2011年 9月 23日 の記事

幕間 – Project Yatagarasu

先日の台風は凄かったですね。
各地では雨の被害が大きかったようですが、東京では雨よりも風の方が凄かった。
昨日だったかニュース見てたら「こないだの震災時の教訓が生かされていない」とか何とか言ってました。
帰宅困難者が出た事を言ってたんですが、台風で電車は止まってるんだし当たり前じゃないの?と思うんですけどどうなんでしょ。
そもそも出社させた事が間違いだとか寝ぼけた事を言ってる人もいましたが、どうも評論家や学者センセってのは浮世離れしてて嫌なんですよ。

まぁ。。。いつもながらの結果論ありがとうございましたって感じな訳ですが、被害が出た後なら何とでも言えるよなと思います。

私なんかは昼の時点で「今夜は帰れない」と思ったので、職場の仲良しさんを誘って「一杯やるか」と思ってたら考える事は一緒ですね。
その仲良しさんからメッセが届いて「お店予約するけどどこがいい?」と、既に私も参加する事を前提に動き出してました(´∀`)
さすが吞んべぇどうしらしく息もぴったりで、二人でお店だけ決めて他に何人かにメッセ飛ばしたら10人くらい賛同者が出た。


– 台風の目 – 昔WP-3D Hurricane Huntersの動画を作った事がある –

んで夕方くらいから帰宅許可がおりたので業務に差しさわりの無い人達は帰ったんですが、一番悲惨だったのはこの組で、家に着くのに8時間くらい掛かった人もいたらしい。
途中で職場に引き返してきた人もいたし・・・
そりゃそうでしょ、あの風じゃ電車は走れませんよね。

で、私達吞んべぇ組は同じビル内のお店に移動して11時くらいまで飲んでました。
なので帰の電車はいつもより空いてて楽ちんちんなのでした。

教訓も大事だけど、臨機応変さも大事なんじゃないかなと。
もちろん、家庭の事情やら何やらで帰らないとマズイ人もいるので、一概に時間潰すのが良いとは言いませんがね。
でも駅でいつ動き出すかわからない電車を待つくらいなら、お酒飲んで美味しい物食べて馬鹿騒ぎしてる方がストレス溜まらなくて良いと思いますが皆さんはどう感じましたでしょうか。

さて、ちょっと幕間。


– Japan Football Association 略してJFA –

八咫烏(やたがらす、やたのからす)は、日本神話で、神武東征の際に、高皇産霊尊によって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる烏である。一般的に三本足のカラスとして知られ古くよりその姿絵が伝わっている。
– Wikipediaより引用 –

一般的に八咫烏と聞いてピンと来る人はある意味サッカー通だと言える。
JFA – Japan Football Associationのエンブレムにその姿を見ることが出来るからだ。
カラス・・・と聞いて訝しがる人も多いと思うが、上の説明を聞けば納得するのではないだろうか。
JFA的に言えば、「勝利へと導く三本足の伝説の鳥」と言った願いが込められていると思われる。

翻って我々飛行好きにとっては・・・私だけかもしれないが・・・三本足と聞いてすぐに思い浮かぶのは、そのものズバリ飛行機ではないだろうか。


– 飛行機は基本的に三本足 –

特に航空自衛隊の飛行機に関して言えば、”日本を導く三本足の鳥”だと言えるだろう。
それは果たして勝利なのか、それとも敗北なのか・・・それこそは神のみぞ知ると言ったところだが、出来れば今度は勝利して欲しいものだ。

かつてこの国には零戦をはじめとする多くの八咫烏達がいた。
戦に破れ、その命を絶った者もいたが、終戦と同時に焼き払われた者達も多かった。
なぜなら、負けた日本に八咫烏を使う事も作る事も許されなかったからだ。
それまで営々として積み上げてきた日本の航空機産業は、その時、文字通り荼毘に付されたのだ。

特に、ジェットへの技術的転換点に空白を生じさせる事となった日本の航空機産業は、計り知れない程の損失を被ったのだ。

その対価は、F-2と言う形で支払わされる事となったのは記憶に新しい。
戦闘機用ジェットエンジン開発の経験値と実績の無い日本には、アメリカに頭を下げてエンジンを売ってもらうしか無かったのだ。
だから、あんな将来性の乏しい航空機を、あんな高額で買う羽目になったのだ。
それに関しては、手嶋 龍一(著)”たそがれゆく日米同盟―ニッポンFSXを撃て”に詳しい。


– 現代における戦争と言うものは、弾を打ち合う事だけではない –

「あれは共同開発だ」と言う声も聞こえてきそうだが、肝心のエンジンのノウハウは蓄積されないのだから、そう意味からすればあまり意味は無かったのではないだろうか?

自己満足で良いのなら、どんなプロジェクトも”成功”と言うことは簡単なのだ。

その証拠に、FSXから30年近く経つが、いまだに大出力の戦闘機用ジェットエンジンを作れないでいる。
たしかに政治的な思惑もあるだろうが、予算が無いだけで「やろうとすれば出来る」と言う世間知らずのネンネな坊や達には現実はそんなには甘くないのだと言いたい。

それに、戦闘機を開発するにはエンジンだけではなく、それ以外にも必要な技術は山ほどあるのだ。

余談だが敗戦後日本の航空機を見てアメリカ軍技術者達が一様に驚いたのはプロペラに関する技術の遅れだったそうだ。
エンジン開発のみならず、プロペラなどは一世代以上も米国から遅れていたそうだ。
米国と開戦する前に輸入した古いプロペラを小幅な改造のみで使い続けるしかなかった当時の航空機産業が抱える問題点のひとつなのだ。

他にも点火プラグの性能やら、真空管の性能など挙げただしらキリが無い。
とどのつまり、全てにおいて劣っていたのが事実なのである。

実際に物を作るには物作りのノウハウがいるのは当たり前だが、それ以外に使う側のノウハウのフィードバックも重要だ。
この”使う側のノウハウ”と言う点においては、実戦経験の無い日本は不利なのは言うまでも無い。
「訓練してるんだから」と、また世間知らずのネンネな坊やが口を挟んできそうだが、アニメの世界でならいざ知らず、訓練と実戦とでは得られる経験値には天と地ほどの差がある事を理解しなければならない。
現実とは厳しいものなのだ。

戦後、多くの航空技術者達はその職を失った。
中には国産旅客機YS-11の登場まで、職を転々としながら食い繋いでいた者さえいた。
だからこそ、彼らの多くは鉄道に活路を見出したのだ。
そして、日本の鉄道技術の粋を結集して作り上げたのが新幹線だったのだ。

ある意味、翼をもがれて地上を這う事しか許されなかった八咫烏の執念が、新幹線技術の根幹に宿ったと言ったら言い過ぎだろうか。

お隣の大国はそれを安易に買い、見よう見まねでちょっと凄い物を作った。
それを独自技術だと豪語した。
そこには物作りのノウハウも無ければ、運用する上での”使う側のノウハウ”も無かった。
そこにあったのは実力の伴わない自尊心だけだったのだ。


– 先日の台風の中を時速500キロで激走するリニアモーターカー –

日本の新幹線は別にレースをしている訳ではない。
時速が何キロ出るとか、そんな低次元な事を念頭において設計されていないのだ。
新幹線は安全を第一に設計されている。

この安全への礎は、今後登場するであろうリニアにも受け継がれているはずだし、きっとそうなると思う。
上の写真を見るとそう感じるのだ。
この写真にはリニアの凄さ以上に、安全へのあくなき挑戦を続ける鉄道技術者達の執念のようなものを感じずにはいられない凄い写真だと思うのだ。