鬼だ…鬼コーチだ
一人前のEAGLE DRIVERを目指すべく、意を決してAozora Driving School (ADS)に入校したまでは良かったが、最初の授業を前にして一抹の不安が過ぎるのを隠す事は出来なかった。
周りを見渡せば自分と同じように”怯えたような目をしたヒナ鳥たち”の姿に多少の安堵感を抱くものの、心の底に巣くった不安を払拭するまでには至らなかった。
その哀れなヒナ鳥たちの前に一人の男の姿があった。
– 伝説のパイロット南方2佐。パイロットの服装ってレベルじゃねぇぞ! –
男は俺達に一瞥をくれると、パイロットには不釣合いな格好でこう言った。
「今日からお前達のコーチをする事になった南方 仁だっ!」
途端にヒナ鳥の群れからどよめきが上がった。
「南方・・・ってあの伝説の?」
「ポップだ・・・ポップ南方だ。その昔、F-86で当時最新鋭だったF-15をキルしたって言う・・・」
「ポップ南方・・・伝説のEAGLE DRIVER」
ヒナ鳥たちは口々にポップの名をつぶやいた。
男はそんな事にはお構い無しに話を続けた。
「教習中に俺の名前を呼ぶ時は南方コーチと呼べ。決して教官とは呼ばずコーチと呼ぶんだ。いいな。それと・・・誰だ?今くしゃみをした奴は」
誰も答えなかった。
「くしゃみをしたのは誰か?」
しばらくして誰かが答えた。
「自分がやりました。」
「自分がやりました、なんだ?」
「自分がくしゃみをしたのであります。」
「自分がくしゃみをしました南方コーチと言うんだ。この馬鹿もん」
「自分がくしゃみをしました南方コーチ。寒いからであります」
「ほう!貴様はフォーメーションテイクオフ中に寒いからと言ってくしゃみをするのか?くしゃみの拍子に僚機に接触でもしたらどうする?」
「そんな事はしたくありませんコーチ」
「されてたまるか。ところで貴様は今寒いんだな?俺達で治してやろう」
– FC2の車両の細かさは異常。フライトシムってレベルじゃねぇぞ! –
そう言うとポップは滑走路の遥か彼方にある格納庫を指差した。
「向こうにある格納庫が見えるか?列から出ろ。あれを回って来い。駆け足だぞ。いいな、急げ!」
ポップは振り返ると俺達を睨みつけてこう続けた。
「このくちばしの黄色いヒナ鳥ども!いや、貴様らはヒナ鳥までもいかん。きさまらは、胸糞の悪い病気にかかったミリヲタ野朗だ・・・針金みたいな細い腕をしやがって、やせっぽちでそのくせ食い意地のはったミリヲタ野朗どもが!
生まれてこの方、きさまらのような母親に甘やかされてわがままいっぱいに育った餓鬼どもは見たことも無い・・・おい!そこの訓練生!腹をひっこめろ!ちゃんと前を向け!お前に言ってるんだぞ!」
俺の事を言われたのかどうかはっきりしなかったが、俺は思わず腹をひいた。
「もうがまんできん・・・俺がこれから気合を入れてやる・・・きさまらに比べると、俺が六つの時に持っていたおもちゃのパイロットの方がずっとましだった。ようし!きさまらミリヲタ野朗どもの中に、俺をキルできると思う奴はおらんか?どうだ、これだけ雁首そろえていて、ただのひとりも男はおらんのか?さぁ言ってみろ!」
しばらくして後ろの方で声が上がった。
「俺なら出来るぜ」
ポップはうれしそうな顔をした。
「なんて名前だ?お前は」
「梶谷英男でありますコーチ」
男は既にオレンジ色のパイロットスーツに身を包んでいた。
「梶谷1佐と何か関係があるのか?」
「自分は亡くなった梶谷の弟である事を誇りに思っております」
ポップは目を大きく見開いた。
「オレンジ色のパイロットスーツ・・・」
「兄の形見ですコーチ」
後にも先にもポップが人間らしい表情を見せたのはこの時が最後だった。
「ACMでは何が得意だ?」
「どうせあんたの方が墜されるんだから何でもいいですぜコーチ」
「ようし!ここはひとつGUN戦といこうじゃないか」
そう言うとポップは黒いコートのボタンを外し始めた。
「5分後に離陸だ!整備員はF-15Jを二機用意しろ!」
– F-15Jを馬力換算すると20万馬力だとか。飛行機ってレベルじゃねぇぞ! –
梶谷と言う男の噂は既に聞いていた。
兄は優秀な男で、かつては1佐まで昇進したが不慮の事故で他界した事。
その時梶谷は既にパイロット候補生だったが、事故の事が原因で自衛隊を辞めた事。
そして、グレていた事も。
– 梶谷は昔、湘南を爆走していた。暴走行為は迷惑ってレベルじゃねぇぞ! –
その後も職を転々とし、一時は警察官だった事もあったが、その協調性の無い性格が災いしてか、どれもこれも長続きする事は無かったのだと・・・
エンジンが唸りをあげた。
俺がF-15Jのエンジン音を間近で聞くのはこれが初めてだった。
「轟音なんてレベルじゃねぇぞ!」
引きつったような声でミリヲタ野朗が言った。
キャノピーが閉まる前、二人は向かい合って敬礼をした。
そしてポップがゆっくりと機体を進め始めると、梶谷はそれに続いて滑走路へと向かって行った。
– 憧れのフォーメーションテイクオフ。上手いってレベルじゃねぇぞ! –
二人はまるで阿吽の呼吸のように、等間隔のまま滑走を始めると綺麗にその間隔を保ちながら離陸していった。
残された俺達”くちばしの黄色いヒナ鳥たち”・・・いや、ポップに言わせれば”やせっぽっちのミリヲタ野朗”どもは、ただそれを見送るだけだったのだ。