OUT OF JAIL

ノーベル化学賞に二人の日本人が輝いたそうで、科学離れが進む我国においては何とも嬉しい限りですよね。
これを追い風にして優秀な人材が育って頂ければ良いなと思いました。
受賞した根岸さんが「若者よ、海外に出よ」と言ったらしいですが、私なら「若者よ、部屋から出よ」と言いますね。
居心地の良い部屋から出て外で働けって感じです。

冗談ですけどね(゚ε゚)

でも、若いうちに海外の生活を経験するのは良いと思いますよ。
私も人生観変わりましたから。

さて、前回の続きです。

1993年に発見された新事実まで書きました。
青帯ではなく赤帯だった事、修理の後に塗りなおしたのではないか・・・と妄想した事も書いた。
結局坂井さんはあの日何色の帯で何番の飛行機に乗ってたのだろうか?

答え=わからない。

坂井さん本人が青帯でV-103に乗ってたと言うのだからそれで良いかなぁとも思うのですが、ヘンリー・サカイダ氏や渡辺洋二氏の意見が違うのが引っかかるわけです。
だってこのお二方が勝手な事を書いてるとは思えないんですよね。
取材して書いてる訳ですから。

ただですね、大空のサムライに掲載された絵があるのですが、あれは”坂井三郎空戦記録”、後の大空のサムライの出版を記念して昭和28年に鈴木御水画伯が描いた絵画なんですが、それは”V103”なんです。
ハイフン無しですが、坂井さんに取材して書いた物としては最も古い物ではないかと思います。
時間の経過と共に人の記憶は曖昧になると言われていますが、終戦から8年、あの出来事から11年と言う年月を考えると、この絵画に描かれた”V103”は、他の情報に比べると信憑性が高いのでは無いかと思っています。
ただし、他の情報も鑑みるに、ハイフンが無いのはおかしいと思うので、私はハイフン有りでV-103を採用しようかと思います。
と言う事で、引っ張った割には大した推理も無く、勝手な妄想と身近な資料のみで塗ったのがこれ。


– グレー系の色で汚しを強めに入れて兵器っぽさを強調したつもり –

堂々巡りな事をあんまり考えるのは良くないと思いまして。
今は「これが正解」と言う心境です。
タイムマシンが開発されるまでのお楽しみと言う事で(゜-゜)\バキ

本音を言うとあまり時間が無いんですよね。
納得したものは作りたいけど、暇な時期にしかビデオとか作れないので・・・
と言う事で笹井中隊長機も勢いと妄想だけで塗ったのがこれ。


– 手前が笹井機でその後ろが坂井機 –

笹井機は青帯二本に黒文字でV-121。
これは検索したら一つしか出てこなかったので選択の余地無し、事実確認の方法無しと言う事で躊躇する事無く決定。
これが正解だと思って見ていると正解に思えてくるから不思議だ。


– V-103とV-121 昭和17年8月の空で –

こうやって見てみると、V-103の胴体に描かれた線が濃い気がしますね。
あとで修正しなきゃ( ´・_・`)

さて、とりあえずこれでリペイントはお終いです。
楽しんでやってるように見えるかもしれませんが、リペイントは本当に苦手です。
ただ、今回のように色々な事を調べたりするのは知的興奮が味わえるので楽しいですね。
少し残念な事と言えば、今回調べたものをした中で有意義な情報を得られたのは海外のサイトが多かった事です。
もちろん日本のサイトにも有意義なサイトはありましたが、傾向として途中からあらぬ方向へ行くのが日本のサイトの特徴でしょうか。
零戦の話題と幼女の裸の絵などが混在しているのは、日本のオタクならではだと思いました。
日本が産んだ零戦を真面目に語っているサイトが海外に多いと言うのは、ある意味嬉しくもありますが残念でもありました。

それと、プラモデルを作られている方々のサイトなどはとても参考になりました。
本当に深いところまで研究されている方々が多く、まるで本物かと見紛う程の作品群には感動すら覚えたほどです。

と言う事で、次の段階に進みます。
次はMission.fileの作成です。
前作のRABAULでは30個くらいのMissonを作成しました。
今回はもう少し整理して少なめに抑えようかと思っています。


– 次回作用のskinの用意は既に完了 –

このビデオの製作が終わったら知り合いのドイツ人からのリクエストに着手しようかと思っています。
2年以上前からのリクエストなので(゚Д゚)ハァ?
これ以外のskinは全て他のリペインターの方々の作品を使わせて頂く予定なので、苦手な仕込み作業がない分早くできそうです。

でも時間が足りないなぁ。
やりたい事いっぱい∩( ・ω・)∩

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