2011年 5月 22日 の記事

春の海 ひねもすのたり のたりかな

ちょっと遅いGWを頂いて日本海側を旅して来ました。
学生時代にお世話になった方が鳥取へ引っ越したので、まずはそこへ遊びに行って、そこから東へ移動して島根原発を見て、そのあと福井県に行ってもんじゅやら何やら見て、そのあと京都から新幹線で帰ってきました。

やっぱり地方は良いですね。
なんと言っても人が少ないのが良い。
街とかも歩きやすいし、忙しなくないのが凄く嬉しい。


– ふと、与謝蕪村の句が頭に浮かんだので激写 –

日本海と言うと、個人的には”冬の荒ぶる海”といったイメージがありますが、このように春の海は静かでした。
宿泊したホテルの前が開けていて、日がな一日海を眺めるのには丁度良い感じで、人もまばら・・・と言うかほぼ無人だったので良かったです。
尤も、ホテルの人にとってこの状態は死活問題なので、もっと賑わってる方が良いのでしょうけれども。
この辺りは、ある意味地方が抱えるジレンマなのかもしれません。
都会に住む人から見た地方の魅力とは、やはり風光明媚な景色とその土地の食べ物だったりする訳で、まるで渋谷や新宿のように人で溢れかえったような景色を見たいとは思わないし、ファミレスのメニューのような物を食べたいとは思わない訳です。
でも、地方の人からしたら賑わって欲しいわけで・・・

以前、過疎の村と呼ばれるような村へ行った事があります。
”過疎”なんて聞くとアレですが、行ってみると”田舎”らしい所で、個人的にはあの景色は残って欲しいと思いました。
でも、住んでる人からすれば不便な事も多くて、いろいろと問題もある訳ですよね。
病院とか、買い物とか・・・

元々私は観光地とかはあまり興味無いんですよ。
観光地へ行って写真撮って・・・って、何か証拠写真撮って満足してるような。
”その場所へ行きました”って言う証が欲しいだけと言うか、”〇〇へ行った幸せな自分”を封じ込めたものが欲しいだけって感じがしてあまり好きではないんです。
最近だとパワースポットとかも人気ですが、あんなに人で溢れかえった場所ではパワーよりも疲れを貰いそうだし、登山なんかでも山頂に立つのに順番待ちの場所もあるようで、某ラ王のCMで有名になった槍ヶ岳の山頂写真を見た時は衝撃を通り超えて笑ってしまいました。


– 彼らは何を求めてこんな過酷なプールへ行くのだろうか –

まぁ、夏の海やプールなんかも海外からは”養魚池”とか何とか言われて笑われてるそうですが、それでもなぜだかわからないけど好き好んで行く人がいる訳ですよ・・・泳げないプールに。

なんだか排気ガスをおもいっきり吸いながら健康の為にと皇居の周りを走るランナーのような感じ。

他にもイイとこ沢山あるのに、話題になるところにしか行きたがらない。
他人と同じ事に価値を見出し、ブームに乗り遅れまいとする姿を見るに付け、私は滑稽だと思うのですが皆さんは如何でしょうか。

話がそれましたね(゜-゜)\バキ

いずれは静かな所に住みたいと思っているので、こうして旅で訪れた場所では必ず不動産屋さんに立ち寄ります。
家賃が安いのはもちろんだけど、建物と建物の間隔とかが広いし、背の高い建物が少ないので開放感がありますよね。
電車とかも空いてるし、道路も空いてるし。

という事で、ノンビリと過ごせた一週間でゴザイマシタ。

さて、ようやくサポートから連絡が来たわけですが、結論から言いまして駄目でした。
ただし、知り合いの知り合いから教えてもらった方法で開く事が出来ました。
ただ、開いた後に通常の方法で開こうとすると、また以前と同じようにエラーが出てフリーズしてしまいました。
なので完全な形での解決には至っていないと思われます。

という事で、今日は朝から洗濯やら買い物やらで汗だくですよΣ(´д`;)
今日の東京は朝から暑かった・・・けど、今はとても過ごし易くなったので作業開始。


– 8月7日、坂井小隊の三番機として出撃した羽藤機 –

これも「証拠あんの?」と、突っ込まれたら「知りません」と答えるしかない。
何せこの眼で見た事無いもんで┐(゚~゚)┌

あと、同じ日に二番機として出撃した柿本円次さんの搭乗機に関する情報は、残念ながら見つける事は出来ませんでした。
で、ちょっと話が横道にそれるのですが、この柿本円次さんと言う方の事なのですが、加藤寛一朗(著)零戦の秘術を読むと、坂井さんがこんな証言をしていますのでチョコッと引用します。

”もう一人は柿本円次(下士官 二番機)と言って、これは(後に)撃墜されて戦死したと思ったら、オーストラリアで捕虜になっていましてね。これは後の話ですが。”

私はこれを読んで、てっきり生きて終戦を迎えられたのかと思っていたのですが、今回、柿本円次さんの事を調べていたらWikipediaの”カウラ事件”と言う項目の中で戦死した事を知りました。
柿本円次二飛曹は自決されたそうです。

カウラ事件・・・詳しくはWikipediaを見て頂ければ載っていますが、1944年8月5日に、オーストラリア連邦ニューサウスウェールズ州カウラで起こった日本兵捕虜脱走事件の事だそうです。

空戦では命を落さずに済んだものの、その後このような形で命を落す事になるとは、当の柿本さんもさぞかし無念だったのではないでしょうか。
こういう話を聞くに付け、思い起こされるのは坂井さんのこの言葉です。

”みなそんなに若くして死ぬ必要はなかった。
そして、生き残った者は功績を認められなかった。”

本当に悲しい言葉です。