを追求するMichaelにとってはソロを完璧に弾けても棒立ちでは満足できないってことなんだと思う。

そういう意味からすればツアーでもエディに弾いてもうらうのが理想なのかもね。
実はステージ上での二人の競演は過去に実現していてYouTubeなどで見れます。
ツアー中のステージにエディがゲスト出演したそうですが、その時のMichaelのハジケっぷりが凄いです。

話がそれまくりだね(゜-゜)\バキ
未だに興奮しているのかも。

ニコニコ動画のタグに”もっと評価されるべき”ってのがあるけど、個人的にはVAN HALENにもつけたいタグだったり。
このバンドは凄い個性の集まりだと思う。
例えばドラムのお兄さんなんかも超絶テクニックを売りにするようなドラマーではないけれど、スネアをパンパンに張った音はその後のLOUD系バンドのドラマーに与えた影響は計り知れないと思う。

それに、ヴォーカルの”DAIAMOND DAVE”独特のメロディーの無い歌と言うのも凄いし、ベースのマイケル・アンソニーのジャックダニエルの一気飲みとかね。
でもやっぱり一番なのは、ニコニコ笑いながら”すんごいギタープレイ”を魅せてくれるエディなんだよなぁ。

化石炭酸水

久々にCD引っ張り出してきて聴いたら嵌ってしまった。

– 旅行中は、ずっとこれでした – 女優の平岩紙さんが可愛い –

つーことで、梅雨でジメジメしたジャパンとオサラバして遊んできたよ。
遅いGWって感じだね。
早い夏休みと言えなくもない微妙な時期だったけどキニシナイヨ。

ま、夏休みは夏休みで頂きますんで。
これも労働者の権利と言うこった。

で、今回はまっすぐには帰らずにちょこっと寄り道。
実は学生の頃の友人が結婚する事になったので披露宴に出席してきたのだ。
今月は、あともう一回結婚式が控えている。
メンドクサイとか口が裂けてもいえないし、出費が痛いとかも口が裂けても言えない。
まぁ、私の時にはご祝儀奮発してくれるらしいのでヨシとしよう。

帰りの空港で珍しく激写したのが↓コレ。

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– iPhoneは使い辛いと思う・・・ –

んで、ようやく東京へ。

成田も羽田もなんですが、私はバスで都内へ戻る事が多いんですよね。
成田EXとか京急も良いんだけど乗換えがね・・・違った意味でモノレールは楽しいですが。
そんなこんなでリムジンバスはお勧め。

住んでる場所にもよりますけど、リムジンバスだと都内のホテルまで行ってくれるので、そこからタクシー乗った方が楽ってのもあります。
ホテルだとタクシーもすぐつかまるし、雨降ってるときなんかは車寄せがあるので濡れないし、そのまま休憩とかもできるし。
今回はちょっと疲れたので空港からタクシーにしたんだけどね∩( ・ω・)∩

歳のせいか帰るの億劫になっちゃって。

んで、帰りにコンビニで夕飯買ったんですけど、その時に新商品と言う事でコレ買って見た。

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– サントリー とろける炭酸 トロッタ –

白い方(特濃ホワイト)を買ったんですけど、まんまクリームソーダですね。
ちょっとトロっとしてるのもアイスクリームが溶けた後のクリームソーダって感じ。
色は白なのでカルピスソーダって感じかな。

まぁ・・・微妙かな。
今度はリンゴの方を飲んでみる。
シードルとか大好きなので・・・って違うか。

と言う事で帰ってキマシタヨって事で書いてみた。
次回からはガチムチトラック野朗を再開しようかな。

でもなんかちょっと疲れたかも。

Reach For The Sky

ちょっと前からなんですが油絵を再開したりしてまして、今日は画材を買いに横浜界隈をウロウロしてきました。
梅雨の中休みと言うか、先日梅雨入りしたばかりですが、昨日今日と朝から清清しい一日でしたね。
お目当ての画材も買えたし、横浜界隈をブラブラできたので良い一日でした。

実は子供の頃にお絵かき教室に通っていまして、その時に油絵をチョコっと習った程度なので我流の極みなんですけどね。
デッサンは苦手と言うか、かなり下手なので、そういったデッサン力を必要とされるような絵は描きません。
模写とか出来る人ってホント尊敬しますね。

当時、私が通っていたお絵かき教室にはおばぁちゃん先生がいまして、そのおばぁちゃん先生が凄く優しかったのを覚えています。
私が変テコな絵を描いてもいつも褒めてくれたんですよね。
他の若い先生達からは、たぶん”変な子”って思われてたと思うんですけど、そのおばぁちゃん先生だけはいつも褒めてくれました。

ある夏の日の話なんですが、その日は「夏の思い出」をテーマに絵を描く事になったんです。
他の子達も夏休みに遊びに行った海や山などを描いてまして、私も海の絵を描いてました。

白い砂浜に青い海。
カモメが飛び交う晴れ渡った青空には入道雲がモクモクと描かれ、遠くの海にはヨットが行き交う・・・そんな普通の絵でした。
それを見た若い先生の一人が安心したような笑顔を浮かべながら私の頭を撫でて行きました。

でも、その笑顔は長続きしませんでした。

なぜなら、完成した絵にはサメに襲われる海水浴客が描かれていたからです。
それでもおばぁちゃん先生は褒めてくれました。
カモメが飛び交う青い空と、血で赤く染まった海との対比が素晴らしいと褒めてくれました。

私が夏休みに映画JAWSを観たのだと言うと、おばぁちゃん先生は納得してくれました。
私はおばぁちゃん先生にJAWSのDVDを貸してあげました。
怖がりのおばぁちゃん先生的には、たぶんものすごく迷惑な話だったかもしれませんが・・・

そんな事を思い出しながら横浜の街をブラブラした一日でした。

Jaws bite Spielberg
– 若き日のスピルバーグ – JAWSは私に最も影響を与えた映画のひとつ –

さて、先日のGerdさんの予告どおり烈風がバージョンアップしたとの事で早速DL&インストール。
いやはや・・・もうなんと言ってよいやら、本当にありがとうございましたとしか言えないと言うか、ありきたりな言葉しか言えない自分がでホントに歯がゆい。
それにしてもクリエイター系シマー達の団結力と、このこだわりは素晴らしい。

IL-2やLOMACの場合はMODと呼ばれてますが、私が最初に遊んだMSFSの場合だとADDONと呼ばれてました。
呼び方は違いますけど内容的には同じです。
機体モデルやリペイントデータとかですね。
MSFSの場合だとSceneryと呼ばれる風景や建物なども人気で、文字通り世界中の”場所”が無料で公開されています。
IL-2で言うところのMAPですね。

有料のものもあるんですけど、私はなぜか無料な方が好きでした。
作者の”想い”みたいなものが詰まってる感じがするので。
手弁当で作ってる感じが伝わってくるのが良いのと、上の烈風のように皆で改良してより良いものを目指していく感じが好きだったんですよね。

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– 妄想全開の343空所属の烈風 – 隣には随伴の紫電改 –

菅野大尉が瑞鶴で離着艦テストをしている様子。
隣の紫電改の操縦桿を握るのは343空飛行長の志賀少佐。
さすがの菅野大尉も飛行甲板の狭さに驚いたかもしれない。
随伴機の志賀少佐は古巣の空母に戻って来て意気軒昂。
久しぶりの里帰りに鼻歌交じりでエンジン始動の合図を送る。

な~んて勝手な妄想全開で遊べるのもMOD=Modifyできる自由があるからなんですよね。

今回施された改良で翼の折りたたみが可能になった。
元々艦上機ですからね。
この妄想のように空母と搭乗員さえいれば機動部隊に配備されていたのかもしれない。

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– 試作機カラーの紫電改と烈風 – 私は試作機とか好きなんですよね –

試作機って人のぬくもりと言うか、作り手の想いみたいなのが感じられて好きなんですよね。
量産型に比べると不恰好だったりするんだけど、またそこが良いんですよ。
試行錯誤を繰り返す感じとでも言えば良いのかな?
上手く説明できないけど、なぜか昔から試作機が好きなんですよね。
未完成・・・ってのに惹かれるのかも。

ところで烈風の試作機もこんな感じの色だったんですかね?
完成前に終戦を迎えた機体なので写真とかも少ないですし、実機も残ってないみたいですね。
アメリカに残ってるって噂があるらしいですがどうなんでしょうかね?

残ってたら是非見てみたいですね。

余談ですが、堀越二郎、奥宮正武(著)零戦と言う本がありまして、その中に烈風に関する記述があります。
それなんかを改めて読み返してみますと当時の苦労が垣間見れたりします。
印象的だったのは、烈風の設計に携わっていた頃の堀越さんは、零戦の設計に携わっていた頃の堀越さんとは別人だという事です。
96艦戦の成功による体の芯から湧き出る自信と、更に新しい技術へのアプローチに胸を躍らせながら線図を引いた”あの頃”とは違っていた事がこの本から読み取れます。

度重なる零戦の改造作業と、雷電の振動問題等、堀越さんを忙殺する作業は数多く、神経をすり減らしながらの作業は困難の連続だったと思います。

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– さしたるタービンの効果なし – 高度1万メートルで排気タービンの試験をする烈風改 –

※遊びでタービン付けただけなので、良い子のみんなはあんまり見ないようにね。

 
仕事をする上でモチベーションって大事ですよね。
でも、あの頃の堀越さんにはそれが無かったように感じられました。
軍からの度重なる零戦の改造指示にはじまり、自分から提案した金星エンジンへの換装を一度は拒否され、「格闘戦は重視しなくて良い」と言われて設計した雷電を「空戦性能が低い」と酷評され、格闘性能では零戦と同等と言いながらも初期型の零戦より時速100キロも優速な戦闘機を作れと言われたってね・・・

優秀な人に仕事が集中してしまうオーバーワークって、今の日本にも当てはまりますよね。

一言で言えば人材不足なんですが、いくら天才とは言え無限に湧く魔法のツボの如くアイデアは湧いてきませんからね。

例えは変かもしれませんが、あの天才バッターイチローだって4割も打てないわけですから。
残りの6割以上は三振かアウトになってる訳で、そう毎回毎回ヒットは打てませんよ。
堀越さんだって96艦戦、零戦と文字通りヒットを飛ばした訳ですが、その後の雷電や烈風はどうだったか・・・

ただ、これは堀越さんだけの問題ではないですよね。
むしろ、発注者側の軍部に問題があったと思います。
コンセプトを絞りきれてない訳ですから・・・

もっと基本的な事を言ってしまえば、当時の日本には戦争を戦いながら新兵器を開発する力は無かったと言う事だと思います。

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– 翔べ烈風 –

柳田邦男(著)零式戦闘機のまえがきにも堀越さんの苦労が垣間見えます。
日中戦争はいざ知らず、アメリカを相手に戦った太平洋での戦いでは常に敵に比べて2割以上低い馬力のエンジンしか選ぶ事が出来なかった設計技師の苦悩が感じられます。
更に言えば、そのエンジンさえ大戦末期では未完成の状況で機体を設計しなくてはならず、ようやく完成を見たエンジンも終戦間際の物資が枯渇し始めた劣悪な状況では予定した出力すら満足に出せず・・・
状況的に言えば八方塞な中、出口を求めて暗中模索の作業が終戦まで続いたわけですよね。
こんな状況でモチベーションを維持するのは大変だったと思います。

8月15日の空は堀越さんにはどのように見えたのでしょうか。
私の祖母は東京でその日を迎えたそうです。
「空が物凄く青くて、どこまでも高かった」と言っていました。

これは実際の天気も良かったそうですが、むしろ精神的なものが大きく作用したものだと思われます。
それまでは安心して空を眺める事も出来なかったでしょうしね。
それに、子供ですから敗戦の重みを理解できなかったと言う事もあったと思います。