2011年 5月 の記事

Time goes by

昨夜は、こないだのGWを譲ってあげた仲良しおじさん達から”お礼の晩餐”に招待されていたのであった。
仲良しおじさん達の伝家の宝刀である”おやじギャグ”を肴に、美味しいお酒と美味しい料理を楽しんだひと時であった。
来月にはこの仲良しおじさんの一人を含めた5人で海外出張に行く事になった。
2年ぶりのロサンゼルスなので、軍資金をたんまりと準備して行こうと思う。
なぜなら、向こうには日本では買えないレアなCDとか扱ってるイカガワしいショップが沢山あるのだ。
いわゆるブート盤という奴ですな┐(゚~゚)┌

それには仕事を頑張って何とかフリーな時間を作らねばならない。
後は今回同行するカタブツ君の目を如何にして欺くかもポイントになる。
最近はマニュアル通りにしか動けないカタブツ君が増えて困る。
ある意味、日本型エリートの限界を垣間見る思いだ。
昨夜の宴も、実はカタブツ君対策の作戦会議を兼ねていたのだ。

おじさんも私も実はワルなのであった( ゚∀゚)アヒャ

という事でちょっと仕込みにも青森・・・じゃなかった飽きた。
ツーことで、F-2の続きを塗るよ!(おやじギャグ二連発(・∀・)イイ!!


– MITSUBISHI F-2(もどき) コーションマークを作るのが大変だった –

当然の如く、Lock On FC2.0にはF-2はおろか航空自衛隊の飛行機は一機も入っていない。
なので、自分で塗るかリペインターの方々が公開されているSkinを入れるしか無いのだが、F-2自体はMODですら存在しないので、F-16をF-2に見立てて塗るしかない。

でも、F-2とF-16はかなり違う。
おまけに、実機とゲーム内のモデルとでは微妙に形状が異なるのは当たり前。
図面を元に作っている訳ではないので、全く同じになる訳はありません。
逆に言うと、ここがモデラーの腕の見せ所であり、モデラーのセンスが光るところでもある訳ですね。

資料として写真を見たりするわけですが、これとて厳密に言えば歪んでいる訳ですよ。
この歪みを頭の中で補正しながらモデラーは作る訳ですね。
他にはプラモデルを参考にして作る場合もありますが、それとて原型を作る人の感性によって実機とは違う事は当たり前らしい。

学生時代にアルバイトで映画のセットなどを作る会社で働いていた事があるのですが、街並みなどを作るの際に、仮に図面があっても参考程度に止めていたのが印象的でした。
大きな物を小さく作ると印象が変わるからなんだそうです。
どんなに正確に作っても模型は所詮模型なので、現物の持つ重厚感などは再現できない訳ですが、ここにモデラーの感性が入ることでグッとリアリティがー増して来るんだそうです。
つまり、実際と同じものを単純に縮小するのではなく、若干の”嘘”を入れて作ると本物のように見えるんだそうです。
いわゆる”大工の嘘”と言うのに似ているかもしれません。


– 第3飛行隊所属の#507 兜武者のマークがカッコイイ –

コーションマークやら、尾翼のマークやらを用意するのは結構大変。
尾翼のマークはネットで検索したステッカーをPhotoshopで加工して使いました。
このマークが兜を身に着けた武者だと言う事を今回初めて知ったのはナイショ(゚ε゚)
コーションマークの方は写真を元に手作り。
書かれている文面がわからなかったので、ネットで検索するのに物凄く時間が掛かった。
こういうマークとかって、やはりリペインターの方達は手作業で作られるのでしょうかね?
「フォントとかは自分で作る」って前に聞いた事があります。
まぁ、私の場合はビデオで使うだけなので、そこまでやる必要は無いわけですが┐(゚~゚)┌


– MUMBO-ECHOさん作 MITSUBISHI F-2 / FS2004 –

”手塗り派”のリペインターの中では群を抜く実力者だと思います。
特にご本人も拘っていらっしゃった”汚し”は見事で、FS界では”汚しのマンボ”の異名を持つほどでした。
私も様々なリペインターの方や、アドオンクリエイターの方とビデオ作りを通じて知り合いになりましたが、凄い作品を作られる方はそれぞれ一家言ありまして、人としても大変魅力的な方が多かったように思います。

現実に存在する物を、言わば”絵”にする訳ですから、そこにはリペインター個々の感性が重要になります。
ただ正確に塗れば良いと言うのとはちょっと違うんだと思うんです。
それこそがクリエイターにとって最も大切な個性なんだと思うのですが如何でしょうか。

あくまでも私見ですが、世の中には上手にリペイントする人は大勢いると思います。
ですが、凄いと思わせるリペイントには中々出会えません。
MUMBO-ECHOさんの作品は、私にとって数少ない凄いリペイントの一つなのです。

残念ながら、もう二度とMUMBO-ECHOさんの新作を目にする事は出来なくなってしまいました。
思い起こせば、あまりにも無知な私の質問にも親切丁寧に答えてくれる優しい方でした。
もうお話する事も叶わないのかと思うと本当に残念でなりません。

風が吹けば桶屋が儲かる


– 葛飾北斎 富嶽三十六景 尾州不二見原 - 

「風が吹けば桶屋が儲かる」とは昔から言われる諺だ。
そうは言っても桶屋さんなんてものは現代の日本には殆ど残っていない。
なのでピンと来ない訳ではありますが、これを身近な事に例えてみると判りやすい。

不況になるとコピー機屋が儲かる。

先日、オフィスの中で作業していたサービスマンの方の話。
ご多分にもれず我が社もデフレ不況に喘いでいる。
そんな中、コピー機屋さんは大繁盛なんだそうな。
と言ってもコピー機が売れる訳ではなく、トナーやら何やらとか、リース代が儲かるのだとか。
要するにどういう事かというと・・・

会社が不況に喘ぐと会議が増える → 会議が増えるとコピーの需要が増える → 故にコピー機屋さんが儲かるのだとか・・・(´・∀・`)ヘー

言われて見ればうちの会社も会議が増えた。
私は他部署との関わりが色々あるので、多い時だとほぼ毎日会議に出席する場合がある。
その際に配られる資料の量は、後でシュレッダーに掛けるのに苦労するほどだ。
電子化を標榜してノートPCやらPDAやらを支給している割には情けない。

尤も、会議さえ開けば業績が上がると言うのならそれこそ毎日会議だけやってれば良い訳で、そうは問屋が卸さないのが現実というものではないのだろうか。
かといって会議が無駄だとは思わないですがね┐(゚~゚)┌
ただ、会議を開いてFIXした事を検証してみないと会議そのものに価値があったのかはわからない訳だし、一番問題だと思うのは会議を開いただけで満足してしまう人が多いってとこ。

会議と言うのは言わば方便みたいなもんなので、開いただけで満足してしまうのは本末転倒な訳ですが、本当にそう言う人が多くて困ってしまう。
本来会議とは、その場で決まった事を実行し、成果が出て初めて良しとしなければならないわけで、最後は額に汗して無い知恵絞って行動するしかないと思うのですが如何でしょうか・・・ベタですけどね。

さて、仕込みの続き。
今日は一式陸攻を塗りました。


– 第四海軍航空隊所属の一式陸上攻撃機 –

8月7日のあの日、坂井さん達17機の零戦に守られて、ガダルカナル島ルンガ泊地を攻撃したとされる部隊がこの第四海軍航空隊所属機だったかは定かではありません。
ただ、この時期にラバウルに展開していた部隊で一式陸攻を運用していた部隊は第4航空隊らしいのでリペしてみました。
「本当に正解なんだろうな?」と聞かれれば「知りません」と答えるしかない。
なにせ戦後生まれなもので┐(゚~゚)┌

零戦以上に写真が少ないし、仮にこの4空が正解だとしても部隊の損失が著しいので、資料が少ないのも致し方ないと思われます。
特にこの部隊は半年で3回もの壊滅状態を経験しているので、再編作業の際には他の陸攻部隊から「死空」と忌み嫌われたほどだったらしい。
昭和17年末には、第七〇二海軍航空隊に改名し、翌年の昭和18年に解隊したそうです。


– 在りし日の第四海軍航空隊所属の一式陸上攻撃機 –

今回もWikipediaを読んでいてら、他の中攻隊の話で驚いた事があったので引用してみたい。

”彼らの機は日米開戦5日目のフィリピン、ルソン島空襲を悪天候のため超低空 350m で行い至近距離からの対空砲火に被弾し、帰途不時着した。一時は原住民に捕縛され在フィリピン米軍に監禁されたがそろって脱出して日本陸軍に合流、1ヶ月後にフィリピンに進出して来た本隊に1機8名全員揃って帰隊し隊の皆も歓喜した。しかし航空艦隊は彼らをすでに戦死と報告しており、経過を問題にし、内密に処分した。彼ら8名はその後死ぬまで数ヶ月間、飛行特技章、金鵄勲章、階級章は剥奪され、下士官だった者も一目で違いのわかる兵の服装を着用し、階級章のないまま滑走路外れのテントに起居を命じられた。
– 中略 –
1942年3月30日、彼ら8名はポートモレスビー飛行場の単機低空強行偵察写真撮影を命じられた。高度 1,000m で低速で数往復し写真撮影したが戦闘機に迎撃されず被弾し生還した。翌日1942年3月31日、単機により飛行場爆撃しその後に対空陣地へ突入自爆決行せよ、との命令を受けた。爆撃成功連絡の後、突入決行の暗号電文をラバウルで受信した。終了符のト・ト・ト・ツーの長符発信がながく数十秒続いたあと突然途絶えたので戦果確認機はなかったがその時刻に死んだと判った。彼らは通常の戦死として元の階級に復された上で1階級昇進”
– 引用終わり –

非道な旧軍司令部の命令もさる事ながら、潔く死する事へのある種の憧れにも似た当時の日本人の心情をも考慮しなければならない。
とは言え、周りの兵隊達からの”死を持って罪を償え”とも取れる言動もあったとされるを事を考えるに、あまりにも人の命を軽視する当時の日本人独特の死生観を見せ付けられたような思いがした。

ただし、やはり平時でない事が当時の人々に与えた影響は計り知れないと思う。
ここに至る前から、つまり、ずっと前から彼らは戦争をしていた訳で、言わば異常な状態を長年に渡り続けていた過程の中で、それら負の感情が育まれていったとしても何ら不思議な事ではないと思うのだ。

しかしながら、終戦間際の物資が底を付いてからの絶望的な戦いの中で行なわれた特攻とは違い、開戦から僅か半年も経ってない頃に行なわれたと言う事実を知るに至り、ただただ、戦争の深い闇を感じずにはいられないのです。
人命よりも名誉を重んじた結果なのでしょうが、そう考えると日本が戦争に負けたのはそれら命を粗末にした報いだったのではないかとさえ思えてくるのです。
「文化の違い」と人括りにしてはいけないのかもしれませんが、あの戦争のもう一つに側面には、こうした日米の死生観を含めた”文化対文化”と言う図式も見え隠れしているのではないでしょうか。
自らの手足を切り落すような真似をして、どうして立っていられるのか・・・今の価値観からは到底理解できない事だと思いました。

春の海 ひねもすのたり のたりかな

ちょっと遅いGWを頂いて日本海側を旅して来ました。
学生時代にお世話になった方が鳥取へ引っ越したので、まずはそこへ遊びに行って、そこから東へ移動して島根原発を見て、そのあと福井県に行ってもんじゅやら何やら見て、そのあと京都から新幹線で帰ってきました。

やっぱり地方は良いですね。
なんと言っても人が少ないのが良い。
街とかも歩きやすいし、忙しなくないのが凄く嬉しい。


– ふと、与謝蕪村の句が頭に浮かんだので激写 –

日本海と言うと、個人的には”冬の荒ぶる海”といったイメージがありますが、このように春の海は静かでした。
宿泊したホテルの前が開けていて、日がな一日海を眺めるのには丁度良い感じで、人もまばら・・・と言うかほぼ無人だったので良かったです。
尤も、ホテルの人にとってこの状態は死活問題なので、もっと賑わってる方が良いのでしょうけれども。
この辺りは、ある意味地方が抱えるジレンマなのかもしれません。
都会に住む人から見た地方の魅力とは、やはり風光明媚な景色とその土地の食べ物だったりする訳で、まるで渋谷や新宿のように人で溢れかえったような景色を見たいとは思わないし、ファミレスのメニューのような物を食べたいとは思わない訳です。
でも、地方の人からしたら賑わって欲しいわけで・・・

以前、過疎の村と呼ばれるような村へ行った事があります。
”過疎”なんて聞くとアレですが、行ってみると”田舎”らしい所で、個人的にはあの景色は残って欲しいと思いました。
でも、住んでる人からすれば不便な事も多くて、いろいろと問題もある訳ですよね。
病院とか、買い物とか・・・

元々私は観光地とかはあまり興味無いんですよ。
観光地へ行って写真撮って・・・って、何か証拠写真撮って満足してるような。
”その場所へ行きました”って言う証が欲しいだけと言うか、”〇〇へ行った幸せな自分”を封じ込めたものが欲しいだけって感じがしてあまり好きではないんです。
最近だとパワースポットとかも人気ですが、あんなに人で溢れかえった場所ではパワーよりも疲れを貰いそうだし、登山なんかでも山頂に立つのに順番待ちの場所もあるようで、某ラ王のCMで有名になった槍ヶ岳の山頂写真を見た時は衝撃を通り超えて笑ってしまいました。


– 彼らは何を求めてこんな過酷なプールへ行くのだろうか –

まぁ、夏の海やプールなんかも海外からは”養魚池”とか何とか言われて笑われてるそうですが、それでもなぜだかわからないけど好き好んで行く人がいる訳ですよ・・・泳げないプールに。

なんだか排気ガスをおもいっきり吸いながら健康の為にと皇居の周りを走るランナーのような感じ。

他にもイイとこ沢山あるのに、話題になるところにしか行きたがらない。
他人と同じ事に価値を見出し、ブームに乗り遅れまいとする姿を見るに付け、私は滑稽だと思うのですが皆さんは如何でしょうか。

話がそれましたね(゜-゜)\バキ

いずれは静かな所に住みたいと思っているので、こうして旅で訪れた場所では必ず不動産屋さんに立ち寄ります。
家賃が安いのはもちろんだけど、建物と建物の間隔とかが広いし、背の高い建物が少ないので開放感がありますよね。
電車とかも空いてるし、道路も空いてるし。

という事で、ノンビリと過ごせた一週間でゴザイマシタ。

さて、ようやくサポートから連絡が来たわけですが、結論から言いまして駄目でした。
ただし、知り合いの知り合いから教えてもらった方法で開く事が出来ました。
ただ、開いた後に通常の方法で開こうとすると、また以前と同じようにエラーが出てフリーズしてしまいました。
なので完全な形での解決には至っていないと思われます。

という事で、今日は朝から洗濯やら買い物やらで汗だくですよΣ(´д`;)
今日の東京は朝から暑かった・・・けど、今はとても過ごし易くなったので作業開始。


– 8月7日、坂井小隊の三番機として出撃した羽藤機 –

これも「証拠あんの?」と、突っ込まれたら「知りません」と答えるしかない。
何せこの眼で見た事無いもんで┐(゚~゚)┌

あと、同じ日に二番機として出撃した柿本円次さんの搭乗機に関する情報は、残念ながら見つける事は出来ませんでした。
で、ちょっと話が横道にそれるのですが、この柿本円次さんと言う方の事なのですが、加藤寛一朗(著)零戦の秘術を読むと、坂井さんがこんな証言をしていますのでチョコッと引用します。

”もう一人は柿本円次(下士官 二番機)と言って、これは(後に)撃墜されて戦死したと思ったら、オーストラリアで捕虜になっていましてね。これは後の話ですが。”

私はこれを読んで、てっきり生きて終戦を迎えられたのかと思っていたのですが、今回、柿本円次さんの事を調べていたらWikipediaの”カウラ事件”と言う項目の中で戦死した事を知りました。
柿本円次二飛曹は自決されたそうです。

カウラ事件・・・詳しくはWikipediaを見て頂ければ載っていますが、1944年8月5日に、オーストラリア連邦ニューサウスウェールズ州カウラで起こった日本兵捕虜脱走事件の事だそうです。

空戦では命を落さずに済んだものの、その後このような形で命を落す事になるとは、当の柿本さんもさぞかし無念だったのではないでしょうか。
こういう話を聞くに付け、思い起こされるのは坂井さんのこの言葉です。

”みなそんなに若くして死ぬ必要はなかった。
そして、生き残った者は功績を認められなかった。”

本当に悲しい言葉です。

とりあえず仕込み開始

例のサポートからのメール待ちの状態に少々飽き始めた私。
する事がないので仕込みを再開していみた。


– 西沢機と太田機 –

本当にコレで正解か?と問われれば「知りません」と答えるしかない。
それくらい当時の資料は少ない。
仮に機体番号が正解だとしても、機体の色、書体、帯の数、帯の色等々、カラー写真でも無い限りさっぱり分かりません┐(゚~゚)┌
それに、陸上基地の搭乗員には愛機と呼ばれる概念は無く、その都度違う飛行機に乗っていた訳で、どの作戦の時にどの飛行機に乗っていたのかを記した資料もネット内で見つける事は出来ませんでした。
もちろん、その中でも”良く乗った”機体はあったようなので、それを愛機と呼ぶ事はあったらしい。
細かい事を言えば、それも戦中からなのかそれとも戦後になってから便宜上そう呼ぶようになったのかは分かりません。

案の定と言うか、今回も海外のサイトが頼みの綱だったのは悲しい限り。
日本のサイトはいつものパターンで途中からあらぬ方向へと行ってしまう。
「祖国の為に命を捧げた英霊達に感謝!!」とか何とか書いてあった後に、いきなり幼女の裸のイラストとか出てきて「〇〇タン」とか何とか書いてある。

きっと草葉の陰で泣いてるよ・・・英霊達も。


– 西沢広義 享年24 –

いつの頃に撮られた写真かは定かではありませんが、とても24歳には見えません。
命を懸けると言う事が、この若者にどれ程の重圧を与えていたのかが分かる写真です。
”老ける”と言う事ではなくて、貫禄のような物だと思われます。


– 飛行服に軍刀 –

こちらの写真もいつ頃撮られたのか定かではありませんが、上の写真と比べるとまるで別人のようです。
時期的な事もあると思いますが、赴いた戦地によっても置かれた状況は違うので何とも言えません。
比較的余裕があった頃に撮られたものだと思われます。


太田敏夫 享年23 –

坂井三郎さんによりますと(Wikipediaより引用)

「(太田は)色白の好青年で、いつもにこにこしていて、どちらかというと、おとなしい男でしたが、実戦には強かった。(中略)あばれん坊のそろっていた戦闘機隊では、ちょっと珍しい貴公子的な存在でしたね。」
だそうです。
写真からもそんな雰囲気が伝わってきます。
実戦にも強かったと書かれてありますが、その片鱗を大空のサムライの中にも読み取る事が出来ます。
台南空が5機のB-17を全機撃墜した時も、太田さんがB-17を撃墜する様子が書かれています。

今回調べていて初めて知ったのですが、元々は戦艦金剛勤務だったんですね。
坂井さんも元々は戦艦霧島、戦艦榛名勤務だった。
硬直した人事と思われがちな旧日本軍ですが、下士官達にはこうして選択していく道も細いとはいえあった訳ですね。
尤も、今より遥かに職業選択の幅が狭かった時代なので、本人の努力があっての事なのは言うまでもありません。
その努力の一端は、大空のサムライを読む事で垣間見る事が出来ます。
坂井さんがパイロットになる為にどれだけの努力をしたか、さりげなく書かれていますが大変な努力があった事は想像に難くないと思います。


– 在りし日の台南海軍航空隊 –

職業選択の自由が叫ばれて久しい昨今ですが・・・

私を含めて、現代の若者が自分の仕事に就くのにこれだけ努力した事があるでしょうか?
私を含めて、現代の若者が自分の仕事にこれだけ真剣に向き合った事があるでしょうか?

口を開けば上司の悪口や会社の悪口。
さしたる努力もせず、上手く行かないのは社会が悪いと言い、自分のおかれた状況が悪いのだと言う。
他人の失敗を笑い、自分は何もしないで他人の揚げ足を取る。
口だけ達者な人々が溢れ、知識自慢の頭でっかちがネット内を跋扈する。

英霊達は何を思うのでしょうか。

Wordy Rappinghood

GWと言う事で都内も閑散としていて良い感じ。
街は節電の影響でかなり暗い訳ですが、それにもだいぶ慣れた来た模様。
そうは言っても路地裏などはかなり暗くて怖いのも事実で、以前に東南アジアを旅行していた時の恐怖体験を思い出した程だ。
この話は後日機会があれば・・・

そんなこんなで夜な夜な飲み歩く日々 Σ (゚Д゚;)え?
暇になると夜遊びの虫が疼き出すのは世の常と言うものだ。

今日はちょっと早く帰ってきたので、久々にLock On FC2.0で遊んでみた。
久々過ぎて操作方法もすっかり忘れているだろう事は容易に察しがつくが、それよりもショックだったのはジョイスティックが文字通り埃を被っていた事だ。
如何にFS系のゲームを起動していないかが良くわかる。
不良シマーですな(;´Д`)


– ん~♪ 自分で塗った飛行機で飛ぶというのは格別ですなぁ~ –

因みに使用しているジョイスティックはX52(Proじゃない方)で、兄からのお下がり。
その前に使っていたのはMSのサイドワインダーFFPで、実はこれが一番使いやすかった。
因みにこれも兄からのお下がりで、他にもサイテックのラダーペダルと、Track IR4も兄からのお下がり(゚ε゚)
タダで貰ったからなのか、いつも埃を被っております。
なので最近ではラダーペダルが邪魔なので押入れ行きとなりました。
ペダルは無くてもビデオは作れますのでね。

実は一度だけジョイスティックを買ったことがあります。
仕事でイギリスへ行った時に、自分へのお土産代わりにサイテックのCyborg Xを買いました。
折りたたむとコンパクトなところが気に入ったので購入しました。
当時のレートで3.800円位だったと思います。
なので仕方が無いのですが、コヤツは余りにもチャチかった。
ひねりラダーからは「ギシギシ」と異音がしますし、スティック全体の剛性が低いせいか「フニャ」とした感覚が常にあります。
おまけにスプリング硬く、長時間(と言いましても30分くらいですが・・・)使っていると腕が疲れます。
スティック上部のボタンを押した感じも「フニャ」とは言いませんが「グニャ」って感じで、節度感のようなものはありません。
台座に着いたボタンの方は多少ましですが・・・


– 自分への土産のつもりで買ったので、余り後悔はしていない –

良かった点は、やはり折りたたむとコンパクトになるところです。
それ以外は見当たりません。
ビデオを作るだけならこの位のコンパクトな方が使いやすいので、何か良いのがあれば買いたいのですけどね。
なので近々アキバへでも立ち寄ろうかと思っているしだいです。
良い買い物が出来ればX52は押入れ行きですな。
机の上とかに余り物を置きたくない方なので、正直言いましてX52は激しく邪魔なのです。

と、のっけから愚痴全開ですが、別にLock On FC2.0で撃墜されまくりだったからではございませんよ(*゚д゚) 、ペッ

まぁ、やっぱりそう考えるとフライトシムと言うのは敷居が高い遊びですよね。
道具も揃えないといけないし、操作方法も覚えないといけない。
特に操作に関しては使用するキーを覚えるだけでも「助けて」って感じ。
ここで挫折する人も多いのだとか。
これって野球よりもサッカーの方が競技人口が多い理由と似ているかもしれない。
サッカーはボール一個あればとりあえず始められるけど、野球の場合はボールの他にバットにグローブ、ルールもサッカーに比べると複雑。
フライトシムよりもFPSが流行る理由には、こうした事情もあるのかも知れない。
国内に限って言えば、飛行機が身近では無いって事もあるかも。
アメリカなんかだと普通に飛行機持ってる家庭がありますからね(=゚ω゚=)


– 離陸許可を待つ第204飛行隊所属のF-15J –

204SQと言えば、首都防衛の要として百里基地に配備されておりましたが、今は沖縄に配備されております。
近年増加する中国機による領空侵犯に対する形での異動となりまして、仕方の無い事とはいえ個人的には少々寂しい限りでございます。
と言いましても、私は一度も百里基地に行った事もないし、204SQも見た事無いニワカファンな訳ですが・・・(´・ω・`)

沖縄への異動に伴い、尾翼にある白頭鷲のマークにも若干のデザイン変更が施されております。
SSだと判りづらいですが、マーク自体が少し小ぶりなのと、襟足の鬣の数と色が変更されています。
詳しい事が知りたい方は航空自衛隊の公式サイトへGO!

久々のLock On FC2.0で撃墜されまくりだった訳ですが・・・Σ (゚Д゚;)え!?やはりゲームとはいえ、航空自衛隊の飛行機が炎に包まれている姿を晒すのは忍びないので撃墜された場面はありません。
それにしてもやはりLock On Fc2.0は難しいですね・・・ヽ(;´Д`)ノ


– Lock On FC2.0でのビデオ製作を控えて現在色味模索中 –

デヘヘ・・・いやぁ~意外と良い感じだなぁ~と自画自賛。
こういうのは自己満足ですからね、他人の意見なんてJust won’t listen!!の精神で突き進む。

SSの色味も、もう少し青とか緑とかを足しても良かったかもしれませんね。
青だと冷たい感じだし、緑だと温かみが出てくるので、作風に合わせて微調整して行きたいと思っております。
こうやって暇を見つけては色味のプリセットなどを作ったりしてストックしておきます。
まるで科学の実験のようで飽きないんですよ。
で、本番ではそれを若干手直ししてから使っています。


– 白頭鷲と尾白鷲 –

カメラモードの使い方も、エディットモードの使い方もすっかり忘却の彼方へ。
ちょっと間が空くと使い方を忘れてしまいます。
しかし・・・相変わらず使い辛いのう・・・ってことでドイツ空軍のF4を302SQ風にしたものの、国籍マークが消せないのが残念。
色味ですが、上のSSに緑色を少し混ぜて調整するとこんな感じ。
機会がありましたら色見についても書いてみたいですが、たぶん興味のある方はいないと思われますのでどうなる事やら┐(゚~゚)┌
ホント・・・このBlogは無駄な話が多い。

What are words worth?

アートの時間

昨日、今日といい天気でしたね。
既にGWを楽しまれている方も多いと思いますが、天気が良くて良かったですね。
私の方はといいますと、昨日は残務処理が溜まってたので出社して片付けてました。
いつもより人が少ないので嬉しかったり。
で、今日は家の事をしたりしてました。
洗濯したり、掃除機かけたり。

因みにGWは家族持ちのおじさんにお休みを譲ったので、私は平常通り出社します。
GW明けにお休みを頂く予定。
この方が遊びに行くのも空いてて良いんですよ。
それに仕事も暇だしね(゚ε゚)ぴゅ~

で、部屋の中を整理していたら、年末に買った粘土が出てきた。
そう言えば毎年恒例の年度細工をまだやってなかった事に気がついた。
今年は毎週のようにスノボに行ってたので、毎年恒例の粘土細工の事を忘れていたのだ。

という事で、作ったのがこれ。


– 画面左にいるのがウサギ –

今年の干支にちなんでウサギと、あまった粘土でなぜかパンを作ってみた。
色を塗らないと何だかわかりませんな┐(゚~゚)┌

因みに、粘土細工の下に敷かれたトレーは、ニューヨークにあるMoMAに行った時に買ったものです。
MoMA(ニューヨーク近代美術館)の道路を挟んだ向かい側にお土産屋さんがあるんですが、そこで買いました。
”お土産屋”なんて書くと、おばちゃんがおだんご売ってたり、チンピラ風のお兄さんがたこ焼き焼いてたりするイメージがありますが、ここは違います。
美術館自体もお洒落ですが、お土産屋さんもお洒落なストアーで、ブティックのような雰囲気があります。
グッズは日本からでも通販で買えるようですが、NYに行った際には是非立ち寄ってみてその場の雰囲気も含めて買い物を楽しんでみてください。
銀座にあるソニーストアは、ここの影響をかなり受けていると思われます。


– お洒落でしょ –

先日のエントリーでの仕組み作りの話と同じなんですが、やはりこう言うビジネスモデルを作り出すセンスと言うのは凄いと思います。
一般的な美術館のお土産と言うとあまり大した物は売っていませんが、ここはちゃんと別にストアーが用意してあって、独立してしっかりと売り上げがある訳です。
今では美術館よりもこちらのストアーに買い物目当ての旅行者が来るほどだそうです。
余談ですが、私はアニメの殿堂には賛成でした。
悲しいなんて言うとアレですが、日本のサブカルチャーで世界的にある程度認められているのはアニメと漫画とゲームです。
アニメや漫画に比べたら音楽や実写映画はまだまだです。
唯一アニメとタイアップした音楽などが海外でもそれなりに評価されていますが、調子に乗ってアルバムを出すと全然売れなかったりするそうですが・・・

実は、以前にお台場ガンダムを見たんです。
正直言いましてガンダムとか興味なかったんですが、そばで見た瞬間に電流のようなものが体を走り抜けたような感じがしました。
それくらい格好良かった。
因みにお台場ガンダムのおかげで生まれて初めてですがガンダムの映画を見ました。
いわゆる1stガンダムと呼ばれるアニメ映画3本はとても素晴らしい人間ドラマでしたが、調子に乗ってZガンダム3本も見ましたがこちらは詰まらなかったですね。
話としてちょっと纏まりが無いように感じました。

ちょっと話がずれましたね(゜-゜)\バキ

当時は、国営漫画喫茶などと揶揄する意見もありましたが、お台場ガンダムをエントランスに飾れば話題になったでしょうし、他のアニメのキャラクターを飾っても良かったでしょう。
ここでしか買えないグッズや、ネットで販売するのも良かったでしょう。
たしか建物の予算に百数十億円を計上していたと思いますが、公共事業=悪と言う単純な図式に議論が流れていってしまい、さしたる議論も無いまま話も聞かれなくなってしまいました。
公共事業と言っても、誰も利用しないような場所に高速道路を作る訳ではないんですけどね。
何を作るか、どのように運営するか。
大事なのはこっちなんですが、公共事業と聞いただけでアレルギー反応を起こす人が多すぎて話しにならなかった。

公共事業は悪。
官僚は悪。
自民党は悪。
世襲は悪。
日本は悪。

あの時の日本国内は、何だかわからない熱病のようなものが流行っていて、冷静な意見に耳を傾ける人は少数だったような気がします。
もちろん公共事業でやらずに民間がやれば良いのかもしれませんがね。
しかし、デフレ不況に喘ぐ企業、特にアニメ業界や漫画業界は言われている程潤ってはいないので、国が箱を作り、民間が運営すると言うのはある意味景気対策になると思っていたのですが・・・

昔、父の古い友人がアメリカから日本へ来たんです。
その人が父にお願いしたのは「ポケモンセンターに連れてって欲しい」と言う事でした。
日本のポケモンセンターでしか買えないグッズを買ってきて欲しいと、お孫さんから頼まれたんだそうです。

MoMAのグッズは通販でも買えます。
でも、MoMAやMoMA Storeは観光名所でもあります。
実際そこへ行って買い物する事に意義があるんです。
観光立国を標榜するわりには、相変わらず発想が古い日本の政治家と世論には失望を禁じえ無かった事を覚えています。


– 過去に作ったもの –

ココ最近は干支にちなんだ物が多いですが、以前は頭に思い浮かんだものを作ってました。
引越しの時に破損したものもありますし、掃除をしてる時に破損したものもあって、破損の酷いものは廃棄したものもあります。
他にもまだ沢山あるんで、正直邪魔だと感じる時もあります Σ (゚Д゚;)え?
相変わらず作る事だけが楽しいので、作ってしまうと「どーでもよい」のです。

だってこういうのをゴチャゴチャと部屋の中に置いてあると掃除する時とか面倒でしょ?
埃とか溜まるし、かといって一つずつ片付けるのも手間だし。

という事で長い前フリでしたが(゚Д゚)ハァ?
例のビデオのプロジェクトファイルが開けない件ですが、知り合いからのメールが全て届きましたが判りませんでした。
ただ、メーカーに問い合わせてみたら?と書かれてありましたので、拙い私の英語力を駆使してメールを書いてみました。
なので返事待ちという感じです。
作り直すか、それともこうやって一旦”土が着いた物”は破棄して、まったく新しい物を作るか。
ウダウダしてても仕方が無いので、近日中に決めて作業に入りたいと思います。