2012年 12月 20日 の記事

GAME OVER

三年前、作家の村上龍は日本の政権交代を「子どもが大人になる時の憂鬱」だと言った。
今から思えば、文字通り国民が選挙の度に右へ行ったり左へ行ったりと、まさに主体性も無く右往左往している様を指摘しているようにも聞こえるが、そういう意味からすれば今回の振り幅の大きさも幼稚な国民性を反映しているとも言えなくも無い。
ただ、こうして何度もダッチロールを繰り返しながらも、ある意味着実に汚物は排除されているのも確かだったり・・・
今回落選した議員の中にも”大物”と呼ばれる汚物がいた訳ですが、彼らがずっと野党のままだったら国民の前にその醜態を曝す事は無かった訳で、日本国民の面前にその醜態を曝す事で目を覚まさせてくれた事へは素直に感謝したい。
まぁ・・・調子に乗ってお天道様の下へとしゃしゃり出て来てしまったが故に馬脚を現したと言うのが正解だろうが。

政府専用機
– これ以上汚物で汚されなくて良かった – あたいの憧れの政府専用機 –

そうは言っても、まるでゾンビのように比例で復活したクソ議員もいるのでアレですが・・・
それに、与党の方にも胡散臭いのが紛れ込んでるのも事実なので、国民主権と言う意識を常に政治家に持たせ続けなければ成らない。
来年の参院選まではマジメにやるとは思いますが、その先はねぇ・・・たえずプレッシャーを掛け続けないとね。

つー事で、民主党政権と言うの名のクソゲーによる罰ゲームはおしまい。
そして忌々しい3年間と売国奴どもにセイグッバイ。
本当に不愉快な3年間だったけど、良い経験させてもらったわ。

私は常々思っていた事があるんだけど、日本型のエリートは政治に向かないと言うのがこの3年間で良くわかった。
政治と言うのはイレギュラーな事の連続なのだけど、彼らのような”偏差値馬鹿”は応用が利かない。
確かにお勉強は出来たんでしょう・・・鳩は東大だし、菅は弁理士だし、勇者は早稲田・・・ま、たぶん私よりもよっぽどお勉強は出来たんだろうと思う。
でも政治には教科書も無ければ出題範囲も決まってない・・・ましてや政治は答えが一つじゃない。
要するに偏差値は高いが馬鹿と言う典型的な日本型エリートの終焉を図らずも国民に示してくれた事には感謝しよう。

さて、先日のアメリカ出張から帰って来てからクソ忙しくてやってられない。
ナスボーが出ても使う暇なし、遊ぶ暇なし。
潤いの無い生活とはオサラバしたい・・・

そうは言ってもほぼ毎日飲んでますが・・・シーズンなので┐(゚~゚)┌

ふぅ~

それでも暇を見つけてはちょこちょこリペイントをやってました。

AII-105
– 空母加賀所属の志賀機 AII-105 –

どっ・・・どうですかね?
塗ってる本人からすると良いんだか悪いんだかわかんないですよね。
一応お仲間も塗っておいたんだけど、機体番号等は適当です。
ちょっと調べてみたけどわからなかったし、時間もないので。
ただ、赤城飛行隊の機体番号はネットなんかにも結構あって、それなんかを見てみると通し番号って感じだったので加賀飛行隊もそうなんじゃないかと言う読み・・・読みと言うか願望か。

さて、このAII-105号機の搭乗員といえば志賀淑雄 元海軍少佐と言うのは有名なお話。
12月8日の運命の日も、加賀飛行隊の隊長として8機の零戦を率いて真珠湾上空の制空任務に就いたのだ。

yoshio_shiga
– カッケーなおい!惚れてまうやないか・・・(*^_^*) –

昨今の脳みそ空っぽのチャラ男やらキモオタとは雲泥の差ですな。
日本男児の見本を絵に描いて額に入れちゃったような人だ。

ま、冗談はさておき、この志賀少佐と言いますと343空飛行長としての顔も有名ですが、私的には横空での紫電改テストパイロットとして顔の方がしっくりきたりします。
以前にもこのblogでご紹介した”紫電改入門”の中にも紫電改の開発に従事する志賀少佐の姿が描かれています。
中でも印象的なのが東京湾上空での高度6000メートルからの垂直ダイブでしょうか。
この時にはさすがの志賀少佐も死を覚悟して臨んだそうです。
零戦の空中分解とかもありますしね・・・テストパイロットは大変ですよ。

今回、志賀少佐に関して色々調べていたら興味深いエピソードを目にする事が出来た。
元航空自衛隊のパイロットの方がお書きになったblogに、1995年当時の志賀少佐のお姿があった。
沖縄の米軍基地に招待された際のお写真だそうで、お年を召した志賀少佐の姿にはかつての”Zero Fighter”の凄みのような物は感じられなかった。
清潔感溢れるスーツの着こなしが印象的な紳士と言った佇まいは、半世紀あまりの平和な年月によるものなのだろうと思う。
この時は米軍のパイロットを相手に講演をしたそうですが、会場に人が入りきれないほどの大盛況だったそうだ。
基地施設内の見学に際して米軍側は志賀少佐へ記念のネームプレートを用意してくれたそうで、それらしき物と一緒に記念撮影する志賀少佐のお姿もあった。
米軍側が最大限のもてなしで、かつての”Zero Fighter”を迎えたであろう事は想像に難くない。