ここんとこ忙しい。
先週末も休み無しで仕事。
今週に入ってからも諸々会議とかあったので出社。
結局代休取れずに今週の土日も仕事。
ちょっと疲れてる。
こんな状態が今後しばらくの間続くので憂鬱だ。
やっぱり2チーム見るのは無理がある。
歳をとるってこう言う事なのかな・・・
自分の時間と言うものがドンドン無くなっていく気がする。
いっそのことブリキの太鼓みたいに成長を止めてしまおうか。
さて、東日本大震災から一年が経とうとしている。
このblogではあまり触れて来なかった・・・と言おうか、あえて触れないようにして来たが、一年の区切りと言う事でちょっと触れてみたい。
内輪では知られている事だが、私は学生の頃から原発問題に関心があったので市民フォーラムなどに何度か参加していた。
ただ、何度か参加してみて違和感を感じたのも事実だった。
それは国の原発政策に・・・と言うよりも、むしろそれに異を唱えている人々に対してだった。
– 水没したF-2を見る米兵 – 基地の津波対策なども今後の課題だろう –
参加して見ればわかるが、中にはかなり胡散臭い人もいたりする。
”風の谷のナウシカ”みたいなコスプレして「原発は現代の王蟲」と話す女の子。
「原発は戦後日本の驕りの象徴」と話す人。
それ以外にも「これは何の宗教だ?」と感じさせるような発言や会場の雰囲気に嫌な物を感じたのだ。
見た目で判断するのは良くないですが、なんだかお祭り騒ぎがしたいだけって感じに見えたのだ。
なので私は、馬鹿の一つ覚えのように「反対!反対!」と言うだけの連中とは一線を引くことにした。
真面目に原発問題を考えているようには見えなかったからだ。
それに、賛成派の意見もしっかりと聞いたうえで判断したかったので、いわゆる”御用学者”やらが参加する賛成派のフォーラムにも何度か足を運んだ。
幸運な事に、私は何度か質問する機会を得た。
私の質問はただひとつ。
「キッカケが何であろうと、原発がどんな状態になると原子炉は危険になりますか?」
今回の震災も原発側かわからしてみれば地震や津波はメルトスルーのきっかけに過ぎない。
要するに、仮に地震や津波があったとしても、原子炉の状態を平常時と同じ状態に保つ事が出来れば今回の事故は防げた訳だ。
問題を解決する為には問題の切り分けが必要だ。
同じ質問を”反対派、賛成派にぶつけける事で、両者の問題点に対する違いにも興味があった。
面白かったのは、反対派の有識者も賛成派の有識者も異口同音に同じ事を言ったのだ。
「全電源喪失」
違うのはこの後の展開だ。
反対派は危険を煽り、賛成派こう付け加えるのだ。
「我々はそれに備えて万全の体制で管理しているのです」
「送電が止まっても予備の発電機があるんです」
「そうならない為の発電機なのです。」
自信ありげな笑顔だった。
私はそれを見て胡散臭い笑顔だなと思ったのを記憶している。
– 戦訓を生かして飛行甲板まで装甲で覆った大鳳。だが、魚雷一発で敢え無く沈没 –
だが現実は違った。
万全の体制など無かったのだ。
たしかに発電機はあった。
全電源喪失と言う最も危険な状態にならない為に用意された”万全の体制”であるところの予備のディーゼル発電機は確かに用意されていた。
でも、頼みの発電機は地下に設置されていたのだ。
もう一度言うが、確かに発電機は用意してあった。
使えなければ意味が無いのだが、建前としての”万全の体制”だったはずの発電機は地下にあったのだ。
水没してしまっては使えないと言う事くらい子供でも分かるだろうに・・・
お粗末と言う言葉意外にどんな言葉が適当だろうか。
無理やりこのblog的な話に置き換えてみれば、旧日本海軍の軍艦はスペック的にはアメリカ海軍の軍艦と比べても見劣りはしない。
数字だけ見比べれば一部のスペックではそれを凌駕しているものもある。
だが、ダメージコントロールに関しては非常にお粗末だったと言わざるを得ない。
完成前に沈没した信濃は例外としても、ミッドウェー海戦の戦訓を盛り込んで建造された大鳳が、敵潜水艦の放った魚雷一発で沈んだ事は色々な不幸が重なったとはいえダメージコントロールに対する弱さがあったのは否めない。
– これでも沈まない – 驚異の船体構造とダメージコントロール –
日本側が正規空母四隻を失ったミッドウェー海戦で沈没したアメリカ海軍の空母ヨークタウンは、飛龍攻撃隊からの二度に渡る攻撃にさらされ、計2本の航空魚雷と数発の爆弾が命中したのにも関わらず浮き続けていた。
更に詳しく書けば、第一次攻撃から第二次攻撃の間に修理を行い速力30ノットにまで回復していたのだ。
そもそも軍艦とは、弾を打ち合いお互いを傷つけ合う船だ。
どんなに頑丈に作ってもダメージを受けるのは当たり前だ。
ダメージを跳ね返す事にだけに注力するのではなく、ダメージを受けた後にどのようにそれに対処してするのかも重要だったのだ。
何か日米の死生観にも通じる違いが、両国の建艦思想とダメージコントロールに対する考え方にあるようでならないのだ。
この点は原発もまた然りなのではないだろうか?
そう考えると、残念ながら我々は70年前に受けた教訓を全く生かす事が出来なかったと言うことになる。
これだけ地震の多い日本に原発を建てる事自体どうなのか?と言う議論もあるが、地震が多い日本の、これまた津波の多い地域に原発を建てるという事は地震や津波を想定していなければならないはずだ。
いや、想定はしていたのだ。
その証拠に高さ6メートルの防潮堤が福島第一には用意されていた。
なのに、なぜ?発電機を地下に置いたのだろうか?
反対派、賛成派の有識者が口を揃えて「全電源喪失」と言う程、ある意味ポピュラーで最も危険なはずの”全電源喪失”を防ぐ事が出来たかもしれない”最後の砦”であるところの発電機を、なぜ彼らは地下に置いたのかが悔やまれるのだ。
もっと言えば、3月11日のその日が来るまでの間に何度も安全対策を見直すチャンスは幾らでもあったはずなのに、なぜ設置位置を見直さなかったのか悔やまれるのだ。
– 激しく破壊された福島第一 – 事故の前の年に私が見たあの福一の姿は無い –
私達には、この教訓を未来に伝えなければ成らない”ある種の使命”がある。
ではどうしたらこの教訓を未来に伝える事ができるのだろうか?
それには思想、信条などを捨てたうえで、冷静に今回の災害を分析しなければならないと思うのだ。
一見簡単な事に思われるかもしれないが、個人の思想、信条を削ぎ落とすのは難しい。
如何に客観的に分析できるかが鍵だと思うのだ。
それが出来なければ今回の教訓も歪んだ形で後世に伝わってしまう事になりかねない。
戦後の自虐史観に代表されるような愚は二度と起こしては成らないのだ。
戦後に話を戻そう。
戦後アメリカ軍は日本軍将校からの聞き取りなどを含めて、日本側敗因の綿密な分析を行った。
翻って敗者であるところの日本では贖罪の意識だけが先行し、敗因を冷静に検証し、それを国民が共有する事はできなかった。
誤解の無いように書くが、数は少ないが敗因を研究した形跡はあるのも事実だ。
だが、当事者が持つ贖罪の意識と、左巻きの馬鹿どもの感情論にかき消されてしまってうやむやにされた感が強い。
世論が冷静な分析を阻んだとも言える。
オマケにあれだけ戦争を煽っていたマスコミも、それに乗せられて熱狂していた国民も全ての責任を軍部に押し付けてしまい、さしたる議論も無いまま左巻きの自虐史観を受けれてしまったのは未成熟な考えに他ならない。
残念ではあるが、今の日本も当時と同じだ。
有識者らによる検証作業が続いているが、国民の関心は犯人探しに近い。
震災直後から始まった犯人探しのような行為が今も蔓延しているのは未成熟を通り越して稚拙である。
大手マスコミのゴロツキ記者が東電での記者会見で見せた恫喝も然り、自称インディペンデント系ジャーナリストと呼ばれるパパラッチもどきの”被災地一番乗り”も然り、本当に稚拙と言う言葉意外浮かんでこない。
要するに、それらに惑わされる国民も稚拙だと言わざるを得ないのだ。
原発は止めただけでは安全にはならない。
燃料を取り出さなければ安全にはならないのだ。
残念ながら我が国には全ての原発から取り出した燃料を安全に保管する施設は無い。
それに、廃炉廃炉と馬鹿の一つ覚えのように言うが、日本各地にある原発を全て廃炉にするのに一体何年掛かると思っているのだろうか?
我が国では今までに廃炉に成功したのは小型の実験炉のみで、日本初の商業炉である東海原発は現在廃炉の作業中であるが苦戦しているのが現状だ。
– 責任は指揮官にある。だが、敗因の全てが指揮官にあるとは限らない –
受けたショックの大きさを考えれば目の前にある原発を恐れるのは分かる。
だが、目新しい記憶にのみ支配された、ある意味思考停止な状態では正しい判断を下す事は出来ない。
そして人々の関心は分かりやすい事のみに集中する。
それは犯人探しのような稚拙な行為に走る事で、自分の正義感を満たしているのに過ぎないのである。
70年前の日本でも同じような事が起きていた事は想像に難くない。
戦争を戦った世代は敗戦によるショックの大きさから贖罪の念に押しつぶされ、戦後生まれはその時代を全否定し、現実逃避から革命と言う名の美名の下に集まり踊り狂っていただけなのだ。
そして後に残ったのは、今の日本のような未成熟な国家の抜け殻だった。
私達は、何度それを繰り返せば大人になれるのだろうか?
と言うことで、”発電機”に焦点を当てて書いてみました。
このblog的な事で言えば、ミッドウェー海戦における”魔の5分間”の様なものだと思ったので・・・
未だに指揮官を無能呼ばわりするだけで自己満足なミリヲタや、魔の5分間さえなければ・・・と悔しがるネンネな坊や達のように思考停止は良くありませんよって事ですね。
最近の研究では諸説でていますので気になる方は調べてみてください。
たまには知識の大掃除も良いかもしれません。
原発と言うのは非常に巨大で複雑なシステムですので、仮に発電機が無事でも今回の事故を防げたかは分かりらないんです。
ですが、市民フォーラム等で私の質問に答えてくれた有識者が異口同音に仰った「全電源喪失」に対して、分かっていたにも関わらずあまりにもずさんな安全対策を見るに、今回の事故を象徴しているように感じたので書いてみました。
上手く言えませんが想像力の欠如だと思うんです。
安全への意識と言うよりは、危険に対する想像力の無さが問題だと思ったのです。
嫌味の一つも言わせて頂ければ、これだけ穴だらけの安全対策だったのだから改善の余地は果てしなく広いと思うのです。
今まで安全に動いていたのが奇跡なのかもしれませんが┐(゚~゚)┌
明日も仕事なんで今日はこの辺で。
おやすみなさい(・ω・)ノ