Project Rabaulのあとがき

昨日ネットが開通。
最近は早くて良いですね。
昔はNTTのおかげで酷い目に合った。
それ以来私はFuckin’ NTT 凸(-_-メ)なのであった。

今ちょうどthe HIATUSのCentipedeが部屋に流れています。
新しい部屋。
広いし、慣れて無いせいもあってちょっと心細い感じ。

と言う事で、こないだまで作っていたビデオ”RABAUL”について書くのは今日が最後となります。
反省なども含めていろいろ書いてみたいと思う。

きっかけはこのblogでも書いた通り、久しぶりに開いた零戦の写真集の中にあった一枚のモノクロ写真でした。
完成までは二ヶ月ほど掛かった。
私としては早い方だと思う。


– この”一斉離陸”を再現する事も、今回の重要な課題の一つだった。-

コンセプトとしては悲しい内容は避け、ノリ重視でカッコイイ映像表現を目指しました。
と言うのも、たぶん同世代の彼らならノリノリな方を好むだろうと考えたからだです。
今の日本で戦争と言うと敗戦からくるのでしょうか、悲しいと言うイメージが強いと思いますが、その時代を懸命に生きた彼らは未来の敗戦など知る由もなく、ただ勝利を信じて戦ったはずです。
でも、これは前半のみの話。
後半はちょっとだけ悲しいシーンを入れた。
と言うのも、前半の部分の時代設定は昭和18年の中頃で、後半は18年末から19年の初め頃を想定しています。
昭和18年末から19年の初頭と言うと、ラバウルの零戦隊が苦戦を強いられ始めた頃です。
”苦戦を強いられ始めた~”と言う表現が良いのかどうか分からない、ただ、その後のラバウル零戦隊の状況を見れば、まだこの頃は戦えていたのではないかと思われます。
ただ、敗戦と言う二文字がちらつき始めたのも、この頃だったのではないかと思っています。


– 離陸する52型。この零戦搭乗員は、再び祖国の地を踏む事が出来たのだろうか –

~当時の隊員が残した言葉 ~ Wikipediaより引用

“戦局はすでに敗色濃いといえども、我らは今はただ武人として卑怯者になりたくはないと願う。
ここは何百人の戦友たちが空に散ったラバウル航空隊だ。
先に逝った戦友たちが我らに遺したのはラバウル魂だった。
ラバウル航空隊には尊い伝統があり誇りがある。我ら搭乗員はその誇りのために戦う。
我らは戦死する運命に従う。だれか生残りに望みをかける者がいようか。 “


– 整備員達でしょうか、ある者は日の丸を懸命に振り、ある者は帽子を懸命に振る –

昭和18年の12月には201空が著しい消耗により生存者は204空へ転属。
明けて昭和19年の1月には204空が消耗により253空へ転属。
その一月後には戦力は1/3になったとか・・・

詳しい解説はWikipediaに御願いするとして、ざっと簡単に書いただけでも当時の戦いが如何に厳しいものだったかが分かると思います。
本当に多くの若者・・・私と同世代の若者達がソロモンの空に散っていった訳です。

さて、今回のビデオで一番苦労したのは効果音でした。
今まで私のビデオは、エンジンや爆発音などの効果音は一切入れずに、音楽のみに合わせて映像を編集する方法を取ってきました。
前々から効果音を使ったビデオを製作しようと考えてはいたのですが、これが中々難しいんですよね。
音のバランスを取るのに結構苦労しました。

あとは、リペイントも苦労しましたかね。
PhotoShopを使うスキルにも難がありますが、やはりセンスが無いのが痛い。
なのでゼロから塗る事はしませんでした。
TEMPLATEを使うか、ベースとなるskinを探してきて手を加えました。
最も手を加えたのは、例のUI-105でした。

現存する機体であればこの目で見る事も可能ですが、如何せん半世紀以上前の出来事ですから当時の写真だけが頼りな訳です。
が、ネットで検索しても引っかからない機体などもありますし、写真があってもモノクロですから色が分からないんですよね。
で、こういう時に非常に心強いのがプラモデルを作っていらっしゃる方々なんです。
塗装についてもかなり研究されていますので、そういった方達が公開されている模型の写真を参考にskinを製作しました。
それでも分からないモノに関しては、私の勝手なイメージで決めちゃいましたが・・・

色と言えば・・・ビデオの色味なんかも苦労しました。
派手な色味にはしたくないけど地味な色味にもしたくない。
そんな事を考えながら決めたのが今回の色味です。

あとは、微妙な事ですが、YouTube版とニコニコ動画版では色味が若干違います。
原版に近いのはYouTube版です。
ニコニコ動画版は、H264にエンコードする際に若干鮮やかにしています。

一つ反省すべき点は、B-24迎撃のシーンが少し単調になってしまった事です。
今回は反航戦でやる事を事前に決めていたのですが、一瞬で敵と交差してしまう反航戦は同航戦と比べてシーンを作るのが難しかったです。
これは前作”SABULIMATION RAIDEN” の時も問題になりまして、当時パイロット役をお願いしていた方と相談して同航戦に変えた苦い思い出がありました。
ちょっと同じようなシーンが続いてしまったのが残念ですね。

それと、今回このビデオを製作するにあたり、大変お世話になったのがWikipediaとラバウルなどについて書かれた多くのBlogでした。
特にWikipediaは、その情報量の多さと正確さもあって大変お世話になりました。
先ほど今回のエントリーの為に改めてWikipediaを拝見してきましたが、しばらく見ない間ににラバウル航空隊に関する記載が物凄く増えていました。
もし、私のビデオを見てラバウル航空隊に興味がわいた方は、是非、Wikipediaの閲覧をお勧めいたします。


– 子供の頃、祖母の背中で聞いた東京大空襲の話 オープニングシーンはそのイメージから –

今回のビデオはYouTubeとニコニコ動画にアップロードしました。
ニコニコ動画での反応が意外と良いのには驚きました。
なぜなら、私のビデオは流行のアニメソングも使っていませんし、アニメやゲームのキャラを描いた飛行機も出てきません。
この手のビデオはニコニコ動画のユーザー層には評価されないだろうと思っていましたので、好意的な反応が多くて正直驚いています。
中には前作である”SUBLIMATION RAIDEN”の事を覚えていてくれた方もいました。
これは本当に驚きましたし、それと同時にとても嬉しかったです。
今まで色々なコメントを頂きましたが、一番嬉しかったかもしれません。

コメントをくれた皆さんどうもありがとう。

今回も大変だったけど作ってて楽しかったなぁと言うわけで、あとがきでした(・ω・)ノ

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