2011年 7月 12日 の記事

Ordinary World

今朝は早起きして、天気が良かったので洗濯して、その間に部屋とPCの掃除をした。
それだけでも汗だく。
PCのファンに付いてるフィルターを外して水洗いして、ついでにエアコンのフィルターも水洗い。
汗が凄いのでシャワー浴びてご飯食べて、その後、近所のスーパーへ行った。
平日の午前中とかってガラガラなんですね。
最後にアイスのコーナーを覗いたらセンタンの白くまアイス(シャリシャリタイプ)を発見。
私的なランキングですが昨年のナンバーワンアイスなのだ。
なので購入。
家に着いて早速食べた。
やっぱりおいしい(゚ε゚)

で、OSの再インストールしてました。
と言っても、メインのPCではなくて、リハーサルも兼ねて使ってない古いPCのOSを入れ直してみました。
詳しくは後日改めて書いてみたいと思う。

さて・・・ちょっと重い話。

7月5日、東シナ海で204SQのF-15J一機が訓練中に消息を絶った。
私もニュースで知ってショックを受けた。
未だパイロットの消息は不明との事で、家族は夜も眠れぬ日々を過ごしているのではないだろうか。

実は今日、このF-15Jの事で知人からメールがあった。
墜落したこの機のシリアルが72-8879だと言うのだ。
驚いてネットで調べてみたら本当に72-8879だった。


– F-15Jを塗るのは二度目。そのSkinの完成直後の墜落はいつも以上に辛い –

7月3日のエントリーでお披露目したLock On Fc2.0用のF-15Jのシリアルが72-8879だった。
私は現代機のリペは殆どしたことが無かった。
大半のリペは大戦機ばかりだった。
理由は簡単で、墜落の可能性があるからだ。

考えすぎだと笑われた事もあった。

今回も知り合いから写真を提供してもらいながらリペをしていた。
何枚か頂いた写真の中に72-8879の姿があった。
なぜだかわからないけど、私はこれを塗ろうと思ったのだ。

戦闘機のパイロットは危険な職業である。
そしてまた、戦闘機そのものも危険な乗り物である。
敵を撃墜する為に生まれた戦闘機とは、すなわち人を殺す事を目的とした道具だからだ。
それは平時でも変わらない。
なぜなら、人を殺すための訓練とは、危険と隣り合わせの行為そのものに他ならないからだ。

1981年に最初の一機が日本に飛来して以来、F-15J / DJは12機もの損失をだしている。
助かった方もいるが、殉職された方もいる。
その多くが訓練中の事故によるものだ。
72-8879のパイロットも、この危険な訓練の最中に墜落してしまった。
自ら「戦闘中止」と無線でコールした後に落ちて行ったとの証言もある。

過去に私は2度ほどJASDFをモチーフにしたビデオを作った事がある。
一度目は一人で、二度目は知り合いの方との共同制作だった。

ビデオの製作も殆ど終わりに近づいたある日、私はとあるサイトを見ていた。
そのサイトの管理人はF-15Jが大好きらしく、百里時代の204SQの写真が多く掲載されていた。
どの写真も素晴らしく、私は日に何度も見に行った事もあった。

その日も私は写真を見にそのサイトに行った。
ちょうどサイトの常連さん達と管理人が次期FXについて熱い議論を重ねていた。
この手の話題は誰しも興味がある事なので盛り上がる反面、熱が入りすぎて場が荒れる傾向にある。


– 墜落の数日前、sikinの完成を祝って嬉々として撮ったSS –

その日も管理人の一言で空気が変わったようだった。
管理人はF-15Jさえ飛んでれば良いのだと言う。
だから、ラプターが駄目なら他は要らないのだと言う。

それに対して誰かが言った「時代遅れの兵器では空自のパイロットが可愛そうだ」と、「最前線で死と直面するのは彼らなのだから」と。

すると管理人はこう言った。

「普段はただ飯同然の訓練ばかりなんだし、実戦となれば兵隊が死ぬのは当たり前だ」と。

反対意見が多数を占めたが、中には同意する者もいた。

彼らは言うのだ「自分はただF-15Jの写真が撮れれば良いのだ」と。
「隊員がどうなろうと知ったこっちゃない」のだと。

強弁しているだけだとの考えもある。
だが、私はこれを読んだ瞬間に、自分の中で何かが壊れたのを感じた。

そして私は、ほぼ完成していたJASDFのビデオのあるシーンの仕上げの作業を中止し、そのシーンを他のシーンに差し替えた。
ほぼ完全だったビデオを不完全な物にする為に、細工し、撮影しなおし、編集したのだ。

別に彼らが私のビデオ見るかどうか確信があったからではない。
ただ、「この手の輩は少なくないのでは」と、常々思っていたのも事実だ。
私の知り合いにも基地などに写真を撮りにいく人がいる。
その度にマナーの悪い”空自ファン”を目にすることがあるのだと言う。
駐車禁止の場所や、近隣の民家の前に路駐したり、タバコのポイ捨て、脚立や場所取り云々。
聞けばいい歳をした大人が平気でをモラルの無い行動をとるのだと言う。

多分それもこれも、すべては上での話のように「自分さえ良ければ」または「自分の欲求さえ満たされればそれで良い」と言う考えに寄るものだと思われる。

震災後、「我欲を捨てよ」と石原新太郎は言った。
「津波で流された」云々で叩かれもしたが、我欲に関してはその通りではないだろうか?
欲深い故に、相手を思いやる気持ちをなくし、ましてや人の命に関わる事を「どうでも良い」と言える人がいることに、私は少なからず恐怖を感じるのだ。


– 72-8879のF-15J このskinは永遠にお蔵入り –

パイロットの無事を祈る。